2021年03月30日
連続ブログ小説「旅立の剣」(27)長崎街道の夢
こんばんは。
新しい環境への突入を控え、目まぐるしい年度末です。
いま私を支えているのは、わずか30時間の記憶。
佐賀で見た景色とともに綴ります。

――朝8:22。赤レンガの道を見ていた。
この辺りには時折、“都会的センス”を見せる建物が出現する。
…とはいえ、佐賀市中心街に往時の勢いが無いのは認める。
そのため“時折”と言わざるを得ない。
「今はまだ、元気が無い」と言っておこう。未来は変えられるのだから。
――江戸時代。大変な賑わいを見せた、長崎街道。
私はめったに、佐賀に“帰藩”することができない。
朝食抜きでも街中を見て回るのは、この空気に触れたいからだ。
この道が長崎街道であることは、要所に配置された案内板が教えてくれる。
…私のように“調べ”を急ぐ者には、心強い。

――遡って8:16。白山通りの商工ビル前。
地理に疎い私に「長崎街道を案内(あない)いたす!」とばかりに看板が現る。
「これは分かりやすい…」と私は、この地図に示された道を歩み始めた。
かつて街道沿いには、裕福な商家が軒を連ねたという。
佐賀藩士や領民たちはもちろん。幕府の役人も他藩の大名も通行した。
オランダ商館員が連れていたかゾウやラクダなど珍獣まで…行き交ったという。

――まるで、十数分の時間旅行。
足元には、この道が長崎街道であると示す“標識”が続く。
朝の風が、時を忘れさせてくれる。
長崎から佐賀を経由し、小倉までを結ぶ“幹線道路”。九州北部を1つにつなぎ、宿場ごとの特色も魅力的。もっと語られてほしい“道”がある。

――朝8:34。
「これだ…!」
私は、幕末期の佐賀を感じる“空気”に出会った。
たしかに道路は舗装され、電柱はあるけども、それは些細(ささい)なことだ。インフラ整備、とくに電気関係は、明治期に佐賀出身者の得意としたところ。
…私には、この道を駆け回る佐賀藩士たちの姿が見えたようだった。
(続く)
新しい環境への突入を控え、目まぐるしい年度末です。
いま私を支えているのは、わずか30時間の記憶。
佐賀で見た景色とともに綴ります。
――朝8:22。赤レンガの道を見ていた。
この辺りには時折、“都会的センス”を見せる建物が出現する。
…とはいえ、佐賀市中心街に往時の勢いが無いのは認める。
そのため“時折”と言わざるを得ない。
「今はまだ、元気が無い」と言っておこう。未来は変えられるのだから。
――江戸時代。大変な賑わいを見せた、長崎街道。
私はめったに、佐賀に“帰藩”することができない。
朝食抜きでも街中を見て回るのは、この空気に触れたいからだ。
この道が長崎街道であることは、要所に配置された案内板が教えてくれる。
…私のように“調べ”を急ぐ者には、心強い。
――遡って8:16。白山通りの商工ビル前。
地理に疎い私に「長崎街道を案内(あない)いたす!」とばかりに看板が現る。
「これは分かりやすい…」と私は、この地図に示された道を歩み始めた。
かつて街道沿いには、裕福な商家が軒を連ねたという。
佐賀藩士や領民たちはもちろん。幕府の役人も他藩の大名も通行した。
オランダ商館員が連れていたかゾウやラクダなど珍獣まで…行き交ったという。
――まるで、十数分の時間旅行。
足元には、この道が長崎街道であると示す“標識”が続く。
朝の風が、時を忘れさせてくれる。
長崎から佐賀を経由し、小倉までを結ぶ“幹線道路”。九州北部を1つにつなぎ、宿場ごとの特色も魅力的。もっと語られてほしい“道”がある。
――朝8:34。
「これだ…!」
私は、幕末期の佐賀を感じる“空気”に出会った。
たしかに道路は舗装され、電柱はあるけども、それは些細(ささい)なことだ。インフラ整備、とくに電気関係は、明治期に佐賀出身者の得意としたところ。
…私には、この道を駆け回る佐賀藩士たちの姿が見えたようだった。
(続く)
タグ :佐賀
2021年03月27日
連続ブログ小説「旅立の剣」(26)変化の兆し
こんにちは。
私事ですが、4月から大きく環境が変化することになりました。
このシリーズは現在の視点で、一昨年の秋を振り返ります。
「その時、感じた気持ちに、いま説明が付く」が今日のテーマです。
――朝8:17。長崎街道(白山アーケード)を進む。
屋根が途切れて、別のアーケードが見える。
そこには“バルーン通り”との表示。
昨夜にも、ここ“エスプラッツ”には立ち寄った。
朝に見ると、何だか長崎街道に似合った、赤レンガ調の色味のビルだ。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(17)誇りを取り戻せ〕

――よく見ると、1階の角には…
ラジオ局“えびすFM”がある。
佐賀の地域情報を発信するコミュニティFMという情報が読める。
「街の人がパーソナリティを務める温もりのある番組!」をお送りしているようだ。風水害の際には避難所情報の提供など、地域密着型メディアの強みも見せる。
――いまとなっては、実に興味深い。
…しかし、当時の私は先を急いだ。
長崎街道を巡ると「おっ!?」を目を引く場所に出ることがある。
佐賀の街中にはシンプルであるがゆえに、過密な大都市圏では感じられない、洗練された印象を受ける場所がある。

――壁に記された“ON THE ROOF”の文字。
「…えらく洒落(しゃれ)た建物だな。」
その時に、私の持った感想だ。
少し月日を経てから、この「オン・ザ・ルーフ」という名を聞く。日本テレビ系の番組『アナザースカイⅡ』(2月12日放送)で見た、講談師・神田伯山の特集だ。
実は、佐賀県の唐津にルーツがある方。
講談を広めるため、修業時代には佐賀市内にも、よく来られたそうだ。
この多目的施設“ON THE ROOF”でのイベントに、よく出演されたという。当時のお名前は“神田松之丞”。現在では、六代目として“神田伯山”の名を継ぐ。
――いまや“伝統芸能”の世界は…
かえって流行に感度が高い人が追うもの、と言っても過言ではないだろう。
「チケットの取れない人気講談師」として知られる神田伯山。呉服元町の会場を「アンテナを張っている、佐賀の人たちが来る場所」だと回想した。
同番組では“ON THE ROOF”1階喫茶店の本格的なピザ、柳町の“和紅茶専門店”も紹介された。次に佐賀に帰藩を果たす時には、ぜひ寄りたい場所だ。

――話を長崎街道に戻す。時刻は8:25前後。
今度は、屋根付きの広場。“PLAZA 656”との表示が見える。
朝早い、この時間帯には何の行事も行われていない。
土日を中心に、ライブやイベントの開催予定がある様子だ。
ちなみに“656(むつごろう)広場”が通称らしい。
――長崎街道沿いには、いまも情報発信の拠点がある。
近年、元気が無いと言われる、佐賀市内の中心街。
「幕末の佐賀藩」を追い求める私には、この場所が持つ価値が際立って見える。
きっとカギは発信する情報と、その受け手となる人たちの存在。
きっと佐賀には、私に似た“想い”を持つ人も居るに違いなく…
それが、私があきらめない理由の1つだと思っている。
(続く)
私事ですが、4月から大きく環境が変化することになりました。
このシリーズは現在の視点で、一昨年の秋を振り返ります。
「その時、感じた気持ちに、いま説明が付く」が今日のテーマです。
――朝8:17。長崎街道(白山アーケード)を進む。
屋根が途切れて、別のアーケードが見える。
そこには“バルーン通り”との表示。
昨夜にも、ここ“エスプラッツ”には立ち寄った。
朝に見ると、何だか長崎街道に似合った、赤レンガ調の色味のビルだ。
〔参照:
――よく見ると、1階の角には…
ラジオ局“えびすFM”がある。
佐賀の地域情報を発信するコミュニティFMという情報が読める。
「街の人がパーソナリティを務める温もりのある番組!」をお送りしているようだ。風水害の際には避難所情報の提供など、地域密着型メディアの強みも見せる。
――いまとなっては、実に興味深い。
…しかし、当時の私は先を急いだ。
長崎街道を巡ると「おっ!?」を目を引く場所に出ることがある。
佐賀の街中にはシンプルであるがゆえに、過密な大都市圏では感じられない、洗練された印象を受ける場所がある。
――壁に記された“ON THE ROOF”の文字。
「…えらく洒落(しゃれ)た建物だな。」
その時に、私の持った感想だ。
少し月日を経てから、この「オン・ザ・ルーフ」という名を聞く。日本テレビ系の番組『アナザースカイⅡ』(2月12日放送)で見た、講談師・神田伯山の特集だ。
実は、佐賀県の唐津にルーツがある方。
講談を広めるため、修業時代には佐賀市内にも、よく来られたそうだ。
この多目的施設“ON THE ROOF”でのイベントに、よく出演されたという。当時のお名前は“神田松之丞”。現在では、六代目として“神田伯山”の名を継ぐ。
――いまや“伝統芸能”の世界は…
かえって流行に感度が高い人が追うもの、と言っても過言ではないだろう。
「チケットの取れない人気講談師」として知られる神田伯山。呉服元町の会場を「アンテナを張っている、佐賀の人たちが来る場所」だと回想した。
同番組では“ON THE ROOF”1階喫茶店の本格的なピザ、柳町の“和紅茶専門店”も紹介された。次に佐賀に帰藩を果たす時には、ぜひ寄りたい場所だ。
――話を長崎街道に戻す。時刻は8:25前後。
今度は、屋根付きの広場。“PLAZA 656”との表示が見える。
朝早い、この時間帯には何の行事も行われていない。
土日を中心に、ライブやイベントの開催予定がある様子だ。
ちなみに“656(むつごろう)広場”が通称らしい。
――長崎街道沿いには、いまも情報発信の拠点がある。
近年、元気が無いと言われる、佐賀市内の中心街。
「幕末の佐賀藩」を追い求める私には、この場所が持つ価値が際立って見える。
きっとカギは発信する情報と、その受け手となる人たちの存在。
きっと佐賀には、私に似た“想い”を持つ人も居るに違いなく…
それが、私があきらめない理由の1つだと思っている。
(続く)
タグ :佐賀
2021年03月24日
連続ブログ小説「旅立の剣」(25)シュガーロードを行け
こんばんは。
一昨年の秋、早朝の佐賀市中心部で歩きまわる私。
――時刻は8:15頃。
白山名店街のアーケードに入るや、また大通りに抜ける。
…どう進むかの判断に迷っているのだ。
佐賀で活動できるのも、あと6時間ほど。12時過ぎからは「さが維新まつり」を観るために、佐賀城公園に居る必要がある。

――時間は、あるようで無い。
白山名店街アーケードの向かい側に渡ってみる。
「時間が惜しい。ここでどちらに進む方が良いのか…」
佐賀市民の方々、私の焦りを失笑しないでほしい。
私から見れば貴重な時のうえで、皆様は生活している…とも言えるのだ。
――どっちだ、どちらに行けば正解なのだ。
先ほど“分岐点”で、360度を見回したせいで選択肢が増えてしまった。
…私が調べたい「幕末の佐賀藩」。
その空気を感じられるものは、どの道にもあるはずだ。
「お若いの、道に迷っている様子だな。」
いや、私はそんなに若くはない。ただ、その偉業ゆえに銅像に姿を現す、佐賀の先人たちからすれば若輩者だろう。

――そこには日本に“西洋菓子”を広めた、2人の姿が。
「キミは、甘い物が好きと見える。」
まず左側に立つ、立派な体格の紳士。腕組みにキャラメルを携える。
伊万里の出身・森永太一郎。
「もはや、道は決まっているのではないかな。」
こちらは“グリコ”を示しつつ、健康的な“銭湯で牛乳を飲むポーズ”を決める。
佐賀市東部の生まれ・江崎利一。
――「そのまま行けば良い。“シュガーロード”を。」
「シュガーロード」(砂糖の道)と呼ばれる、長崎街道を行く。
まるで“森永製菓”と“江崎グリコ”によって、扉が開かれたかのようだ。
周辺をクルクル回っていた私は、導かれるように真っ直ぐ歩み始めた。
まだ街が動き始める前、土曜の朝。
白山名店街のアーケードに入り直して、東へと進んでいった。
(続く)

※関連記事
私が、佐賀の輩出した“製菓”の巨匠たちに救われる(?)シリーズです。
森永太一郎 編
・「おかげさまで1周年。」
・「あゝ西洋菓子(西)」
江崎利一 編
・「あゝ西洋菓子(東)」
一昨年の秋、早朝の佐賀市中心部で歩きまわる私。
――時刻は8:15頃。
白山名店街のアーケードに入るや、また大通りに抜ける。
…どう進むかの判断に迷っているのだ。
佐賀で活動できるのも、あと6時間ほど。12時過ぎからは「さが維新まつり」を観るために、佐賀城公園に居る必要がある。
――時間は、あるようで無い。
白山名店街アーケードの向かい側に渡ってみる。
「時間が惜しい。ここでどちらに進む方が良いのか…」
佐賀市民の方々、私の焦りを失笑しないでほしい。
私から見れば貴重な時のうえで、皆様は生活している…とも言えるのだ。
――どっちだ、どちらに行けば正解なのだ。
先ほど“分岐点”で、360度を見回したせいで選択肢が増えてしまった。
…私が調べたい「幕末の佐賀藩」。
その空気を感じられるものは、どの道にもあるはずだ。
「お若いの、道に迷っている様子だな。」
いや、私はそんなに若くはない。ただ、その偉業ゆえに銅像に姿を現す、佐賀の先人たちからすれば若輩者だろう。

――そこには日本に“西洋菓子”を広めた、2人の姿が。
「キミは、甘い物が好きと見える。」
まず左側に立つ、立派な体格の紳士。腕組みにキャラメルを携える。
伊万里の出身・森永太一郎。
「もはや、道は決まっているのではないかな。」
こちらは“グリコ”を示しつつ、健康的な“銭湯で牛乳を飲むポーズ”を決める。
佐賀市東部の生まれ・江崎利一。
――「そのまま行けば良い。“シュガーロード”を。」
「シュガーロード」(砂糖の道)と呼ばれる、長崎街道を行く。
まるで“森永製菓”と“江崎グリコ”によって、扉が開かれたかのようだ。
周辺をクルクル回っていた私は、導かれるように真っ直ぐ歩み始めた。
まだ街が動き始める前、土曜の朝。
白山名店街のアーケードに入り直して、東へと進んでいった。
(続く)
※関連記事
私が、佐賀の輩出した“製菓”の巨匠たちに救われる(?)シリーズです。
森永太一郎 編
・
・
江崎利一 編
・
タグ :佐賀
2021年03月22日
連続ブログ小説「旅立の剣」(24)ここが分岐点
こんばんは。
最近、かなり忙しく消耗気味です。休息期間を入れることも考えています。
そして長らく佐賀からも離れています。エネルギーが湧いて来ないわけですが、今日は淡々と語ります。
なお、今日のお題に、明確な答えをお持ちの方はご教示を願いたく思います。

――朝8:10。銅像巡りは、小休止。
中央大通りを南に進む私は、左斜め前を見た。
白山通りのアーケードの手前まで来ている。
かつて大賑わいだったと聞く、この通りもすっかり落ち着いてしまった。
但し、まだ店舗などは空いていない時間帯の姿だ。

――続いて、右斜め前を見る。
中央大通りから分かれて、同じく南に向かう通り。
このとき、私は何となく周囲を360度、見回していた。
これも非日常の一環だ。それに回りながら、ひとしきり写真も撮った。
自分の住まう街で、なかなかこの行動は取らない。

――ここからは現在の、私の思索だ。
私は、佐賀市中心部を走る大通りを“県庁通り”だと理解していた。しかし、この辺から右斜め前に伸びる道に“県庁前通り”との名が付与されているらしい。
そして佐賀のメインストリートは“中央大通り”と呼称すべきようだ。
――現在でも、この分岐点までは“県庁通り”と呼んでも良いのか?
佐賀を外から見られる有利と、佐賀から離れている不利…
私には佐賀の美点を探すことは容易だが、佐賀の常識を得るのは難しい。表裏一体の迷い道が続いていく。
(続く)
最近、かなり忙しく消耗気味です。休息期間を入れることも考えています。
そして長らく佐賀からも離れています。エネルギーが湧いて来ないわけですが、今日は淡々と語ります。
なお、今日のお題に、明確な答えをお持ちの方はご教示を願いたく思います。
――朝8:10。銅像巡りは、小休止。
中央大通りを南に進む私は、左斜め前を見た。
白山通りのアーケードの手前まで来ている。
かつて大賑わいだったと聞く、この通りもすっかり落ち着いてしまった。
但し、まだ店舗などは空いていない時間帯の姿だ。
――続いて、右斜め前を見る。
中央大通りから分かれて、同じく南に向かう通り。
このとき、私は何となく周囲を360度、見回していた。
これも非日常の一環だ。それに回りながら、ひとしきり写真も撮った。
自分の住まう街で、なかなかこの行動は取らない。
――ここからは現在の、私の思索だ。
私は、佐賀市中心部を走る大通りを“県庁通り”だと理解していた。しかし、この辺から右斜め前に伸びる道に“県庁前通り”との名が付与されているらしい。
そして佐賀のメインストリートは“中央大通り”と呼称すべきようだ。
――現在でも、この分岐点までは“県庁通り”と呼んでも良いのか?
佐賀を外から見られる有利と、佐賀から離れている不利…
私には佐賀の美点を探すことは容易だが、佐賀の常識を得るのは難しい。表裏一体の迷い道が続いていく。
(続く)
タグ :佐賀
2021年03月20日
連続ブログ小説「旅立の剣」(23)“朝ドラ”も見たい
こんばんは。そろそろ年度末に近づいて来ましたね。4月から新しい環境でのスタートが決まっている人もいるでしょう。
…この季節、時間には密度の濃淡があることを強く感じるのです。
前回の続き。一昨年(2019年10月)の活動をもとに綴るシリーズ。佐賀が誇る偉人の銅像を見ながら中央大通りを南に歩き、長崎街道の近くまで寄っています。
――朝8:09。看板には、“工学・化学分野の先駆者”と表示あり。
座り姿の男性。多久が輩出した、日本の電気工学の祖・志田林三郎。日本初の工学博士の1人だそうだ。
幕末期。佐賀藩内でも教育熱心で知られた、多久領の学問所で学ぶ。
〔参照(中盤):「主に多久市民の皆様を対象としたつぶやき」〕
明治期。工部大学校や留学を経て、技術官僚として活躍。電気学会を創設し、“IT社会”の到来まで予見したという。100年以上先を見通したようだ。
“逓信四天王”と呼ばれた電信の石丸安世(虎五郎)、電話の石井忠亮はともに佐賀藩士。日本の情報通信をリードした佐賀の系譜が、つながっていく。

――その左隣に立つ、日本最初の女性化学者(理学博士)・黒田チカ。
日本初の女性理学博士は、別の植物学者の方。それで“化学分野で女性初”と注釈が付くようだ。時は少し現代に近づき、明治中期の生まれ。
「これからは女子にも学問が必要!」という進歩的な父に恵まれた。
佐賀から出て、当時の女性が学問を続ける不利を乗り越えていく。自信有り気なタイプでは無かったようだが、地道に頑張る姿は周囲の心に響いていく。
「君には、この学問を続ける資格がある!」とか周りの先生方が熱く励ました。黒田氏は日本初の女子大生(帝大生)の1人となり、東北帝国大学に進む。
――「これは“大河”というより…そうだ、“もう1つの看板番組”だ!」
「明治期、佐賀の“朝ドラ”を作る!」なら、有力な主役候補だろう。
“紅(くれない)の博士”と呼ばれ、科学研究を志す後進の目標になった女性。
黒田チカ博士は、理化学研究所でも天然色素の抽出など研究を続けた。現・お茶の水女子大学で教壇に立ち、玉ネギから“結晶”を取り出す研究を行う。
この結晶が“ケルセチン”。後に高血圧の薬として実用化される物質だった。
…延々と「朝ドラ」(連続テレビ小説)化を目指して語ってしまいそうなので、今日はこの辺りで。前回とあわせても、現場では10分程度の時間。
密度の濃い、時の過ごし方でした。
(続く)
…この季節、時間には密度の濃淡があることを強く感じるのです。
前回の続き。一昨年(2019年10月)の活動をもとに綴るシリーズ。佐賀が誇る偉人の銅像を見ながら中央大通りを南に歩き、長崎街道の近くまで寄っています。
――朝8:09。看板には、“工学・化学分野の先駆者”と表示あり。
座り姿の男性。多久が輩出した、日本の電気工学の祖・志田林三郎。日本初の工学博士の1人だそうだ。
幕末期。佐賀藩内でも教育熱心で知られた、多久領の学問所で学ぶ。
〔参照(中盤):
明治期。工部大学校や留学を経て、技術官僚として活躍。電気学会を創設し、“IT社会”の到来まで予見したという。100年以上先を見通したようだ。
“逓信四天王”と呼ばれた電信の石丸安世(虎五郎)、電話の石井忠亮はともに佐賀藩士。日本の情報通信をリードした佐賀の系譜が、つながっていく。
――その左隣に立つ、日本最初の女性化学者(理学博士)・黒田チカ。
日本初の女性理学博士は、別の植物学者の方。それで“化学分野で女性初”と注釈が付くようだ。時は少し現代に近づき、明治中期の生まれ。
「これからは女子にも学問が必要!」という進歩的な父に恵まれた。
佐賀から出て、当時の女性が学問を続ける不利を乗り越えていく。自信有り気なタイプでは無かったようだが、地道に頑張る姿は周囲の心に響いていく。
「君には、この学問を続ける資格がある!」とか周りの先生方が熱く励ました。黒田氏は日本初の女子大生(帝大生)の1人となり、東北帝国大学に進む。
――「これは“大河”というより…そうだ、“もう1つの看板番組”だ!」
「明治期、佐賀の“朝ドラ”を作る!」なら、有力な主役候補だろう。
“紅(くれない)の博士”と呼ばれ、科学研究を志す後進の目標になった女性。
黒田チカ博士は、理化学研究所でも天然色素の抽出など研究を続けた。現・お茶の水女子大学で教壇に立ち、玉ネギから“結晶”を取り出す研究を行う。
この結晶が“ケルセチン”。後に高血圧の薬として実用化される物質だった。
…延々と「朝ドラ」(連続テレビ小説)化を目指して語ってしまいそうなので、今日はこの辺りで。前回とあわせても、現場では10分程度の時間。
密度の濃い、時の過ごし方でした。
(続く)
2021年03月18日
連続ブログ小説「旅立の剣」(22)大きな河になれ
こんばんは。
わずか数分の出来事でも、後につながる時間があるようです。
2019年の秋、佐賀市の中央大通りを南に進む私。
――朝8:03。中央大通りを“唐人町”付近に至る。
小城の書家・中林梧竹の銅像がある。
大通りに面する、佐賀の偉人たちの銅像は、大体が2人一組である。
しかし、この唐人町の広場に佇む“小城の書聖”は1人だ。
「何だか、さびしいな…」
私はブログを始めてから、この認識を改めることになる。
…この状態は“集中”と呼ぶのがふさわしい!と。
それに書家としても著名な、副島種臣ともつながりがある。私が言いたいことは「中林先生は1人じゃない…」ということだ。
〔参照(前半):「主に小城市民の皆様を対象としたつぶやき 2」〕
――朝8:07。“唐人町”を進み、道路の向かい側。
今度は“社会教育家”とジャンル付けされた2人の銅像が並ぶ。
左は、鹿島の出身で“青年団”の活動を全国に広めた、田澤義鋪。
その時点の私には情報の持ち合わせが無く、何も感じなかった。
田澤氏の持っていた情熱は、ある演劇で知ることになる。
〔参照(前半):佐賀城からのライブ配信の感想など④⑤〕

――右隣は、田澤の思想に共鳴した“小説家”。
神埼の出身。「次郎物語」を著した下村湖人。
佐賀ローカルで語れば、鹿島から神埼へ響き合っている。
…他地域の人にざっくり説明すると、佐賀県内を西から東へのイメージだ。
時代がまだ昭和だった頃。幾度か映画化もされていた「次郎物語」。
私には、さだまさしが主題歌「男は大きな河になれ」を歌った、比較的新しい作品の記憶がある。
――この主題歌は個人的に、名曲だと思っている。
原曲はチェコの音楽家スメタナ。交響詩「わが祖国」の第2曲だったか…
この曲に長崎出身のさだまさしが映画の主題歌として、詩を付けたと聞く。
「次郎物語」をきっかけに思い出し、聴き返してみた。
「せつないことがあったなら~♪」
…辛い事があった時に大きく叫んで雲を呼び、さらにその雲が覆えないほどの人物になれと説く。
――苦しい時こそ、意地を張れ。
目をそらさずに雨を見て、泣かずに雨を集めて…
そして「男は大きな河になれ」と結ぶのである。
あらためて聴き返すと、私には佐賀平野の風景が浮かぶ。
佐賀(神埼)が舞台の物語をイメージして作られたから…なのだろうか。
青年の人格を育む“教養小説”として書かれた「次郎物語」。
歳を重ねて、いま一度顧みると、大きな発見があるかもしれない。
(続く)
わずか数分の出来事でも、後につながる時間があるようです。
2019年の秋、佐賀市の中央大通りを南に進む私。
――朝8:03。中央大通りを“唐人町”付近に至る。
小城の書家・中林梧竹の銅像がある。
大通りに面する、佐賀の偉人たちの銅像は、大体が2人一組である。
しかし、この唐人町の広場に佇む“小城の書聖”は1人だ。
「何だか、さびしいな…」
私はブログを始めてから、この認識を改めることになる。
…この状態は“集中”と呼ぶのがふさわしい!と。
それに書家としても著名な、副島種臣ともつながりがある。私が言いたいことは「中林先生は1人じゃない…」ということだ。
〔参照(前半):
――朝8:07。“唐人町”を進み、道路の向かい側。
今度は“社会教育家”とジャンル付けされた2人の銅像が並ぶ。
左は、鹿島の出身で“青年団”の活動を全国に広めた、田澤義鋪。
その時点の私には情報の持ち合わせが無く、何も感じなかった。
田澤氏の持っていた情熱は、ある演劇で知ることになる。
〔参照(前半):
――右隣は、田澤の思想に共鳴した“小説家”。
神埼の出身。「次郎物語」を著した下村湖人。
佐賀ローカルで語れば、鹿島から神埼へ響き合っている。
…他地域の人にざっくり説明すると、佐賀県内を西から東へのイメージだ。
時代がまだ昭和だった頃。幾度か映画化もされていた「次郎物語」。
私には、さだまさしが主題歌「男は大きな河になれ」を歌った、比較的新しい作品の記憶がある。
――この主題歌は個人的に、名曲だと思っている。
原曲はチェコの音楽家スメタナ。交響詩「わが祖国」の第2曲だったか…
この曲に長崎出身のさだまさしが映画の主題歌として、詩を付けたと聞く。
「次郎物語」をきっかけに思い出し、聴き返してみた。
「せつないことがあったなら~♪」
…辛い事があった時に大きく叫んで雲を呼び、さらにその雲が覆えないほどの人物になれと説く。
――苦しい時こそ、意地を張れ。
目をそらさずに雨を見て、泣かずに雨を集めて…
そして「男は大きな河になれ」と結ぶのである。
あらためて聴き返すと、私には佐賀平野の風景が浮かぶ。
佐賀(神埼)が舞台の物語をイメージして作られたから…なのだろうか。
青年の人格を育む“教養小説”として書かれた「次郎物語」。
歳を重ねて、いま一度顧みると、大きな発見があるかもしれない。
(続く)
2021年03月16日
「“青天”に騒めく…」
こんばんは。
毎週、大河ドラマ「青天を衝け」の冒頭に来る徳川家康にも慣れました。日曜に放送された第5回「栄一、揺れる」。心が騒(ざわ)めく要素が多かったです。
…なお当ブログでは、常に佐賀藩の動きをイメージしますので、記事内に「青天を衝け」には出て来ない場面が多数含まれます。
まだ、ご覧でない方は、ぜひ土曜の再放送か、録画視聴後にお読みいただくと、混乱しにくい…と思います。
――その1つ前、第4回の話から。
有能な幕府官僚として登場する、川路聖謨(演:平田満)が一言。
「それがしの“話術”で要求を躱(かわ)す」と長崎に向かう前に役目を語ります。
“本編”ほかで繰り返し紹介している、長崎へのロシアのプチャーチン来航です。この情報でアメリカのペリーは「ロシアに先を越される!」と焦ります。
年越しの時期。佐賀藩が守る長崎砲台。寒空の下でロシア船を見張る佐賀藩士たち。殿・鍋島直正も現場を訪れ、自ら、餅や酒を振る舞って労ったそうです。
〔参照(後半):第9話「和親条約」⑨〕

――佐賀藩の警備は充実。これで川路の“話術”も冴える。
川路聖謨は「プチャーチンとは、安心して話が出来た」と感想を持ったようです。
〔参照(中盤):第9話「和親条約」⑧〕
ロシアとの交渉は一旦終了し、川路たちは佐賀藩の長崎砲台を見学します。
〔参照(前半):第10話「蒸気機関」⑩(佐賀の産業革命)〕
江戸に戻った川路たちが、佐賀藩の働きを絶賛したこともあり、幕府からの“ご褒美”も出ました。国政とは距離を置いていても、佐賀の存在感は強まります。
――そして、第5回。私のイチ押しポイントは…
やはり藤田東湖(演:渡辺いっけい)でしょう。例えば、徳川斉昭(演:竹中直人)に詰め寄られる、老中・阿部正弘(演:大谷亮平)の苦労を描く場面。
〔参照:第9話「和親条約」③※中盤が似たような展開〕
阿部正弘は、外国との駆け引きに全神経を削り、憔悴の様子。最初に“黒船”と対峙した国政の実質的責任者。幕末で一番難しい立場だったかもしれません。

――この場面で、藤田東湖が有能さを発揮。
老中・阿部正弘の苦労を考慮し、主君・徳川斉昭の暴走を諫(いさ)める。
…ここで「理想どおりの藤田さまだ!」とテレビの前の私。
また佐賀藩に話を寄せると、これでこそ島義勇が学びに行く価値があります。
この藤田さまと、佐賀の枝吉神陽を“東西の二傑”と評した方もいるようです…とはいえ、枝吉神陽は島義勇と同い年のいとこ。憧れの対象にはなりづらい。
後に“札幌”を創った男・島義勇が「あの人のようになりたい!」と敬愛するのが、藤田東湖…という表現にしました。
〔参照(前半):第11話「蝦夷探検」③(“懐刀”の想い)〕
――そして“青天”第5回で、最大の事件…
後半、安政年間に群発した巨大地震が題材となりました。
〔参照:「“大災害”と微かな希望」〕
まず、安政の東海地震が描かれます。下田沖では、ロシアのプチャーチン提督が被災。少し前には大坂沖に出現し、京の“攘夷派”を大騒ぎさせたのですが…
津波に遭ったロシア船「ディアナ号」は、損傷により沈んでいきます。長崎でロシアと交渉した、川路聖謨が遭難の救護に当たる姿が印象的でした。
実際、地元・下田の人に助けてもらった、ロシア側の船医が地元の人を診たり…と人道的な風景があったと聞きます。

――続いて、安政の江戸地震の場面…
今回で、藤田東湖の最期が描かれることは予想していました。
ひたすら「東湖(とうこ)!東湖…」と号泣する、水戸さま・徳川斉昭。
こうして“懐刀”を失った“水戸烈公”。次第に水戸藩には暗雲が立ち込めます。
私は「藤田東湖は母を救った後、亡くなった」という説で書きました。佐賀で知らせを聞いた島義勇は落涙。“蝦夷地”探検の決意につながる…という展開に。
〔参照(後半):第11話「蝦夷探検」⑦(“拓北”の決意)〕
「青天を衝け」にあわせ、自分の記事も顧みました。期待した登場人物の描き方に納得です。今年も見応えある「大河ドラマ」。佐賀藩士の登場も待っています。
毎週、大河ドラマ「青天を衝け」の冒頭に来る徳川家康にも慣れました。日曜に放送された第5回「栄一、揺れる」。心が騒(ざわ)めく要素が多かったです。
…なお当ブログでは、常に佐賀藩の動きをイメージしますので、記事内に「青天を衝け」には出て来ない場面が多数含まれます。
まだ、ご覧でない方は、ぜひ土曜の再放送か、録画視聴後にお読みいただくと、混乱しにくい…と思います。
――その1つ前、第4回の話から。
有能な幕府官僚として登場する、川路聖謨(演:平田満)が一言。
「それがしの“話術”で要求を躱(かわ)す」と長崎に向かう前に役目を語ります。
“本編”ほかで繰り返し紹介している、長崎へのロシアのプチャーチン来航です。この情報でアメリカのペリーは「ロシアに先を越される!」と焦ります。
年越しの時期。佐賀藩が守る長崎砲台。寒空の下でロシア船を見張る佐賀藩士たち。殿・鍋島直正も現場を訪れ、自ら、餅や酒を振る舞って労ったそうです。
〔参照(後半):
――佐賀藩の警備は充実。これで川路の“話術”も冴える。
川路聖謨は「プチャーチンとは、安心して話が出来た」と感想を持ったようです。
〔参照(中盤):
ロシアとの交渉は一旦終了し、川路たちは佐賀藩の長崎砲台を見学します。
〔参照(前半):
江戸に戻った川路たちが、佐賀藩の働きを絶賛したこともあり、幕府からの“ご褒美”も出ました。国政とは距離を置いていても、佐賀の存在感は強まります。
――そして、第5回。私のイチ押しポイントは…
やはり藤田東湖(演:渡辺いっけい)でしょう。例えば、徳川斉昭(演:竹中直人)に詰め寄られる、老中・阿部正弘(演:大谷亮平)の苦労を描く場面。
〔参照:
阿部正弘は、外国との駆け引きに全神経を削り、憔悴の様子。最初に“黒船”と対峙した国政の実質的責任者。幕末で一番難しい立場だったかもしれません。

――この場面で、藤田東湖が有能さを発揮。
老中・阿部正弘の苦労を考慮し、主君・徳川斉昭の暴走を諫(いさ)める。
…ここで「理想どおりの藤田さまだ!」とテレビの前の私。
また佐賀藩に話を寄せると、これでこそ島義勇が学びに行く価値があります。
この藤田さまと、佐賀の枝吉神陽を“東西の二傑”と評した方もいるようです…とはいえ、枝吉神陽は島義勇と同い年のいとこ。憧れの対象にはなりづらい。
後に“札幌”を創った男・島義勇が「あの人のようになりたい!」と敬愛するのが、藤田東湖…という表現にしました。
〔参照(前半):
――そして“青天”第5回で、最大の事件…
後半、安政年間に群発した巨大地震が題材となりました。
〔参照:
まず、安政の東海地震が描かれます。下田沖では、ロシアのプチャーチン提督が被災。少し前には大坂沖に出現し、京の“攘夷派”を大騒ぎさせたのですが…
津波に遭ったロシア船「ディアナ号」は、損傷により沈んでいきます。長崎でロシアと交渉した、川路聖謨が遭難の救護に当たる姿が印象的でした。
実際、地元・下田の人に助けてもらった、ロシア側の船医が地元の人を診たり…と人道的な風景があったと聞きます。

――続いて、安政の江戸地震の場面…
今回で、藤田東湖の最期が描かれることは予想していました。
ひたすら「東湖(とうこ)!東湖…」と号泣する、水戸さま・徳川斉昭。
こうして“懐刀”を失った“水戸烈公”。次第に水戸藩には暗雲が立ち込めます。
私は「藤田東湖は母を救った後、亡くなった」という説で書きました。佐賀で知らせを聞いた島義勇は落涙。“蝦夷地”探検の決意につながる…という展開に。
〔参照(後半):
「青天を衝け」にあわせ、自分の記事も顧みました。期待した登場人物の描き方に納得です。今年も見応えある「大河ドラマ」。佐賀藩士の登場も待っています。
タグ :大河ドラマ
2021年03月14日
連続ブログ小説「旅立の剣」(21)唐津のレジェンド
こんにちは。
“省エネ”を試みるつもりでしたが、当時の記憶をたどり、後に得た知識も加えて振り返ると、意外に頭を使うようです。
今日は、佐賀市内の大通りから、唐津方面に想いを馳せます。
――時刻は、朝8:00に至った。中央大通りを南進する。
ふだん私は大都市圏の喧騒に疲れ気味だ。朝の整然とした大通りが清々しい。これが佐賀の心映えであるのか、道がキレイなのだ。
佐賀銀行本店の前。金融機関らしく重厚な造りの建物と見える。
「さすが銀行。丈夫そうな建物だな…」
私は単純な感想を持った。
「貴君!その通りだ。建物は頑丈でなくてはな!」

――独り、歩みを進めているはずの私。
真っ直ぐな気配を感じ、車道側に目を向ける。そこには立ち姿のヒゲの御仁。明治期から活躍した、大建築家・辰野金吾(きんご)の銅像だ。
日本銀行本店や、東京駅の設計で著名だ。明治の人たちはこう語ったと聞く。
「なんて丈夫な構造!まるで、辰野“堅固”(けんご)だ!」と。
辰野氏へのリスペクト(敬意)を感じる“ダジャレ”。私はこれを「明治ギャグ」と呼ぶ。ちなみに辰野氏は、同じ佐賀県内でも唐津藩の出身者だ。
――隣に座るのも、エリート唐津藩士の子・曽禰(そね)達蔵。
幕末の江戸生まれ。唐津藩の若殿(藩主名代)・小笠原長行にも可愛がられたとか。明治からの東京で、日本初のオフィス街を築いた方…と、後で知った。
「辰野さん。相変わらず…貴方は熱い男ですね。」
西洋の新工法は、いち早く実験したという曽禰達蔵。クールで知性派な印象だ。
曽禰氏が設計する“ビルヂング”は、近代的な“丸の内”の街を形作っていく。ちょっと余裕のある座り姿。言われてみれば、都会的でスタイリッシュに思える。
――明治期に、佐賀藩士たちは情報通信などのインフラを整えた。
そして唐津藩士たちは近代建築の方面に突き進み、レジェンド(伝説的存在)となっていく。やはり佐賀は面白い。
…私は確信した。「朝食の時間も惜しんで、調査を始めた甲斐があった!」と。
(続く)
“省エネ”を試みるつもりでしたが、当時の記憶をたどり、後に得た知識も加えて振り返ると、意外に頭を使うようです。
今日は、佐賀市内の大通りから、唐津方面に想いを馳せます。
――時刻は、朝8:00に至った。中央大通りを南進する。
ふだん私は大都市圏の喧騒に疲れ気味だ。朝の整然とした大通りが清々しい。これが佐賀の心映えであるのか、道がキレイなのだ。
佐賀銀行本店の前。金融機関らしく重厚な造りの建物と見える。
「さすが銀行。丈夫そうな建物だな…」
私は単純な感想を持った。
「貴君!その通りだ。建物は頑丈でなくてはな!」
――独り、歩みを進めているはずの私。
真っ直ぐな気配を感じ、車道側に目を向ける。そこには立ち姿のヒゲの御仁。明治期から活躍した、大建築家・辰野金吾(きんご)の銅像だ。
日本銀行本店や、東京駅の設計で著名だ。明治の人たちはこう語ったと聞く。
「なんて丈夫な構造!まるで、辰野“堅固”(けんご)だ!」と。
辰野氏へのリスペクト(敬意)を感じる“ダジャレ”。私はこれを「明治ギャグ」と呼ぶ。ちなみに辰野氏は、同じ佐賀県内でも唐津藩の出身者だ。
――隣に座るのも、エリート唐津藩士の子・曽禰(そね)達蔵。
幕末の江戸生まれ。唐津藩の若殿(藩主名代)・小笠原長行にも可愛がられたとか。明治からの東京で、日本初のオフィス街を築いた方…と、後で知った。
「辰野さん。相変わらず…貴方は熱い男ですね。」
西洋の新工法は、いち早く実験したという曽禰達蔵。クールで知性派な印象だ。
曽禰氏が設計する“ビルヂング”は、近代的な“丸の内”の街を形作っていく。ちょっと余裕のある座り姿。言われてみれば、都会的でスタイリッシュに思える。
――明治期に、佐賀藩士たちは情報通信などのインフラを整えた。
そして唐津藩士たちは近代建築の方面に突き進み、レジェンド(伝説的存在)となっていく。やはり佐賀は面白い。
…私は確信した。「朝食の時間も惜しんで、調査を始めた甲斐があった!」と。
(続く)
2021年03月12日
連続ブログ小説「旅立の剣」(20)その時、これから
こんばんは。
一昨年、2019年10月。私は、“新型コロナ”という言葉も知りませんでした。
気兼ねなく“お祭り”を楽しめた日々。このシリーズでは“タイムカプセル”のように表現できたらと思います。まずは「帰らんば、あの世界へ」と願いを込めて。

――当時、佐賀駅南口で工事中の現場を見かけた。
2021年現在では、すっかり馴染みのお店という方もいるだろう。複合商業施設「コムボックス」の建設中の姿だ。
私は“この場所”にあった大型スーパー「西友」がお気に入りだった。佐賀駅前に、夜も遅くまで空いていた。
入院した親族の見舞いなど、佐賀市内に用事がある時の心のオアシス。郷里から遠く離れた地で「西友閉店」の報を聞き、私はひどく落胆した。
――佐賀駅前に、“新たな力”が還ってくる…
「ここが、過ぎ去りし日々を…取り返してくれるかな。」
期待の目線で、建設工事中の鉄骨を見つめた。
ちょうど前夜。観光協会の入るビル「エスプラッツ」に立ち寄った私。そのとき、同じフロアで展示されていた“昭和の風景”の写真パネルも見ていた。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(17)誇りを取り戻せ〕
かつて佐賀市の中心街が、極めて華やかだった頃の姿は、私の心を捉えた。“いま一度”見てみたい世界が増えていく。

――話は、大通りを南に歩む、朝7:55に戻る。
「すべては、第一歩からだ…」
朝の風が涼しい秋だった。並木道を進み、“駅前まちかど広場”に至った。
幕末期、佐賀藩で活躍した賢人たちの銅像が集う。気分が高揚する場所だ。
ブログでの情報発信を始めていなかった時期。私は「どこかでプレゼンでも試みるか…」と資料づくりを進めた。“調査”の一環で、写真も撮り溜めた。
…後にブログを始めるうえで、この行動が活きるのはご覧の通りである。
(続く)
一昨年、2019年10月。私は、“新型コロナ”という言葉も知りませんでした。
気兼ねなく“お祭り”を楽しめた日々。このシリーズでは“タイムカプセル”のように表現できたらと思います。まずは「帰らんば、あの世界へ」と願いを込めて。
――当時、佐賀駅南口で工事中の現場を見かけた。
2021年現在では、すっかり馴染みのお店という方もいるだろう。複合商業施設「コムボックス」の建設中の姿だ。
私は“この場所”にあった大型スーパー「西友」がお気に入りだった。佐賀駅前に、夜も遅くまで空いていた。
入院した親族の見舞いなど、佐賀市内に用事がある時の心のオアシス。郷里から遠く離れた地で「西友閉店」の報を聞き、私はひどく落胆した。
――佐賀駅前に、“新たな力”が還ってくる…
「ここが、過ぎ去りし日々を…取り返してくれるかな。」
期待の目線で、建設工事中の鉄骨を見つめた。
ちょうど前夜。観光協会の入るビル「エスプラッツ」に立ち寄った私。そのとき、同じフロアで展示されていた“昭和の風景”の写真パネルも見ていた。
〔参照:
かつて佐賀市の中心街が、極めて華やかだった頃の姿は、私の心を捉えた。“いま一度”見てみたい世界が増えていく。
――話は、大通りを南に歩む、朝7:55に戻る。
「すべては、第一歩からだ…」
朝の風が涼しい秋だった。並木道を進み、“駅前まちかど広場”に至った。
幕末期、佐賀藩で活躍した賢人たちの銅像が集う。気分が高揚する場所だ。
ブログでの情報発信を始めていなかった時期。私は「どこかでプレゼンでも試みるか…」と資料づくりを進めた。“調査”の一環で、写真も撮り溜めた。
…後にブログを始めるうえで、この行動が活きるのはご覧の通りである。
(続く)
2021年03月10日
連続ブログ小説「旅立の剣」(19)2日目の朝
こんばんは。
しばらく気力および時間の不足を補うために、“連続ブログ小説”を再開します。平たく言えば、私の旅日記なので、あまり中身はありません。
普段より格段に調べ物が少ないので、私には“省エネ”の効果が期待できます。時おり、他の投稿も織り交ぜながら、進めていく予定です。
昨年の晩秋に掲載していた「連続ブログ小説」ですが、その第3シリーズ。
題材は2019年10月に、私が佐賀での現地調査を行ったときの話です。
――1泊2日。わずか30時間程度の滞在。
昨夜、佐賀玉屋で購入したシシリアンライスは美味だった。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(18)憩いのシシリアン〕
「この旅のうちに…もう一度、“シシリアン”が食べたい!」
早朝に目が覚めた。昨日は、佐野常民や大隈重信の記念館など、佐賀市営バスで一日駆け回った。
簡単に故郷に帰れない私に、県内で調べ物ができる機会は少ない。今まで佐賀の歴史スポットを見聞するのは、帰省ついでの余った時間に限られていた。

――今回は調査のために、無理に作った時間だ。
「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を志す者にとって、佐賀は“聖地”である。それゆえ私には、その“聖地”にいる間に為すべきことがある。
のんびり寝ている暇など無い。朝食の時間を削ってでも、外に出ねば。早々と、出立の準備を整える。名残り惜しい事だが、すでに帰り支度を兼ねている。
…書物や映像の情報では、感じ取れないものがある。少しでも、佐賀の空気に触れる時間を多く持つべきだ。
――佐賀駅前の南口。時刻は朝7:50。
その日は、佐賀城公園の秋イベント。私の目的は「第2回さが維新まつり」だ。周辺では「さがさいこうフェス」と「タイフェス」も同時開催のようで賑わうだろう。
…とはいえ土曜の午前で、街はまだ動き出してはいない時間。人通りも少ない。朝の涼しい風に触れた。
タクシーのりばと駅のコンビニ。ありふれた風景は“非日常”への入口だった。
(続く)
しばらく気力および時間の不足を補うために、“連続ブログ小説”を再開します。平たく言えば、私の旅日記なので、あまり中身はありません。
普段より格段に調べ物が少ないので、私には“省エネ”の効果が期待できます。時おり、他の投稿も織り交ぜながら、進めていく予定です。
昨年の晩秋に掲載していた「連続ブログ小説」ですが、その第3シリーズ。
題材は2019年10月に、私が佐賀での現地調査を行ったときの話です。
――1泊2日。わずか30時間程度の滞在。
昨夜、佐賀玉屋で購入したシシリアンライスは美味だった。
〔参照:
「この旅のうちに…もう一度、“シシリアン”が食べたい!」
早朝に目が覚めた。昨日は、佐野常民や大隈重信の記念館など、佐賀市営バスで一日駆け回った。
簡単に故郷に帰れない私に、県内で調べ物ができる機会は少ない。今まで佐賀の歴史スポットを見聞するのは、帰省ついでの余った時間に限られていた。
――今回は調査のために、無理に作った時間だ。
「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を志す者にとって、佐賀は“聖地”である。それゆえ私には、その“聖地”にいる間に為すべきことがある。
のんびり寝ている暇など無い。朝食の時間を削ってでも、外に出ねば。早々と、出立の準備を整える。名残り惜しい事だが、すでに帰り支度を兼ねている。
…書物や映像の情報では、感じ取れないものがある。少しでも、佐賀の空気に触れる時間を多く持つべきだ。
――佐賀駅前の南口。時刻は朝7:50。
その日は、佐賀城公園の秋イベント。私の目的は「第2回さが維新まつり」だ。周辺では「さがさいこうフェス」と「タイフェス」も同時開催のようで賑わうだろう。
…とはいえ土曜の午前で、街はまだ動き出してはいない時間。人通りも少ない。朝の涼しい風に触れた。
タクシーのりばと駅のコンビニ。ありふれた風景は“非日常”への入口だった。
(続く)