2020年11月18日

「開港の夜」

こんばんは。

まだ新型コロナという言葉も聞かなかった昨秋
旅の記録を“連続ブログ小説”として綴りました。

第1シリーズ佐賀への旅立ち佐野常民記念館」編が完了したところです。

第2シリーズは「大隈重信記念館長崎街道」編
第3シリーズは「長崎街道さが維新まつり」編
…と、続編の予定があります。


――さて、肝心の「大河ドラマのイメージ」の現在地は…

本編”の年代ですが、1858年の“日米修好通商条約”締結の前後のお話を進めています。第14話遣米使節」は1855年~1860年のお話でした。

同じ時期を「行ったり来たり」しますが、“激動の時代”を様々な角度から描く試みです。佐賀藩が“三重津海軍所”を本格的に整備し始めたのもこの時期です。

通商条約は、大老・井伊直弼が「調印を強行した」と語られます。“開国”止む無しの状況で、井伊朝廷との調整に苦心していた…との見解もあります。


――こうして、一気に西洋文明の波が日本に押し寄せますが…

アメリカを含む5か国との通商条約の締結。神奈川・長崎・箱(函)館・新潟・兵庫5箇所開港予定での交渉が行われます。

それまで、日本世界への“窓口”は、長崎の独占状態でした。もちろん国際都市・長崎も開港しますが、強力なライバルが出現したとも言えます。


――当初の開港は、長崎・横浜・箱館の3箇所。

宿場町・神奈川を避け、開港地に選ばれた横浜江戸にも近く、スタートダッシュです。条約締結の翌年1859年の開港で、早々に英語が飛び交います。
〔参考記事:「横浜村-1854年-(第11話プロローグ)」

第14話遣米使節」に登場した佐賀藩士にも、小出千之助オランダ語の達人が多数いましたが、アメリカに渡航したことで、英語の活用に舵を切ります。



――横浜に比べて、スロースターターだった港も…

幕末からおよそ700年もの昔。平清盛の時代からの港町・兵庫京の都に近く、朝廷の意向が強く作用します。簡単には開港できません

兵庫開港1868年10年ほどが経過し、すでに明治維新の直前期。旧来の兵庫港の隣地に港が開け、外国人居留地が広がり、名も神戸港と改めます。

いまや横浜神戸の双方とも、国際貿易港として知られます。


――こんな背景を考えながら「第1部・幕末黎明編」をどこまで続けるか…

今のところ、第15話は「江戸動乱」、第16話を「攘夷沸騰」というタイトルで考えています。続く第17話で、“第1部”はひとまず完結させたい…と計画中です。

本編”の再開まで、色々と投稿をしながら練っていきたいと思います。現時点の仮スケジュールでは、第1部を書き終えるのは、3月近くになりそうです。

あちこちに話が飛びますが、引き続きご覧いただければ幸いです。



  


Posted by SR at 21:53 | Comments(0) | 出来事編(E)