2021年02月23日
第15話「江戸動乱」⑭(“赤鬼”が背負うもの)
こんばんは。
1858年(安政5年)から翌年にかけて続いた「安政の大獄」。
陰で“赤鬼”とも呼ばれた、大老・井伊直弼。行きがかり上、国の命運を背負ってしまった、この人物。それだけの責任感の持ち主でもありました。
――江戸。彦根藩の屋敷。
大老・井伊直弼。激務の合間、僅(わず)かな時に思索をする。
スーッ…、静かな呼吸である。
いまや幕閣の最高位職“大老”として、国の舵取りをする立場だ。かつては彦根(滋賀)の殿様になる事も想像できなかった。正室の子でもなく、兄たちもいた。
まるで埋木(うもれぎ)のようにくすぶる日々。
井伊直弼は学問を高め、武芸に励み、禅の修行にも打ち込んだ。
――薄く開いた目に映るのは、井伊自身の位牌(いはい)。
生きているうちに、戒名(かいみょう)も用意した。
「何やら、支度(したく)が整ったようで落ち着く…か。」
井伊直弼は、仏間で一人苦笑をした。黒船来航後、さらに強まる西洋列強の圧力。外交危機は続き、“大老”に抜擢された井伊は、難局に立ち向かってきた。
「国の安寧(あんねい)のために尽くしたこと…悔いは無い。」
ふと井伊は、故郷・彦根から望む湖を想い起こした。穏やかな“母なる湖”は、陽の当らぬ場所で、燻(くすぶ)っていた頃の心も癒していた。

――開国(通商条約)の断行や、次期将軍・徳川家茂の擁立…
事態を打開するためとは言え、“安政の大獄”では敵を作り過ぎた。その一方で、信頼できる者は数少ない。内政では会津藩、外交では佐賀藩…ぐらいか。
静寂を打ち破るように、屋敷の彦根藩士の声が響く。
「佐賀の屋敷に、出立なさる刻限にございます!」
「もう、そのように時が過ぎておったか!」
静かな思索のひと時を経て、井伊の表情は晴れやかだった。
――1860年・冬(安政7年2月)。井伊直弼には、ある約束があった。
井伊は、参勤交代で江戸にいた佐賀藩主・鍋島直正を訪ねた。
幕府の大老が、他の大名の屋敷に出向くことは異例である。
「井伊さま。わざわざのお運び、忝(かたじけ)ない。」
丁寧に出迎える、佐賀の殿様。
先年、江戸に来たときには鍋島直正が、彦根の屋敷に井伊直弼を訪ねている。幕府中枢と外様大名の垣根を越えた、行き来があった。
――佐賀藩の屋敷。冬の庭先にも、陽射しが差し込む。
この時、佐賀藩には、幕府への「お願い事」があった。
「先だって聞いておった“天草”の件。この井伊が請け負おう。」
井伊の外交政策は、開国して武装を整える…佐賀藩とほぼ同様の方針だ。
「これは、有難い。異国に対する備えも進みまする!」
鍋島直正が身を乗り出した。幕府の領地・天草(熊本)を借り、外海に開けた港を築いて、“蒸気船”を遣うつもりだ。

――直正の反応を見た、井伊が苦笑する。
「はっはっは…鍋島肥前(直正)。喜びが顔に書いておるようじゃぞ。」
「左様(さよう)でございましょうな。これは失敬をいたした。」
「もはや“西海の守り”は、お主だけが頼り。任せたぞ…」
幕府の領地を、外様大名に託す。この内諾は、井伊の期待の表れだった。
当時の日本は、欧米各国と次々に“修好通商条約”を締結した。長崎だけでなく異国船が行き交う、西の海を守る力が要る。
「…井伊さま、御身(おんみ)も大事になさいませ。」
――真剣な面持ちを見せた直正。井伊の身を案じる言葉を発した。
淡々とした井伊の口調は、まるで「自分のいない世界」への布石(ふせき)だ。
部下の彦根藩士からも「警護の者を増やすべき」との訴えはあるようだ。しかし、幕府には“供回りの数”の基準がある。井伊直弼は規則を曲げることを嫌った。
「肥前どの。国を束ねるものは、まず自らの身を律(りっ)せねばならん。」
「井伊さま、見事なお心掛け。されど命あってこそ成し得る事がございますぞ。」
(続く)
1858年(安政5年)から翌年にかけて続いた「安政の大獄」。
陰で“赤鬼”とも呼ばれた、大老・井伊直弼。行きがかり上、国の命運を背負ってしまった、この人物。それだけの責任感の持ち主でもありました。
――江戸。彦根藩の屋敷。
大老・井伊直弼。激務の合間、僅(わず)かな時に思索をする。
スーッ…、静かな呼吸である。
いまや幕閣の最高位職“大老”として、国の舵取りをする立場だ。かつては彦根(滋賀)の殿様になる事も想像できなかった。正室の子でもなく、兄たちもいた。
まるで埋木(うもれぎ)のようにくすぶる日々。
井伊直弼は学問を高め、武芸に励み、禅の修行にも打ち込んだ。
――薄く開いた目に映るのは、井伊自身の位牌(いはい)。
生きているうちに、戒名(かいみょう)も用意した。
「何やら、支度(したく)が整ったようで落ち着く…か。」
井伊直弼は、仏間で一人苦笑をした。黒船来航後、さらに強まる西洋列強の圧力。外交危機は続き、“大老”に抜擢された井伊は、難局に立ち向かってきた。
「国の安寧(あんねい)のために尽くしたこと…悔いは無い。」
ふと井伊は、故郷・彦根から望む湖を想い起こした。穏やかな“母なる湖”は、陽の当らぬ場所で、燻(くすぶ)っていた頃の心も癒していた。
――開国(通商条約)の断行や、次期将軍・徳川家茂の擁立…
事態を打開するためとは言え、“安政の大獄”では敵を作り過ぎた。その一方で、信頼できる者は数少ない。内政では会津藩、外交では佐賀藩…ぐらいか。
静寂を打ち破るように、屋敷の彦根藩士の声が響く。
「佐賀の屋敷に、出立なさる刻限にございます!」
「もう、そのように時が過ぎておったか!」
静かな思索のひと時を経て、井伊の表情は晴れやかだった。
――1860年・冬(安政7年2月)。井伊直弼には、ある約束があった。
井伊は、参勤交代で江戸にいた佐賀藩主・鍋島直正を訪ねた。
幕府の大老が、他の大名の屋敷に出向くことは異例である。
「井伊さま。わざわざのお運び、忝(かたじけ)ない。」
丁寧に出迎える、佐賀の殿様。
先年、江戸に来たときには鍋島直正が、彦根の屋敷に井伊直弼を訪ねている。幕府中枢と外様大名の垣根を越えた、行き来があった。
――佐賀藩の屋敷。冬の庭先にも、陽射しが差し込む。
この時、佐賀藩には、幕府への「お願い事」があった。
「先だって聞いておった“天草”の件。この井伊が請け負おう。」
井伊の外交政策は、開国して武装を整える…佐賀藩とほぼ同様の方針だ。
「これは、有難い。異国に対する備えも進みまする!」
鍋島直正が身を乗り出した。幕府の領地・天草(熊本)を借り、外海に開けた港を築いて、“蒸気船”を遣うつもりだ。

――直正の反応を見た、井伊が苦笑する。
「はっはっは…鍋島肥前(直正)。喜びが顔に書いておるようじゃぞ。」
「左様(さよう)でございましょうな。これは失敬をいたした。」
「もはや“西海の守り”は、お主だけが頼り。任せたぞ…」
幕府の領地を、外様大名に託す。この内諾は、井伊の期待の表れだった。
当時の日本は、欧米各国と次々に“修好通商条約”を締結した。長崎だけでなく異国船が行き交う、西の海を守る力が要る。
「…井伊さま、御身(おんみ)も大事になさいませ。」
――真剣な面持ちを見せた直正。井伊の身を案じる言葉を発した。
淡々とした井伊の口調は、まるで「自分のいない世界」への布石(ふせき)だ。
部下の彦根藩士からも「警護の者を増やすべき」との訴えはあるようだ。しかし、幕府には“供回りの数”の基準がある。井伊直弼は規則を曲げることを嫌った。
「肥前どの。国を束ねるものは、まず自らの身を律(りっ)せねばならん。」
「井伊さま、見事なお心掛け。されど命あってこそ成し得る事がございますぞ。」
(続く)
Posted by SR at 19:38 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」
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