2019年12月19日

「佐野常民」(賢人その2)<後編>

こんばんは。

さて、佐野常民様の人物紹介編<後編>です。

後編は、調査結果をまとめた「賢人ファイル」より抜粋いたします。
幕末だけでなく、明治に入ってからも佐野先生の活躍は続きます。

<基礎情報>

・七賢人唯一の純然たる理系キャラ。でも、涙もろい情の人。

幕末(パリ)明治(ウィーン)万国博覧会に出展を実行。

・佐賀藩として出展した幕末のパリ万博赤十字の思想を知る。



<エピソード>

医術を学んでいたが蘭学の知識を見込まれ、佐賀藩研究所主任になる。
 佐賀の三重津海軍所の創設を主導し、実用蒸気船“凌風丸”も完成させる。

佐賀藩が幕末のパリ万博に出展する際も中心的な役割。見本市の達人。
 佐賀藩の出品数は、同時に出展していた幕府薩摩藩の合計より多数。

・明治に入り、洋式燈台の設置、戦傷者の救護など人を助ける活動に移行。
 内国勧業博の開催、日本美術の保護、赤十字社災害救援など業績多数。

※実用蒸気船“凌風丸”模型
 
<キャラクター>

・佐賀藩に機械化学などの各分野の精鋭涙ながらの情熱でスカウトする。
 プロジェクトリーダーとして才覚は抜群。蒸気機関の製作で目覚ましい成果。

西南戦争のときには、敵味方の区別のなく救護を行う博愛社の活動を開始。
 日本赤十字社を創設。原点である医術にも回帰し、病院も設立。

・蘭学による機械化学などの知識だけでなく、人の才能を見抜く目もある。
 内国勧業博で、荒廃した京都の復興にも貢献。”博覧会男”の異名も持つ。


<象徴的な“お言葉”>

――鉄製大砲蒸気機関研究にどうしても必要な人材スカウトするとき。
「貴殿(キミ)でなければ駄目なのです!」

…猛烈なラブコールですね。もう、目にはを浮かべて”壁ドン”ですね。

以上が、佐野 常民様についての報告です。

万能の研究主任にして、全然理系っぽくないの人です。  
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Posted by SR at 22:31 | Comments(0) | 人物紹介編(C)