2020年12月10日

「あゝ西洋菓子(東)」

こんばんは。
何とか開設1周年を迎えた、当ブログ。しかし、例の感染症の蔓延はこの間も、不穏な影を落とし続けていました。

今、大都市圏に住む私にとって、かなり危うい状況なのは言うまでもありません。ここは気持ちを切り替え、12月らしい西洋菓子の話(?)を…


――朝、仕事に向かう。最近では電車に乗るのも億劫(おっくう)だ。

「どうした、浮かない顔だな。今日も創意工夫で乗り切れ!」
声の主右手に持つのは、キャラメル菓子の箱だ。

「それは、一粒300メートルで有名な…グリコ?」
おまけに“創意工夫”は、この方の会社の大事な精神らしい。

「そうだとも。おいしくてつよくなるぞ!」
力強い“ビスコ”のキャッチコピーだ。よく買う江崎グリコの商品。

「おおっ。その言葉を聞くだけで、何やら少し力が湧く…。」

「あゝ西洋菓子(東)」

――以上が朝の電車で、まだボーっとしている私の妄想。

行きの電車を待つ間に調べたのは、佐賀市蓮池町)出身の偉人・江崎利一。言うまでもなく、江崎グリコ創業者様です。

その生まれは1882年(明治十五年)。当ブログの“本編”の現在地より、20年以上も現代に近づきます。

明治政府から追われた大隈重信が、負けじと政党を結成したり、学校(のちの早稲田大学)を創ったりと頑張っている時期です。


――佐賀の蓮池。江崎家は、薬種(生薬)を商う家。

各家庭を回り、健康相談をして生薬を売る事業だったそうです。江崎家はあまり裕福では無く、しかも早くに父を亡くした長男利一は、一家を背負う立場に。

「俺は長男だから耐えられる。もし次男だったら耐えられなかった。」
…とばかりに家族を支えていったようです。

「あゝ西洋菓子(東)」

――わかる人にはわかりますが、先ほどのセリフには“元ネタ”があります。

そして大正期。その“元ネタ”である流行りのアニメ(鬼滅の刃)の舞台でもある時代。こちらも、健気に頑張る長男江崎利一にも転機が訪れます。

佐賀蓮池は、有明海にも近い場所。有明牡蠣(カキ)は有名ですが、利一は捨てられているカキ煮汁に着目します。

「“薬種”の新聞で見た“グリコーゲン”が抽出できるのでは?」


――おそらくは、有明海の力を味方に付けた、この瞬間。

現在の江崎グリコへのが始まったのでしょう。
こうして“滋養強壮”の目的を持つお菓子“グリコ”が誕生します。

虚弱な人だけでなく、いま健康な人にも病気予防を。

現代でも“10万人あたりの調剤薬局数が全国一”という佐賀の人らしい着想だったのかもしれません。




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Posted by SR at 22:23 | Comments(0) | 企画案・雑記帳
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