2021年11月28日
第17話「佐賀脱藩」⑥(空の向こうのあなたへ)
こんばんは。
前回、“本編”に第14代将軍・徳川家茂が登場しました。1人の心優しい少年が、将軍となって苦境にある幕府を背負うことになった…そんな印象です。
唐津藩主の名代(代理)・小笠原長行の視点で、江戸の状況に少し触れましたが、ここから佐賀藩の話に戻ります。
時期は少し前後して、1861年(文久元年)の春頃の設定となる話です。
――蘭学(オランダ語)を修業し…
長崎では、英語も学び始めた大隈八太郎(重信)。あてにした賢い先輩や仲間たちが、海外に出て行ったり、蒸気船で出動したり…と慌ただしい。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑭(多良海道の往還)〕

要領よく勉強したい大隈八太郎には逆境もあったが、これまでの地道な学習は実を結んだようで、ついに佐賀藩主・鍋島直正に講義を行う機会を得る。
――佐賀城下。大隈家。
「がんばって、八太郎。」
玄関先では、大隈の母・三井子が、正装した八太郎に激励の言葉をかける。
「これも、母上の教えの賜物(たまもの)です。」
本日は、大隈八太郎の“晴れ舞台”と言ってよいようだ。当人も少し気取って、母への感謝を述べたりする。
「行っておいで。しっかり、おやりなさい!」
「では、大隈信保が一子(いっし)、大隈八太郎。殿の御前へと参じます!」
――大隈の母・三井子は満面の笑みである。
我が子の発した言葉は、まるで“武将”の名乗りだ。それだけ誇らしいのか、やはり気取っているのか。いずれにせよ、八太郎の強い意気込みが感じられる。
「空の向こうのあなた…この三井子は、立派に成し遂げましたよ!」
拳をキュッと握る大隈三井子。
長男・八太郎が、まだ10歳ばかりだった頃。佐賀藩の砲術長として忙しく働いていた夫・信保は急逝した。
〔参照:第6話「鉄製大砲」⑨〕
――とくに理数に強く、賢い侍だったという大隈信保。
その頃は、まだ子どもだった八太郎も“蘭学”を修め、殿・鍋島直正へ進講するまでに成長した。何やら「憲法」とかいうオランダの法度(はっと)を説くらしい。
とにかく名誉には違いない。三井子は、亡き夫・信保と喜びを分かち合っているのか。八太郎の出発を見送ると、遙か西の空に向かって涙している。

――佐賀城下の洋学研究所・“蘭学寮”。
大隈は、“ある人物“とすれ違う。
「久しいな、大隈。殿に学問を講ずるとは、随分な出世ではないか。」
「これは“河内さま”。ご無沙汰をしており、恐れ入りまする。」
蘭学寮の廊下で、大隈に声をかけたのは、身なりの良い若い侍。“河内さま”と呼ばれたが、一目でわかる藩の重役という風格がある。
まだ“若様”といった雰囲気の侍。鍋島河内(直暠)という名だ。現在の佐賀県みやき町に領地を持つ、“白石鍋島家”の当主だ。
――佐賀で、勤王の志士が集った“義祭同盟”。
枝吉神陽が主宰した結社。大隈の先輩たちが多く参加し、島義勇・副島種臣・大木喬任・江藤新平・中野方蔵…と、才能がある人材が集まっている。
公式行事としては「“勤王”を貫いた英雄・楠木正成を讃える」式典を開催し、そこには藩の重役の参加もあった。

その代表的人物が当時の藩政ナンバー2の鍋島安房だが、他にも“ご領主”の家柄の者がいた。式典に初期から参加していた、鍋島河内だ。
〔参照(序盤):第12話「海軍伝習」④(義祭同盟の青春)〕
「本日は、殿の御前にて“オランダ憲法”を講ずる由にございます。」
身分の差はあっても、まだ歳は近い。大隈は、鍋島河内と顔見知りなのだ。
――その、みやき町近辺の“ご領主”が、一言を添える。
「それは良き事だ。大隈も随分と励んだのだな…、ところで、後ほど話がある。」
鍋島河内には、何か“企て”がある様子だ。
幕末期、白石鍋島家の領内では、外国との交易で値打ちを示すハゼ蝋(ろう)の生産が盛んで、陶磁器“白石焼”の製造も伸びていた。
のちに大隈八太郎は、長崎を拠点として、貿易から鉱山探索まで色々な活動を行ったという。それらの動きには、鍋島河内が大きく関わることになる。
(続く)
前回、“本編”に第14代将軍・徳川家茂が登場しました。1人の心優しい少年が、将軍となって苦境にある幕府を背負うことになった…そんな印象です。
唐津藩主の名代(代理)・小笠原長行の視点で、江戸の状況に少し触れましたが、ここから佐賀藩の話に戻ります。
時期は少し前後して、1861年(文久元年)の春頃の設定となる話です。
――蘭学(オランダ語)を修業し…
長崎では、英語も学び始めた大隈八太郎(重信)。あてにした賢い先輩や仲間たちが、海外に出て行ったり、蒸気船で出動したり…と慌ただしい。
〔参照:
要領よく勉強したい大隈八太郎には逆境もあったが、これまでの地道な学習は実を結んだようで、ついに佐賀藩主・鍋島直正に講義を行う機会を得る。
――佐賀城下。大隈家。
「がんばって、八太郎。」
玄関先では、大隈の母・三井子が、正装した八太郎に激励の言葉をかける。
「これも、母上の教えの賜物(たまもの)です。」
本日は、大隈八太郎の“晴れ舞台”と言ってよいようだ。当人も少し気取って、母への感謝を述べたりする。
「行っておいで。しっかり、おやりなさい!」
「では、大隈信保が一子(いっし)、大隈八太郎。殿の御前へと参じます!」
――大隈の母・三井子は満面の笑みである。
我が子の発した言葉は、まるで“武将”の名乗りだ。それだけ誇らしいのか、やはり気取っているのか。いずれにせよ、八太郎の強い意気込みが感じられる。
「空の向こうのあなた…この三井子は、立派に成し遂げましたよ!」
拳をキュッと握る大隈三井子。
長男・八太郎が、まだ10歳ばかりだった頃。佐賀藩の砲術長として忙しく働いていた夫・信保は急逝した。
〔参照:
――とくに理数に強く、賢い侍だったという大隈信保。
その頃は、まだ子どもだった八太郎も“蘭学”を修め、殿・鍋島直正へ進講するまでに成長した。何やら「憲法」とかいうオランダの法度(はっと)を説くらしい。
とにかく名誉には違いない。三井子は、亡き夫・信保と喜びを分かち合っているのか。八太郎の出発を見送ると、遙か西の空に向かって涙している。
――佐賀城下の洋学研究所・“蘭学寮”。
大隈は、“ある人物“とすれ違う。
「久しいな、大隈。殿に学問を講ずるとは、随分な出世ではないか。」
「これは“河内さま”。ご無沙汰をしており、恐れ入りまする。」
蘭学寮の廊下で、大隈に声をかけたのは、身なりの良い若い侍。“河内さま”と呼ばれたが、一目でわかる藩の重役という風格がある。
まだ“若様”といった雰囲気の侍。鍋島河内(直暠)という名だ。現在の佐賀県みやき町に領地を持つ、“白石鍋島家”の当主だ。
――佐賀で、勤王の志士が集った“義祭同盟”。
枝吉神陽が主宰した結社。大隈の先輩たちが多く参加し、島義勇・副島種臣・大木喬任・江藤新平・中野方蔵…と、才能がある人材が集まっている。
公式行事としては「“勤王”を貫いた英雄・楠木正成を讃える」式典を開催し、そこには藩の重役の参加もあった。
その代表的人物が当時の藩政ナンバー2の鍋島安房だが、他にも“ご領主”の家柄の者がいた。式典に初期から参加していた、鍋島河内だ。
〔参照(序盤):
「本日は、殿の御前にて“オランダ憲法”を講ずる由にございます。」
身分の差はあっても、まだ歳は近い。大隈は、鍋島河内と顔見知りなのだ。
――その、みやき町近辺の“ご領主”が、一言を添える。
「それは良き事だ。大隈も随分と励んだのだな…、ところで、後ほど話がある。」
鍋島河内には、何か“企て”がある様子だ。
幕末期、白石鍋島家の領内では、外国との交易で値打ちを示すハゼ蝋(ろう)の生産が盛んで、陶磁器“白石焼”の製造も伸びていた。
のちに大隈八太郎は、長崎を拠点として、貿易から鉱山探索まで色々な活動を行ったという。それらの動きには、鍋島河内が大きく関わることになる。
(続く)
Posted by SR at 21:17 | Comments(0) | 第17話「佐賀脱藩」
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