2021年03月18日

連続ブログ小説「旅立の剣」(22)大きな河になれ

こんばんは。

わずか数分の出来事でも、後につながる時間があるようです。
2019年の秋、佐賀市中央大通りを南に進む私。


――朝8:03。中央大通りを“唐人町”付近に至る。

小城の書家・中林梧竹の銅像がある。
大通りに面する、佐賀の偉人たちの銅像は、大体が2人一組である。

しかし、この唐人町の広場に佇む“小城の書聖”は1人だ。
「何だか、さびしいな…」

私はブログを始めてから、この認識を改めることになる。
…この状態は“集中”と呼ぶのがふさわしい!と。

それに書家としても著名な、副島種臣ともつながりがある。私が言いたいことは「中林先生は1人じゃない…」ということだ。
〔参照(前半):「主に小城市民の皆様を対象としたつぶやき 2」


――朝8:07。“唐人町”を進み、道路の向かい側。

今度は“社会教育家”とジャンル付けされた2人の銅像が並ぶ。

は、鹿島の出身で“青年団”の活動を全国に広めた、田澤義鋪
その時点の私には情報の持ち合わせが無く、何も感じなかった。

田澤氏の持っていた情熱は、ある演劇で知ることになる。
〔参照(前半):佐賀城からのライブ配信の感想など④⑤

連続ブログ小説「旅立の剣」(22)大きな河になれ

――右隣は、田澤の思想に共鳴した“小説家”。

神埼の出身。「次郎物語」を著した下村湖人
佐賀ローカルで語れば、鹿島から神埼へ響き合っている。

他地域の人にざっくり説明すると、佐賀県内西から東へのイメージだ。

時代がまだ昭和だった頃。幾度か映画化もされていた「次郎物語」。
私には、さだまさしが主題歌「男は大きな河になれ」を歌った、比較的新しい作品の記憶がある。


――この主題歌は個人的に、名曲だと思っている。

原曲はチェコの音楽家スメタナ。交響詩「わが祖国」の第2曲だったか…

この曲に長崎出身さだまさし映画の主題歌として、詩を付けたと聞く。
次郎物語」をきっかけに思い出し、聴き返してみた。

せつないことがあったなら~♪」
辛い事があった時に大きく叫んで雲を呼び、さらにその雲が覆えないほどの人物になれと説く。


――苦しい時こそ、意地を張れ。

目をそらさずに雨を見て、泣かずに雨を集めて
そして「男は大きな河になれ」と結ぶのである。

あらためて聴き返すと、私には佐賀平野風景が浮かぶ。
佐賀神埼)が舞台の物語をイメージして作られたから…なのだろうか。

青年人格を育む“教養小説”として書かれた「次郎物語」。
歳を重ねて、いま一度顧みると、大きな発見があるかもしれない。


(続く)





同じカテゴリー(連続ブログ小説「旅立の剣」第3シリーズ)の記事画像
連続ブログ小説「旅立の剣」(40)いつの日か佐賀で
連続ブログ小説「旅立の剣」(39)走らんね!
連続ブログ小説「旅立の剣」(38)肥前の品格
連続ブログ小説「旅立の剣」(37)佐賀の者の誇り
連続ブログ小説「旅立の剣」(36)始まりの予感
連続ブログ小説「旅立の剣」(35)幕末の風が吹く
 連続ブログ小説「旅立の剣」(40)いつの日か佐賀で (2021-05-09 17:23)
 連続ブログ小説「旅立の剣」(39)走らんね! (2021-05-07 22:40)
 連続ブログ小説「旅立の剣」(38)肥前の品格 (2021-05-05 17:51)
 連続ブログ小説「旅立の剣」(37)佐賀の者の誇り (2021-05-03 21:58)
 連続ブログ小説「旅立の剣」(36)始まりの予感 (2021-04-29 19:32)
 連続ブログ小説「旅立の剣」(35)幕末の風が吹く (2021-04-27 22:35)

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。