2021年03月05日

「“鎖国”してたね?(鎖国編)」

こんばんは。
以前、大河ドラマ青天を衝け」の冒頭が気になる…という話をしました。

「こんばんは、徳川家康です。私の開いた江戸幕府は、よく『鎖国してたね?』なんて言われますが…」(第2回「栄一、踊る」より)

初回で「日本の歴史」を紹介したかと思えば、そのあとも天下御免で登場。さすが“天下人”ですが、この家康公は気難しい感じもなく親しみやすい印象です。


――もうすぐ、新年度。出会いの季節でもあります。

私はこの家康公(演:北大路欣也)がすでに毎週楽しみです。「新しい職場学校でも、あっと言う間に人気者」という、親しみやすい家康像(?)でしょうか。

なんだか友達多そう。たくさんの人から「鎖国してたね?」と言われている感じの、家康公…さて、ここからが本題ですが、『鎖国開国』をテーマに考えます。




――まず『鎖国』を教科書っぽく。一言で語ると…

江戸幕府の「キリスト教禁圧」と「対外関係制限」の政策…でしょうか。

鎖国』が完成に向かうのは、1633年1639年頃。日本船海外渡航の禁止外国船が来航する港の限定が徹底されます。


――途中、1637年「島原の乱」が起きます。

西九州での戦いなので、佐賀藩兵も前線に出ることに。キリスト教徒の結束を見せつけられ、幕府はさらに警戒を強めます。

幕府布教の思惑ありと判断したか、1639年にはポルトガル船は来航禁止。ヨーロッパの国では、“商売第一”のオランダとだけ交易を続けます。


――1641年。オランダ人も平戸から、長崎・出島に移されます。

この6年ほど前、(中国)船も長崎港への来航に制限されているので、これで鎖国完成と言ってよいでしょう。日本表玄関は、長崎だけ…になりました。

でも、家康公が語ったように。長崎以外にも、大名を通じた交易ルート3箇所あることは知られています。
〔参照(後半):「幕末佐賀と4つの“口”」



――江戸期を通じて、表玄関・長崎の警備担当は…

佐賀藩福岡藩が、原則1年交代で務めました。莫大な費用がかかりますが、進んだ西洋の情報に触れることができました。

ちなみに、この2つの藩。有力な外様大名なので、監視役が付きます。幕府寄りの大名が入った唐津藩が、警備担当の2藩の動きを見張ります。


――そうです、その唐津藩も現在は“佐賀県”(唐津市周辺)です。

ちなみに“本編第16話は「攘夷沸騰」というタイトルで考えています。いつから開始できるかは未定です。

そろそろ唐津藩ゆかりの方々の登場も狙っております。“佐賀県”を徹底して描くと、幕末という時代が浮かび上がってくる…そんな話も書いてみたいです。
〔参照(後半):「主に唐津市民の方を対象にしたつぶやき」



  


Posted by SR at 22:32 | Comments(0) | 出来事編(E)