2020年06月06日

「横浜村-1854年-(第11話プロローグ)」

こんばんは。
“本編”の現在位置ですが、幕末の1854年です。

この年明けには、長崎からロシアのプチャーチンが退去
すぐさま、アメリカのペリーが浦賀に再来航というドタバタした新年でした。


――このとき幕府は、ペリーとの交渉場所に悩みます。

「交渉は、なるべく江戸の近くで!」というのがペリーの要求。
しかし、神奈川宿など“街道沿い”は、近隣の民衆が関わるのでマズい。

選ばれた場所が「半農半漁の寒村」とよく表現される当時の“横浜村”です。幕府はここで、ペリーと“丁々発止”のやり取りを繰り広げました。

「横浜村-1854年-(第11話プロローグ)」

――開港後に、すごい勢いで“国際貿易都市”となった横浜。いまや日本でも屈指の大都市です。

現地では「海のそばまで、が迫っている街」という印象があります。
農業生産には、不向きな土地だったことと察します。逆に都市化は容易だったのかもしれません。

――そして、条約締結の交渉中に、アメリカのペリーも、ロシアのプチャーチンと同じことをします。

「横浜村-1854年-(第11話プロローグ)」

蒸気機関車(模型)を見せつけて、技術力の差をアピール!」です。前年(1853年)に、長崎ロシアも同じアピ―ルを仕掛けています。

“本編”では佐賀藩に就職した科学者・中村奇輔が「何とか構造を見抜いてやる…」と息巻いていました。さすが佐野栄寿(常民)、よい人材をスカウトしてきています。


――ペリーの要求をなるべく最小限に抑えて、条約を締結した幕府。

1854年日米和親条約の段階では、神奈川(横浜)は開港の対象ではありません。アメリカから太平洋を渡り、航海する船に不可欠な2港だけを開きました。

下田大陸貿易の中継拠点)
函館捕鯨船の補給拠点)

この時点では、ひとまず通商の要求は拒絶しています。

少し先取りすると、日米修好通商条約の締結は、4年後の1858年です。
横浜(当初は神奈川)の開港は、この時点で決まりました。

「横浜村-1854年-(第11話プロローグ)」

――和親条約で、蝦夷地(北海道)の“函館”が開港されたことが、今後の展開に大きく関わります。

豊富な天然資源、広大な土地、販路としての魅力…
それに、北と言えばロシアの動きも気になります。

もともと関心の高かった蝦夷地に“国際港・函館”が出現しました。
全国の雄藩が一斉に注目したのは、言うまでもありません。


――第11話は「蝦夷探検」というタイトルにしたいと思います。

いよいよ“鎖国”状態から、日本国際社会の荒波に入り込んでいきます。

この頃、幕府は諸大名への「大船建造の禁止」を解除しました。そして、肥前佐賀35万7千石の殿鍋島直正が動き出します!


…幕末佐賀藩の大河ドラマは、たぶん“海”の物語でもあるのです。

なかなか情報量も多くて整理が追い付かず、“本編”に入れると長文になりがちです。今後は、本編中にも色々つぶやいていこうかな…と思っています。

ナレーション”みたいに思っていただければ幸いです。


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Posted by SR at 19:54 | Comments(0) | 出来事編(E)
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