2019年12月21日

「島義勇」(賢人その3)<後編>

こんばんは!

さて、島義勇様の人物紹介編の後編です…

<基礎情報>

幕末蝦夷地(北海道)を調査。絵図面を多用した報告を残す。

明治には蝦夷地の開拓担当となり、“札幌”の基礎を築く。

天皇の侍従も務めた。真っ直ぐな性格で周囲に愛される。

「島義勇」(賢人その3)<後編>
※2018年、佐賀城の堀端に銅像が立った。
(札幌市役所、北海道神宮には銅像が、円山公園には記念碑が既にあるようです…佐賀の人なので、気づいてあげて)

<エピソード>

・近海への度重なる黒船出現で、北方の沿岸警備が課題となる。
 佐賀藩資源開発や交易ルート確保も考え、蝦夷地調査

幕府とともに行った調査には、探検家・松浦武四郎が同行。
 は“蝦夷地”通である松浦の助力を得て調査を完成する。

函館戦争が終結し、蝦夷地を開拓する現地責任者“首席判官”に
 任命される。世界一の都を目指して“札幌”の建設を進める。

「島義勇」(賢人その3)<後編>
※そして、佐賀城横の交差点にも、その名が付いた。

<キャラクター>

文系のカリスマ枝吉神陽理系“万能の研究主任”佐野常民と同年。
 2人の天才とは一味違い“殿”の命令で無茶ぶりに挑む体育会系

とともに開拓を担当した、松浦武四郎は“北海道”の名付け親。
 アイヌから搾取する古いやり方を壊し経済仕組み作りに挑む

・“札幌”の建設を進める中、人足にも給金を惜しまず、予算不足に。
 免官と引き換えに予算を得る。は去ったが都市計画は残った。


<象徴的な“お言葉”>

――石狩広大大地を見渡し、後の大都市“札幌”のビジョンを浮かべる。――
「ここを五洲第一(世界一)の都とする!」

…当時、人口およそ20名村落を目の前にして、これを言えてしまうのが凄い。 


以上が、島 義勇様についての報告です。

部下たちには慕われますが、予算を握っている相手などには衝突しがち
 不器用ながら、愛すべき人格の“情熱の開拓者”です。



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Posted by SR at 17:46 | Comments(0) | 人物紹介編(C)
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