2020年06月11日
第11話「蝦夷探検」③(“懐刀”の想い)
こんばんは。
島義勇の江戸勤めは、留学でもあります。この頃、同い年(従兄弟)の枝吉神陽は、佐賀で「義祭同盟」を主導し、若者たちを率いています。
一方、島義勇は学問も修業中。しかし、水戸の藤田東湖(とうこ)のもとで学んでいることが好機となります。
殿・鍋島直正の愛娘・貢姫さまの縁談の調整という大役を任されます。
――島義勇は“先生”でもある、水戸の藤田東湖を訪ねた。
水戸藩と言えば、攘夷派。徳川斉昭の“懐刀”が藤田である。
「此度、露西亜(ロシア)の船が、大坂を騒がせたと聞く。」
日米和親条約の締結後、ロシアも日本と条約を結ぶため動いた。新鋭艦“ディアナ号”に乗り換え、プチャーチン提督が再来したのである。
「やはり彼の国は油断ならぬ。畏れ多くも京の都に近づくとは…」
大坂は、天子様(天皇)の御所のある京都に近い。尊王の志高い、藤田東湖には、ロシアの接近が許せないようだ。
ロシア船の出現は、京の都に衝撃を与え、攘夷の機運は高まったのである。
ロシア側には、イギリス・フランスと戦争中という事情もあった。敵国船と遭遇しては面倒である。まず箱館(函館)に乗り込み、次いで大坂に来航し、幕府に交渉を求めたという展開だった。
――水戸の藤田東湖は貫禄がある。“団にょん”こと島義勇は、お話を聞く一方である。
「先だっては佐賀の“台場”が、露西亜(ロシア)に睨みを利かせておったな。」
長崎で、幕府がプチャーチンと交渉した際には、佐賀藩が築いた砲台で警戒にあたっていた。

「やはり鍋島の殿には、先見の明がある。」
「その殿に大役を任されるとは、島どのには見込みがあると言うことじゃ。」
「いえ、私などは…」
「謙遜をするな。お主のまっすぐな心…至誠が、殿にも届くのであろう。」
「同輩の枝吉神陽に比べれば、遥かに及びませぬ。」
「はっはっは…神陽には際立った才があるからな。」
藤田東湖にも同じ国学者として、枝吉神陽には期待するところがあるらしい。
――当時、まだ若い佐賀の枝吉神陽を、大思想家・水戸の藤田東湖と並ぶ“東西の二傑”と語る者もいたようだ。
「しかし、島よ。お主にも神陽には無い力があるぞ。」
「…藤田先生!勿体ないお言葉です。」
「本日の用向きは確かに承った!話を進めておこう。」
藤田東湖の評判は、学者としてだけではない。
徳川斉昭を筆頭として過激な水戸藩。幕政で力を発揮できるのは、藤田の実務能力によるところが大きい。
「川越の直侯(なおよし)様を通じて、水戸と佐賀が“縁続き”となれば、この国のためにもなろう!」
「ありがたきことにございます。」
島による「貢姫さまのご縁組み」の調整は順調である。殿にも良い報告ができそうだ。
――水戸藩邸からの帰り道。“団にょん”は考える。
「藤田先生…ご立派な方だ。あの水戸様の“懐刀”であられる…」
水戸の徳川斉昭は、極論で突き進み、それだけ敵も多い。側近の力量が問われるのだ。
「ワシも…必ずや殿のお役に!」
藤田東湖が水戸様の“懐刀”であるように、島も殿のために働きたいと考えた。
「しかし一体、ワシに何の力があると言うのだ…」
藤田先生からも「枝吉神陽には無い力」の示唆を受けた。以前、神陽本人からも同じ事を言われている。
考えあぐねた“団にょん”は、遠く北の空を見遣った。

――江戸の藩邸。もうすぐ国元(佐賀)に帰る、殿・鍋島直正。
「島によれば、姫の縁組みの話は滞りなく進んでおるようだ。」
「では…輿入れの“お守り刀”など、仕度も始めて参りましょうか。」
古川与一(松根)は、次の準備に取り掛かろうとする。
「…うむ。与一の見立てなれば間違いはなかろう。任せる。」
「殿…お気が進みませんか。」
――直正が、先ほど貢姫から手渡しされた“お守り袋”。
貢姫は、佐賀に戻る直正に“お手製”の品を贈る。
「お父上様、国元にお持ちになってくださいませ。」
「おおっ、これは…」
「“蛇除けのお守り”にございます!」
「此度の物は、自信がございます。長く効くと良いですね。」
「おおっ、これは効きそうじゃ。大事に致すぞ。」
直正、娘からの贈り物を受け取り、短く別れの挨拶をする。
――直正は、与一に“お守り袋”受取りの顛末(てんまつ)を語った。
「これは!見事な刺繍(ししゅう)にございますな…」
古川与一、芸術肌の人物として審美眼には定評がある。
「いやいや…貢姫様、手細工が頗る(すこぶる)優れておられるとは、思うておりましたが…」
「与一よ、それは匠の品ではないぞ。儂のための“お守り袋”じゃ。」
「儂は肌身離さず、この“お守り”を持つぞ!」
「ええ、そうですとも…殿は、ヘビが大層お嫌いでございますから…」
「そうじゃ、与一!相変わらず、よくわかっておるのう!」
殿・鍋島直正、縁談が整いつつある愛娘を置いて、佐賀に帰るのが寂しいのだ。
「ええ、殿…」
古川与一、もらい泣きの涙目である。誰よりも殿の気持ちがわかる側近なのであった。
(続く)
島義勇の江戸勤めは、留学でもあります。この頃、同い年(従兄弟)の枝吉神陽は、佐賀で「義祭同盟」を主導し、若者たちを率いています。
一方、島義勇は学問も修業中。しかし、水戸の藤田東湖(とうこ)のもとで学んでいることが好機となります。
殿・鍋島直正の愛娘・貢姫さまの縁談の調整という大役を任されます。
――島義勇は“先生”でもある、水戸の藤田東湖を訪ねた。
水戸藩と言えば、攘夷派。徳川斉昭の“懐刀”が藤田である。
「此度、露西亜(ロシア)の船が、大坂を騒がせたと聞く。」
日米和親条約の締結後、ロシアも日本と条約を結ぶため動いた。新鋭艦“ディアナ号”に乗り換え、プチャーチン提督が再来したのである。
「やはり彼の国は油断ならぬ。畏れ多くも京の都に近づくとは…」
大坂は、天子様(天皇)の御所のある京都に近い。尊王の志高い、藤田東湖には、ロシアの接近が許せないようだ。
ロシア船の出現は、京の都に衝撃を与え、攘夷の機運は高まったのである。
ロシア側には、イギリス・フランスと戦争中という事情もあった。敵国船と遭遇しては面倒である。まず箱館(函館)に乗り込み、次いで大坂に来航し、幕府に交渉を求めたという展開だった。
――水戸の藤田東湖は貫禄がある。“団にょん”こと島義勇は、お話を聞く一方である。
「先だっては佐賀の“台場”が、露西亜(ロシア)に睨みを利かせておったな。」
長崎で、幕府がプチャーチンと交渉した際には、佐賀藩が築いた砲台で警戒にあたっていた。
「やはり鍋島の殿には、先見の明がある。」
「その殿に大役を任されるとは、島どのには見込みがあると言うことじゃ。」
「いえ、私などは…」
「謙遜をするな。お主のまっすぐな心…至誠が、殿にも届くのであろう。」
「同輩の枝吉神陽に比べれば、遥かに及びませぬ。」
「はっはっは…神陽には際立った才があるからな。」
藤田東湖にも同じ国学者として、枝吉神陽には期待するところがあるらしい。
――当時、まだ若い佐賀の枝吉神陽を、大思想家・水戸の藤田東湖と並ぶ“東西の二傑”と語る者もいたようだ。
「しかし、島よ。お主にも神陽には無い力があるぞ。」
「…藤田先生!勿体ないお言葉です。」
「本日の用向きは確かに承った!話を進めておこう。」
藤田東湖の評判は、学者としてだけではない。
徳川斉昭を筆頭として過激な水戸藩。幕政で力を発揮できるのは、藤田の実務能力によるところが大きい。
「川越の直侯(なおよし)様を通じて、水戸と佐賀が“縁続き”となれば、この国のためにもなろう!」
「ありがたきことにございます。」
島による「貢姫さまのご縁組み」の調整は順調である。殿にも良い報告ができそうだ。
――水戸藩邸からの帰り道。“団にょん”は考える。
「藤田先生…ご立派な方だ。あの水戸様の“懐刀”であられる…」
水戸の徳川斉昭は、極論で突き進み、それだけ敵も多い。側近の力量が問われるのだ。
「ワシも…必ずや殿のお役に!」
藤田東湖が水戸様の“懐刀”であるように、島も殿のために働きたいと考えた。
「しかし一体、ワシに何の力があると言うのだ…」
藤田先生からも「枝吉神陽には無い力」の示唆を受けた。以前、神陽本人からも同じ事を言われている。
考えあぐねた“団にょん”は、遠く北の空を見遣った。

――江戸の藩邸。もうすぐ国元(佐賀)に帰る、殿・鍋島直正。
「島によれば、姫の縁組みの話は滞りなく進んでおるようだ。」
「では…輿入れの“お守り刀”など、仕度も始めて参りましょうか。」
古川与一(松根)は、次の準備に取り掛かろうとする。
「…うむ。与一の見立てなれば間違いはなかろう。任せる。」
「殿…お気が進みませんか。」
――直正が、先ほど貢姫から手渡しされた“お守り袋”。
貢姫は、佐賀に戻る直正に“お手製”の品を贈る。
「お父上様、国元にお持ちになってくださいませ。」
「おおっ、これは…」
「“蛇除けのお守り”にございます!」
「此度の物は、自信がございます。長く効くと良いですね。」
「おおっ、これは効きそうじゃ。大事に致すぞ。」
直正、娘からの贈り物を受け取り、短く別れの挨拶をする。
――直正は、与一に“お守り袋”受取りの顛末(てんまつ)を語った。
「これは!見事な刺繍(ししゅう)にございますな…」
古川与一、芸術肌の人物として審美眼には定評がある。
「いやいや…貢姫様、手細工が頗る(すこぶる)優れておられるとは、思うておりましたが…」
「与一よ、それは匠の品ではないぞ。儂のための“お守り袋”じゃ。」
「儂は肌身離さず、この“お守り”を持つぞ!」
「ええ、そうですとも…殿は、ヘビが大層お嫌いでございますから…」
「そうじゃ、与一!相変わらず、よくわかっておるのう!」
殿・鍋島直正、縁談が整いつつある愛娘を置いて、佐賀に帰るのが寂しいのだ。
「ええ、殿…」
古川与一、もらい泣きの涙目である。誰よりも殿の気持ちがわかる側近なのであった。
(続く)
Posted by SR at 21:04 | Comments(0) | 第11話「蝦夷探検」
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