2019年12月11日

STEP2:幕末の俊英たち

本日はいかがお過ごしでしょうか。

なんとも師走は気忙しいですね…
お手隙のひとときに、ご覧いただければ幸いです。

今回も佐賀駅前「まちかど広場」より賢人たちのご紹介を進めていきます。

幕末の佐賀藩は“七賢人”と呼ばれる偉人たちを、明治の新時代に送り出しています。
いや…むしろ彼らが“明治”を開いたと言えるかもしれません。

ブログ開設までに、高校時代の教科書を部分的に読み直しました。
私が調べた限りでは、当時の掲載されていた内容は…

教科書本文に掲載
鍋島 直正の藩政改革
江藤 新平の“佐賀の乱”
大隈 重信の政党内閣等

教科書注釈に掲載
明治政府で活躍した佐賀の代表者として、江藤大隈以外に
副島 種臣
大木 喬任

以上でした。

今回は、殿(直正公)が期待し、信頼し、ガンガン働かせた…
教科書に載っていた4人が背中を追いかけた“先輩たち”です。



詳細はいずれアツく語ることにしまして、まずはご紹介。
それぞれ、文系理系体育会系の先輩ですね。

まずは、ひときわ目立っている左端が
枝吉 神陽先生

この先輩、“尊王のカリスマ指導者”といえば良いでしょうか。
実は、江藤・大隈・副島・大木…みんな彼の弟子です。

ひときわ通る声は“鐘が鳴るがごとし”と言われ、
江戸に留学すれば、全国の天才・秀才の中でリーダーとなり、
富士山を下駄で登ったとか、まぁ、とんでもない逸話が色々。

名字は違いますが、弟子のうち副島は実弟です。


続いて、中央で椅子に座って耳を傾けているのが
佐野 常民

科学技術の佐賀藩を支えた“万能の研究主任”と言えるでしょう。
もとは医学、続いて佐賀藩の理化学研究所でプロジェクトリーダー。
鉄製大砲をブラッシュアップし、実用蒸気船まで製作。

幕末・明治で万博に出展するわ、戦傷者救護で日本赤十字社は創設するわ

…業績多過ぎるわっ!(怒っちゃダメ)
また、日をあらためます。


そして、右で神陽先生の言葉を受け止めているのが
島 義勇

異国の脅威が身近だった佐賀藩は、日本の北方の守りを固める必要まで考えていました。殿(直正公)はに蝦夷地の探索を命じました。
…無茶振り!?

凍てつく夜には、を抱えて寒さをしのいだと聞いていますdog
大冒険を経て、蝦夷地(北海道)通となった島は、北海道開拓判官となりました。
そして、現在の200万都市“札幌”の建設を始めます。
札幌市役所にはロビーに銅像があるらしいですよ!

随分、長くなってしまいました。
…今宵は、ここまでに致しとうございます。
お読みいただきありがとうございました。  


Posted by SR at 22:36 | Comments(0) | 構成編(P)

2019年12月10日

STEP1:名君の登場まで

こんばんは。

今日は佐賀駅近くの広場より、お送りするイメージでお届けします。



ご登場をいただくのは…我らが殿、鍋島 直正 様。

“名君の教育係”で儒学者の 古賀 穀堂 先生。

佐賀藩の“蘭学兄貴”武雄領主・鍋島 茂義 様です。


まず、向かって左、書物をお持ちの老紳士。
古賀先生からお話をお伺いしましょう。

―ご趣味は?

若君(直正)様の成長じゃな。日々賢くなっていかれるのが、楽しくてならん。」
…まるで、優しいおじいちゃんみたいですね♪

―今後、やってみたいことはありますか?

「勉強しない藩士は処罰したいのう。」
…今度は、怖っ。


―記憶に残っている出来事は?

フェートン号事件じゃの。儂の学んできた儒学では、国は救えんと悟ったのじゃ。」
…それで、実践的な学問を学んで、行政改革や財政再建に役立てたのですね。

「蘭学も学ばねばな。のう、茂義様」
…お話を進めていただき、ありがとうございます。


それでは、向かって右、まさかの“天球儀”をお持ちですか。
鍋島茂義様からも、ご趣味の話などからお聞かせ願えれば。

「苦しゅうない。見てのとおりの“蘭癖”でな。天文学も面白いぞ。」
…なんか欧米ですね~。“蘭癖”とは西洋かぶれの意味ですね。
 あ、失礼しました。


―今後、やってみたいことはありますか?
西洋砲術を極め、佐賀本藩にも伝えていくことだな。」
…まさか武雄地域の領主様が、自ら西洋砲術を!

「そうなのだ。平山ぁぁあ!空から見ておるかっ!」
…えっ!平山さんって誰!?
 いろいろあったみたいですね。差し控えます。


―気を取り直して、記憶に残っている出来事は?

フェートン号事件である!異国の脅威に備える必要を感じた。」
…やはり。ありがとうございました。


そして両隣の2人の影響で、佐賀藩10代藩主・鍋島直正様は
このようになりました。

「私の家臣は、とにかく学ばねばならんのだ!」

「賢い者がおるのか?ただちに蘭学を学ばせよ!!」


幕末において“最強の軍事技術”“最高の実務能力”を兼ね備えた佐賀藩への道がここに開かれたのです。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。  


Posted by SR at 20:30 | Comments(0) | 構成編(P)

2019年12月09日

お話にあたって

本日もお疲れ様です。
最近は冷え込みますね。

寒がりの貴方に、温かくなれそうな佐賀藩のキーワードを贈ります。
反射炉”、鉄製大砲!”、“蒸気機関!”

どうでしょう?少しは暖かくなりましたでしょうか。
いや…むしろ熱いsweat02…というか危ないdanger

さて、本題ですが、幕末の佐賀藩がなぜここまで先進的であったか?

歴史好き各位には愚問であると思いますが、当時の最先端地域であった“長崎”を抜きに語ることはできないと思います。

いわゆる“鎖国”の影響で江戸時代を通じて、西洋文明の窓口と言える場所は長崎に限られていました。
日本の表玄関、長崎の警備には近隣の“佐賀藩”と“福岡藩”が一年交代であたっていました。

そして、1808年(ペリー来航の45年前)に警備を担当していた佐賀藩は、“異国の脅威”に遭遇することになります。

この「フェートン号事件」をざっくり説明すると、国交のないイギリスの船が長崎港に侵入し、オランダ商館員を人質にとって、食料等を要求した事件です。

経費節減のため、バリバリに警備を減らしていた佐賀藩幕府からめっちゃ怒られました。そして、厳しい処分が与えられます。

灯の消えたようになった佐賀城下。
佐賀藩の人々は、他のどの地域より早く、“異国の脅威”を現実のものとして感じ始めたことでしょう。

・・・良く言えば“世界”を見つめることになったのです。

以上を前提に次回以降の投稿を進める予定です。
長文でしたが、ご覧いただいた方ありがとうございました。






  


Posted by SR at 20:41 | Comments(2) | ご挨拶・ご案内

2019年12月08日

敬意をこめて

立て続けの投稿、失礼いたします。

このようなブログを立ち上げるにあたって、どうしても敬意を表しておきたい方々がいます。

皆様は、佐賀城本丸歴史館で毎週日曜日に歴史寸劇が実施されていることをご存じでしょうか。
現時点のパンフレットで参照しますと、観客72,000人を突破とあります。

演じているのは「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の方々です。幾度か拝見しましたが、彼らの芝居は、その場で「面白かった~」だけでなく、“後でメッセージが効いてくる”演劇だと思っています。

たしか5、6年前にパンフレットを見た際には「各地の武将隊に比べ、地味すぎる・・・」と見向きもしていなかったのですが、己の不明を恥じます。

写真は「第2回維新まつり」のものです。この時の演目が「さがんもん」というタイトルなのですが、江藤先生がカッコ良すぎて、しびれましたね・・・。




  


Posted by SR at 19:56 | Comments(0) | ご挨拶・ご案内

2019年12月08日

ご挨拶

はじめまして。

「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」管理人のSRと申します。
唐突なブログタイトルをつけてしまい、大変恐縮です。

私は昔から歴史好きではあったものの、つい最近まで幕末期の佐賀藩の業績には疎く、“平成”から“令和”に時代が変わったあたりから猛ダッシュをかけている新参者です。

とくに佐賀の歴史好きの皆様、よろしくお願いいたします。  


Posted by SR at 17:40 | Comments(0) | ご挨拶・ご案内