2019年12月31日

「佐賀の功績を語れ!」(独自色②)

こんにちは。

皆さま、令和元年最終日はいかがお過ごしでしょうか。

今年は“平成”から“令和”に元号が変わった年でもありますね。
何やら2回目年越しを迎えているような奇妙な気分です。

前回は“薩長土肥”という幕末の有力藩の括りで“名言”について検討してみました。今年の最終日は各藩の“功績”について考えてみます。

薩摩藩…最強クラスの雄藩。幕府への協力路線から倒幕派へ。
 幕末主導権を取る。薩長同盟明治維新を先導。

長州藩尊王攘夷運動の中心。幕府からの攻勢を逆転する。
 過激に幕府方と戦い続ける。公家も巻き込み、倒幕を主導。 

土佐藩藩主将軍大政奉還を建白し、幕府は政権を返上。
 徳川大名の会議による政治を目指す中立派。関係者が貿易でも活躍。

以上です。粗いまとめ方ですが、ご容赦ください。


――さて、佐賀藩をどう語るか…です。

佐賀藩にとって、重要なのは“世界”がどう見ているか。
最先端地域・長崎で養われた”国際感覚”です。
国内で戦争をしている場合では無い!」というのが“殿”鍋島直正公の見解だったと思われます。

――戊辰戦争が始まってからの佐賀藩の主な動きは…

〇内戦(戊辰戦争)が起きてしまったので、佐賀藩は「戦いを拡大させず、早期に終わらせる」の1点に集中します。
ここで“幕末最強の軍事技術”を投入。旧幕臣東北諸藩の猛反撃を抑え込み、早期決着に貢献します。

〇西洋列強介入を防ぐため「政権交代の正当性」を示し「近代国家の体制」を構築することが急務でした。 
この部分で“幕末最高の実務能力”を投入。明治新政府を「諸外国から認められる国家」に作り上げていきます。


――「“薩長土肥”の肥前(佐賀)は何をしたのか?」との質問について

「佐賀藩の価値は、“旧時代を壊した”のではなく、“新時代を築いた”ところにある!」というのが1つの答えではないかと考えています。


――先ほどの①~③と同じ形にすると

佐賀藩倒幕後の内戦の終結に貢献。近代国家の体制を構築。
 幕末から“世界”を意識。ひたすら“技術”と“能力”を磨き、日本の近代化を牽引した。


…という感じでどうでしょうか。


――今年の12月に入ってからブログを開始しました。
まだ1か月にも満たない期間ですが、想像の範囲を出ない話も含めて、色々と書き連ねてきました。

まずは「とにかく学ばねばならんのだ」という“殿”の言葉を胸に、来年も続けていきたいと思います。
佐賀藩の“名言”は、このお言葉でも良いかもしれませんね。

いつもお読みいただいている皆様、ありがとうございます。
以上で、暮れのご挨拶に代えさせていただきたいと思います。



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Posted by SR at 15:18 | Comments(0) | 戦略編(S)
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