2021年01月03日
第15話「江戸動乱」①(“新聞”の夜明け)
こんばんは。
江戸時代、アメリカのホテルに滞在する侍たち。
海を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。
今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。
――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。
ホテルのロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道の旅籠(はたご)という時代だ。
その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
「我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」
アメリカに渡った幕府の使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。
――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。
「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。
当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。
ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿・鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。
――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。
西洋は写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。
「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。
もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。

――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。
「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。
当時の日本では上背のある方だ。
「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。
――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。
「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。
“ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎。
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」
――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…
現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。
福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」
「そがんか!民も“ニューズぺーバー”で、世の動きを知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。
…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。
(続く)
江戸時代、アメリカのホテルに滞在する侍たち。
海を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。
今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。
――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。
ホテルのロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道の旅籠(はたご)という時代だ。
その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
「我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」
アメリカに渡った幕府の使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。
――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。
「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。
当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。
ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿・鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。
――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。
西洋は写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。
「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。
もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。
――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。
「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。
当時の日本では上背のある方だ。
「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。
――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。
「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。
“ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎。
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」
――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…
現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。
福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」
「そがんか!民も“ニューズぺーバー”で、世の動きを知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。
…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。
(続く)
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