2020年09月17日
「将軍継嗣問題をどう描くか?(後編)」
こんばんは。
前回は、佐賀藩の“ご正室”と“大奥”のつながりにも触れてみました。
――さて、次(第14代)の将軍に誰を推すかのバトルの続きです。
一橋慶喜を推すグループには、福井の松平、薩摩の島津、土佐の山内、宇和島の伊達…などの雄藩がずらりと揃います。
幕府主導の政治から、雄藩の連合政権への転換を目指します。
――しかし“一橋派”には、幾つかの問題がありました…
このグループの有力者には、将軍候補・一橋慶喜の実父がいます。“本編”でも時々現れては、強いインパクトを残していく、水戸の“烈公”こと徳川斉昭です。
〔参照:第4話「諸国遊学」③,第9話「和親条約」③〕
“一橋派”には“開国派”を兼ねるメンバーも多いのですが、ご実父は“攘夷派”の首領格。

――威勢の良いコメントで“攘夷派”が熱狂する“水戸烈公”。
途中までは老中・阿部正弘が、うまくコントロールしていました。
「そうだ!水戸さまのお力で、異国にも負けない大船を造られては!」
政権の中心人物からおだてられると、水戸さまも悪い気はしません。
「まぁ、良かろう。儂に任せよ!」…という感じです。
しかし、働きすぎが原因だったのか、安全装置だった阿部正弘は急逝します。
〔参照:第13話「通商条約」⑩(扇の要が外れるとき…)〕
名実ともに老中首座となった堀田正睦は、洋学の素晴らしさを知る“開国派”。過激な“攘夷派”・徳川斉昭と折り合いを付けるのは難しい。
――そして色んな意味で激しい“水戸烈公”・徳川斉昭は…
一言で語れば、“大奥”から“女の敵”認定をされています。これには、そう判断される行状もあるようです。
こうして“大奥”では、その子・一橋慶喜まで徹底して不人気です。また、慶喜は頭が良過ぎるところがあり、何が本音なのかも理解されにくいタイプです。

――井伊直弼ら“南紀派”が推すのは、紀州(和歌山)の徳川慶福(家茂)。
素直で性格も良く、血統も申し分ない。しかも、甘い物が大好き…“女子ウケ”抜群の貴公子です。もちろん“大奥”でも大人気。
のちの第14代将軍・徳川家茂です。幕府のために皇女・和宮と“超”が付くほどの政略結婚で夫婦になりますが、すごく仲が良かったようです。
“南紀派”は、水戸・徳川斉昭が影の支配者になりそうな連合政権を否定。伝統の将軍選定ルールを守って、幕府主導の強化を図ります。
――では、佐賀の殿・鍋島直正の立ち位置はどちらか?
殿と“一橋派”とは縁戚関係だらけです。
当時のご正室(妻)・筆姫さまは松平慶永(春嶽)の妹。薩摩の島津斉彬は、母方のいとこ。宇和島の伊達宗城は、姉の夫(義兄)。
しかも殿の愛娘・貢姫の夫で、川越藩主・松平直侯は、一橋慶喜の弟です。
――ところが“一橋派”と距離を取り、政治工作に関わらない殿・直正。
“南紀派”のリーダー井伊直弼と、意見が近かったようです。
秩序を大事にして国をまとめ、外国に対峙するという考え方。
欧米列強と通商して富を蓄え、武装して有事に備える…これは“武備開国”と表現されることも。明治時代の「富国強兵」の先取りなのかもしれません。
――“大河ドラマ”の第1作目「花の生涯」の主人公は、井伊直弼でした。
幕府主導での決断を続けた、大老・井伊直弼には「悪役」のイメージが付きまといます。
しかし「条約の調印を強行した」とか、「安政の大獄で弾圧を行った」とかは、幕府の先例に基づき、仕事の責任を背負っただけ…という説もあります。
茶道や居合で“流派”を起こすほど、文武両道に秀でた人物。少しカッコよく描いてみたい気がしています。
前回は、佐賀藩の“ご正室”と“大奥”のつながりにも触れてみました。
――さて、次(第14代)の将軍に誰を推すかのバトルの続きです。
一橋慶喜を推すグループには、福井の松平、薩摩の島津、土佐の山内、宇和島の伊達…などの雄藩がずらりと揃います。
幕府主導の政治から、雄藩の連合政権への転換を目指します。
――しかし“一橋派”には、幾つかの問題がありました…
このグループの有力者には、将軍候補・一橋慶喜の実父がいます。“本編”でも時々現れては、強いインパクトを残していく、水戸の“烈公”こと徳川斉昭です。
〔参照:
“一橋派”には“開国派”を兼ねるメンバーも多いのですが、ご実父は“攘夷派”の首領格。

――威勢の良いコメントで“攘夷派”が熱狂する“水戸烈公”。
途中までは老中・阿部正弘が、うまくコントロールしていました。
「そうだ!水戸さまのお力で、異国にも負けない大船を造られては!」
政権の中心人物からおだてられると、水戸さまも悪い気はしません。
「まぁ、良かろう。儂に任せよ!」…という感じです。
しかし、働きすぎが原因だったのか、安全装置だった阿部正弘は急逝します。
〔参照:
名実ともに老中首座となった堀田正睦は、洋学の素晴らしさを知る“開国派”。過激な“攘夷派”・徳川斉昭と折り合いを付けるのは難しい。
――そして色んな意味で激しい“水戸烈公”・徳川斉昭は…
一言で語れば、“大奥”から“女の敵”認定をされています。これには、そう判断される行状もあるようです。
こうして“大奥”では、その子・一橋慶喜まで徹底して不人気です。また、慶喜は頭が良過ぎるところがあり、何が本音なのかも理解されにくいタイプです。
――井伊直弼ら“南紀派”が推すのは、紀州(和歌山)の徳川慶福(家茂)。
素直で性格も良く、血統も申し分ない。しかも、甘い物が大好き…“女子ウケ”抜群の貴公子です。もちろん“大奥”でも大人気。
のちの第14代将軍・徳川家茂です。幕府のために皇女・和宮と“超”が付くほどの政略結婚で夫婦になりますが、すごく仲が良かったようです。
“南紀派”は、水戸・徳川斉昭が影の支配者になりそうな連合政権を否定。伝統の将軍選定ルールを守って、幕府主導の強化を図ります。
――では、佐賀の殿・鍋島直正の立ち位置はどちらか?
殿と“一橋派”とは縁戚関係だらけです。
当時のご正室(妻)・筆姫さまは松平慶永(春嶽)の妹。薩摩の島津斉彬は、母方のいとこ。宇和島の伊達宗城は、姉の夫(義兄)。
しかも殿の愛娘・貢姫の夫で、川越藩主・松平直侯は、一橋慶喜の弟です。
――ところが“一橋派”と距離を取り、政治工作に関わらない殿・直正。
“南紀派”のリーダー井伊直弼と、意見が近かったようです。
秩序を大事にして国をまとめ、外国に対峙するという考え方。
欧米列強と通商して富を蓄え、武装して有事に備える…これは“武備開国”と表現されることも。明治時代の「富国強兵」の先取りなのかもしれません。
――“大河ドラマ”の第1作目「花の生涯」の主人公は、井伊直弼でした。
幕府主導での決断を続けた、大老・井伊直弼には「悪役」のイメージが付きまといます。
しかし「条約の調印を強行した」とか、「安政の大獄で弾圧を行った」とかは、幕府の先例に基づき、仕事の責任を背負っただけ…という説もあります。
茶道や居合で“流派”を起こすほど、文武両道に秀でた人物。少しカッコよく描いてみたい気がしています。
Posted by SR at 22:19 | Comments(0) | 出来事編(E)
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