2021年02月05日
第15話「江戸動乱」⑩(いざゆけ!次郎)
こんばんは。
さて、硬派な幕末の展開が続きます。京都では、水戸藩が工作活動の成果で、朝廷から“秘密の命令”を受けることに成功していました。
“戊午(ぼご)の密勅”と呼ばれる「幕府を改革せよ」という指令。
佐賀でも時勢に遅れまいと、走る者がいました。副島種臣(※)です。
――佐賀城内。鯱の門付近。
険しい顔をした副島種臣(枝吉次郎)が通りがかる。
声をかける人物がいた。蝦夷地(北海道)帰りの島義勇だ。
「次郎じゃなかか!どがんしたとね…、えらく怖い顔をしとるばい!」
この2人は従兄弟どうし。島は、身近な親戚のお兄ちゃんである。
――固い表情のまま、返事を返す次郎(副島種臣)。
「島先生!今から国の大事ば、殿に言上を仕(つかま)るところにて。」
…かたい、あまりにも固い次郎の表情。島が一瞬、身を引くほどだ。
無理もない。殿・鍋島直正に進言する内容は「佐賀から京への出兵」である。
「次郎、気負いすぎはいかんばい!」
広大な蝦夷地(北海道)の大空と大地の下で、闊達に冒険をしてきた島義勇。
スケールアップした“団にょん”には、副島の悩みも小さく見える…はずだった。
――島に耳打ちをする、副島。
「何っ!それは一大事ばい!次郎…ここが踏ん張りどころたい!」
話の中身を聞いた島義勇。くるりと変わって硬い面持ちとなった。もともと水戸藩に出入りして勉強していた島も、尊王の話には影響されやすい。
「いざ、参ります!」
「いざ行け!次郎…、いよいよ佐賀が表舞台に出る時ばい!」
本丸御殿へと歩を進める、副島。拳を握りしめて見送る“団にょん”!

――本丸御殿内。広間の一角にて。
殿・鍋島直正に、朝廷の意向として伝えられる佐賀から京都への派兵。
「兵の数は、百…いや五十でも差支えはございませぬ。」
副島は真剣な表情で、殿への説明をする。
京都で、公家・伊丹重賢と打ち合わせた計画だ。
殿・直正は静かに、副島の言葉を聞いていた。
「うむ。左様(さよう)な話があったのか…」
――ひとまず、話を受け止めたかに見えた、直正だったが…
次の瞬間、急に厳しい表情へと変わる。
「そちは、軽々にそのような内諾をしてきたと申すか。」
「…いえ、しかと談判を重ねた事にて、決して軽々なものではございません。」
「重々、話し合ってきたとな。なお、都合が悪いではないか!」
佐賀から京への出兵。「尊王の志高く、朝廷を守り、国を“あるべき姿”に導く。」聞こえとしては良い。しかし、幕府には無用の喧嘩を売ることになる。
――殿・直正の判断は早かった。
そもそも、わずかな兵力で、他藩と衝突すればどうなる…戻れない道に佐賀が巻き込まれる可能性が考慮されていない。
「しばらく謹慎いたせ。もちろん佐賀から出る事は許さぬ。」
口調は穏やかだったが、副島の進言はまったく取り合ってもらえず、それどころか外出禁止に近しい命令も下された。
――すんなり通るとは考えていなかった進言。
「…しかしながら、殿!」
「しかと聞こえておるな。謹慎じゃ。」
諦めずに説明を尽くそうとする副島に覆いかぶさる、殿・直正の言葉。
計画が通らないのみならず、京都への道まで閉ざされた。意気消沈し、退出する副島種臣。まだ、殿・鍋島直正の心を推し量れてはいない。
(続く)
※副島種臣が、正式に副島家に養子に入ったのは、翌年(1859年)が通説のようです。この時点では枝吉次郎と表記すべきかもしれませんが、本編の途中からは「副島種臣」として表現しています。
さて、硬派な幕末の展開が続きます。京都では、水戸藩が工作活動の成果で、朝廷から“秘密の命令”を受けることに成功していました。
“戊午(ぼご)の密勅”と呼ばれる「幕府を改革せよ」という指令。
佐賀でも時勢に遅れまいと、走る者がいました。副島種臣(※)です。
――佐賀城内。鯱の門付近。
険しい顔をした副島種臣(枝吉次郎)が通りがかる。
声をかける人物がいた。蝦夷地(北海道)帰りの島義勇だ。
「次郎じゃなかか!どがんしたとね…、えらく怖い顔をしとるばい!」
この2人は従兄弟どうし。島は、身近な親戚のお兄ちゃんである。
――固い表情のまま、返事を返す次郎(副島種臣)。
「島先生!今から国の大事ば、殿に言上を仕(つかま)るところにて。」
…かたい、あまりにも固い次郎の表情。島が一瞬、身を引くほどだ。
無理もない。殿・鍋島直正に進言する内容は「佐賀から京への出兵」である。
「次郎、気負いすぎはいかんばい!」
広大な蝦夷地(北海道)の大空と大地の下で、闊達に冒険をしてきた島義勇。
スケールアップした“団にょん”には、副島の悩みも小さく見える…はずだった。
――島に耳打ちをする、副島。
「何っ!それは一大事ばい!次郎…ここが踏ん張りどころたい!」
話の中身を聞いた島義勇。くるりと変わって硬い面持ちとなった。もともと水戸藩に出入りして勉強していた島も、尊王の話には影響されやすい。
「いざ、参ります!」
「いざ行け!次郎…、いよいよ佐賀が表舞台に出る時ばい!」
本丸御殿へと歩を進める、副島。拳を握りしめて見送る“団にょん”!
――本丸御殿内。広間の一角にて。
殿・鍋島直正に、朝廷の意向として伝えられる佐賀から京都への派兵。
「兵の数は、百…いや五十でも差支えはございませぬ。」
副島は真剣な表情で、殿への説明をする。
京都で、公家・伊丹重賢と打ち合わせた計画だ。
殿・直正は静かに、副島の言葉を聞いていた。
「うむ。左様(さよう)な話があったのか…」
――ひとまず、話を受け止めたかに見えた、直正だったが…
次の瞬間、急に厳しい表情へと変わる。
「そちは、軽々にそのような内諾をしてきたと申すか。」
「…いえ、しかと談判を重ねた事にて、決して軽々なものではございません。」
「重々、話し合ってきたとな。なお、都合が悪いではないか!」
佐賀から京への出兵。「尊王の志高く、朝廷を守り、国を“あるべき姿”に導く。」聞こえとしては良い。しかし、幕府には無用の喧嘩を売ることになる。
――殿・直正の判断は早かった。
そもそも、わずかな兵力で、他藩と衝突すればどうなる…戻れない道に佐賀が巻き込まれる可能性が考慮されていない。
「しばらく謹慎いたせ。もちろん佐賀から出る事は許さぬ。」
口調は穏やかだったが、副島の進言はまったく取り合ってもらえず、それどころか外出禁止に近しい命令も下された。
――すんなり通るとは考えていなかった進言。
「…しかしながら、殿!」
「しかと聞こえておるな。謹慎じゃ。」
諦めずに説明を尽くそうとする副島に覆いかぶさる、殿・直正の言葉。
計画が通らないのみならず、京都への道まで閉ざされた。意気消沈し、退出する副島種臣。まだ、殿・鍋島直正の心を推し量れてはいない。
(続く)
※副島種臣が、正式に副島家に養子に入ったのは、翌年(1859年)が通説のようです。この時点では枝吉次郎と表記すべきかもしれませんが、本編の途中からは「副島種臣」として表現しています。
Posted by SR at 21:23 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」
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