2020年11月30日

連続ブログ小説「旅立の剣」(15)もう1つの物語

こんばんは。

もし、幕末佐賀で「女性主人公の“大河ドラマ”」を設定するなら…と考えたとき、私は“隠れた主役候補”に思い至ります。

昨秋の調査をベースとして、三井子と、大隈重信八太郎)の物語について、もう少し綴っていきたいと思います。


――大隈重信記念館・1階の常設展示室にて。

スピーカーより流れる、大隈の声。
「…いま、帝国は、(だい)なる変化のとき迎えているんである…」

明治期に“演説の名手”として知られた、大隈重信現代政治家からは、もう聞くことができないタイプの声かもしれない。

堂々とした、それでいて流れのある心地の良い演説と聞こえる。“変化”という言葉にも、希望が湧くのだ。


――展示室内には、多数のパネルがある。

効率よく取材をしたい来館者である、には有難い情報量があった。大隈重信ゆかりの品々に囲まれながら、調査を続ける。

「まったく…、大したお方ですぜ。大隈先生は!」
私は“江戸っ子”ではないが、このように感銘を受けたのは事実である。

実際、大隈頑張っただけの業績を残している。尊王の志士外国との交渉役、政治家、教育者…その足跡追うだけでも、ひと仕事なのは認めよう。



――ふと、1つのパネル展示に目が止まった。

我が子を“偉大な大隈重信”に育てた女性の説明が綴られる。

説明文の中心に、年配ご婦人の写真がある。
その姿はとしている。若い頃から快活な女性であったらしい。

活躍を影で支えながら、明治を生きた大隈重信三井子


――その母が90年に渡る、天寿を全うするとき…

大晦日の晩。危篤となった三井子の枕元に居た、大隈重信
年が明けるまでは、寿命を延ばしてほしい」と祈ったという。

そして、新しい年が来る。ほどなく、母子別れのときを迎えた。
大隈も、このときは幼き日八太郎の気持ちだったかもしれない。


――そして、3年ほど後、こんな展開になった。

日本政党内閣が発足する。首相となったのは、大隈重信

世のために働け」など、大隈には政治信条がある。そのになったのは、三井子教えだったという。


(続く)