2020年04月11日
第8話「黒船来航」③
こんばんは。
現在、放映中の大河ドラマ「麒麟がくる」の時代から、ちょうど300年後の幕末。今回の舞台は京都です。
前回、佐賀の神埼出身の師匠・伊東玄朴から塾を破門され、江戸を去った佐野栄寿(常民)。
ご紹介した“蘭学辞書”質入れ事件の真相は、謎のままです。
しかし、国を憂い、人に優しい佐野常民ならば「たぶんこうだったんじゃないか…」とか考えます。
――時は1851年。江戸から出た佐野栄寿、途方に暮れていた。
「さて、どがんすっかね…」
佐野は藩内で受けた“密命”を忘れていたわけではなかった。
江戸ならば、優れた技術者をスカウトできるだろう…と様々な集会に出席し始めたのである。
しかし、途中からコースアウトしてしまい“尊王思想”の集会で「こん日本をどがんかすっとばい!」と気勢を上げたこともあった。
――医者としても、“いい人”をやり過ぎたようだ。
「薬代はよかけん!美味かもんでも食べて、養生せんね!」
佐野、カッコよく医者をする。
「ありがとう!えいじゅせんせい!!」
小さい女の子に感謝される、佐野。
「おいらも、大きくなったら先生みたいになります!」
男の子に憧れられる、佐野。
「よかごたね!よく学問をせんばならんよ!」
なぜか、江戸の子供たちとしゃべる時に“佐賀ことば”全開になる佐野。
――結果、金は幾らあっても足りなかった…
師匠・伊東玄朴の“お情け”で処罰はされず、何とか体裁を保った佐野。
「はぁ~。とりあえず京都に戻るか…」
つぶやく言葉にも覇気がない。
背中を丸め、東海道をトボトボと歩いていく佐野栄寿。

――京都。佐野が以前学んだ“時習堂”がある。2年前ちょっと前、佐野を見送った学友2人が京の街に出ている。
「あれから栄寿、どうしとるんやろな。」
化学の研究を続ける“京都人”・中村奇輔である。
「まぁ江戸で、ええ医者になっちゃったやろ。あいつ、よう学びよるしな。」
丹後田辺(舞鶴)出身。翻訳家・石黒寛次。
「…それがですね。江戸で師匠から破門されました。」
京都での学生時代のように、いきなり話に加わっている、佐野栄寿。
「えー、そんなわけ無いやろ!…って、佐野!なんでここに居るねん!」
やや気づくのが遅れたが、石黒が驚く。
「佐野はん…!いつ京都に?」
“京都人”の化学者・中村が続く。
――佐野は江戸にいる間、スカウトに値する技術人材を求めて走り回っていた。
そして、最初に来た京都で、“化学者”と“翻訳家”と友達だったことに、今頃、気づいたのである。
「ところで、2人に話があるのですが…」
落ち着く間もなく、佐野が本題に入る。
「なんや!唐突に。」
翻訳家・石黒寛次。本日はびっくりする役回りのようだ。
「お主ら、佐賀に来んね?」

――佐野は、いきなり佐賀での“就職話”を切り出した。
学友2人が、佐野の急な“お誘い”に動揺しているところに、また1人。
今度は“髭のおじさん”が京の往来を行く。
「おや、石黒さんに、中村さんじゃなかですか。」
“髭のおじさん”田中久重が現れた。
50歳を過ぎてから、“時習堂”に入門し、石黒・中村と机を並べ、蘭学を学ぶ。
「そちらは…儂を広瀬先生にご紹介いただいた方じゃなかね?」
「佐野栄寿です。肥前佐賀の者です。」
「そうそう、栄寿さんじゃった。儂は田中久重。前にも名乗ったかのう。」
田中は久留米(福岡)出身。名は“からくり儀右衛門”と言った方が通りが良いかもしれない。
――“からくり”の専門家である機械技術者・田中久重。後に“東芝”という企業を創始する人物。
「今日は、儂の新しい“作品”をお披露目するんじゃ。」
見るからに多数の機能を持つ、機械じかけの置時計を示す田中。これは“万年時計”の名で知られる「万年自鳴鐘」である
「蘭学を学べば、このような物も作れる!」
田中久重は、誇らしげに語った。季節ごとの日照時間の長短で変化する“和暦”を自動で表示できる、画期的な発明だった。
「凄かです!“からくり”どの!佐賀に来んですか?」
佐野栄寿(常民)。幕末の名スカウトとして知られる人物。
こうして“翻訳”、“化学”、“機械”の専門家に、佐賀への「Iターン就職」を勧める佐野。既に“蒸気機関”製作のチームアップにほぼ成功していたのである。
(続く)
現在、放映中の大河ドラマ「麒麟がくる」の時代から、ちょうど300年後の幕末。今回の舞台は京都です。
前回、佐賀の神埼出身の師匠・伊東玄朴から塾を破門され、江戸を去った佐野栄寿(常民)。
ご紹介した“蘭学辞書”質入れ事件の真相は、謎のままです。
しかし、国を憂い、人に優しい佐野常民ならば「たぶんこうだったんじゃないか…」とか考えます。
――時は1851年。江戸から出た佐野栄寿、途方に暮れていた。
「さて、どがんすっかね…」
佐野は藩内で受けた“密命”を忘れていたわけではなかった。
江戸ならば、優れた技術者をスカウトできるだろう…と様々な集会に出席し始めたのである。
しかし、途中からコースアウトしてしまい“尊王思想”の集会で「こん日本をどがんかすっとばい!」と気勢を上げたこともあった。
――医者としても、“いい人”をやり過ぎたようだ。
「薬代はよかけん!美味かもんでも食べて、養生せんね!」
佐野、カッコよく医者をする。
「ありがとう!えいじゅせんせい!!」
小さい女の子に感謝される、佐野。
「おいらも、大きくなったら先生みたいになります!」
男の子に憧れられる、佐野。
「よかごたね!よく学問をせんばならんよ!」
なぜか、江戸の子供たちとしゃべる時に“佐賀ことば”全開になる佐野。
――結果、金は幾らあっても足りなかった…
師匠・伊東玄朴の“お情け”で処罰はされず、何とか体裁を保った佐野。
「はぁ~。とりあえず京都に戻るか…」
つぶやく言葉にも覇気がない。
背中を丸め、東海道をトボトボと歩いていく佐野栄寿。

――京都。佐野が以前学んだ“時習堂”がある。2年前ちょっと前、佐野を見送った学友2人が京の街に出ている。
「あれから栄寿、どうしとるんやろな。」
化学の研究を続ける“京都人”・中村奇輔である。
「まぁ江戸で、ええ医者になっちゃったやろ。あいつ、よう学びよるしな。」
丹後田辺(舞鶴)出身。翻訳家・石黒寛次。
「…それがですね。江戸で師匠から破門されました。」
京都での学生時代のように、いきなり話に加わっている、佐野栄寿。
「えー、そんなわけ無いやろ!…って、佐野!なんでここに居るねん!」
やや気づくのが遅れたが、石黒が驚く。
「佐野はん…!いつ京都に?」
“京都人”の化学者・中村が続く。
――佐野は江戸にいる間、スカウトに値する技術人材を求めて走り回っていた。
そして、最初に来た京都で、“化学者”と“翻訳家”と友達だったことに、今頃、気づいたのである。
「ところで、2人に話があるのですが…」
落ち着く間もなく、佐野が本題に入る。
「なんや!唐突に。」
翻訳家・石黒寛次。本日はびっくりする役回りのようだ。
「お主ら、佐賀に来んね?」

――佐野は、いきなり佐賀での“就職話”を切り出した。
学友2人が、佐野の急な“お誘い”に動揺しているところに、また1人。
今度は“髭のおじさん”が京の往来を行く。
「おや、石黒さんに、中村さんじゃなかですか。」
“髭のおじさん”田中久重が現れた。
50歳を過ぎてから、“時習堂”に入門し、石黒・中村と机を並べ、蘭学を学ぶ。
「そちらは…儂を広瀬先生にご紹介いただいた方じゃなかね?」
「佐野栄寿です。肥前佐賀の者です。」
「そうそう、栄寿さんじゃった。儂は田中久重。前にも名乗ったかのう。」
田中は久留米(福岡)出身。名は“からくり儀右衛門”と言った方が通りが良いかもしれない。
――“からくり”の専門家である機械技術者・田中久重。後に“東芝”という企業を創始する人物。
「今日は、儂の新しい“作品”をお披露目するんじゃ。」
見るからに多数の機能を持つ、機械じかけの置時計を示す田中。これは“万年時計”の名で知られる「万年自鳴鐘」である
「蘭学を学べば、このような物も作れる!」
田中久重は、誇らしげに語った。季節ごとの日照時間の長短で変化する“和暦”を自動で表示できる、画期的な発明だった。
「凄かです!“からくり”どの!佐賀に来んですか?」
佐野栄寿(常民)。幕末の名スカウトとして知られる人物。
こうして“翻訳”、“化学”、“機械”の専門家に、佐賀への「Iターン就職」を勧める佐野。既に“蒸気機関”製作のチームアップにほぼ成功していたのである。
(続く)
Posted by SR at 13:15 | Comments(0) | 第8話「黒船来航」
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