2020年11月27日

連続ブログ小説「旅立の剣」(13)“砲術長”のご子息

こんばんは。

昨秋金曜からの1泊2日の行程で佐賀での取材を行いました。決定的に時間が不足しており、走り続けることを余儀なくされます。

…ただ、疲れてきて始めて「見える姿聞こえる声」もあるのかもしれません。


――右側からの視線を感じて、私は向き直った。

貴君。今日はあいにくの雨だが、ゆっくりしていくと良い。」
そう語らんばかりの大隈先生、老成したお姿(像)である。

屋外銅像たる宿命とは言え、今日は天気が良くない
「…大隈先生には、晴天が似合うと思うのです。」

「些細な事だ。気遣いは無用である。」
なんとも風格が出ている。これも大物だけが持つ“オーラ”だろうか。


――大隈侯は、自身に爆弾を投げつけた相手の名誉まで気遣ったと聞く。

それでも何だか寒そうではあるが、雨など物ともしない雰囲気だ。

生家も見ておくと、あとあと役立つであろう。」
「では、失礼して、拝見をいたします。」


いそいそと大隈先生像の横を通る。私の足取りがおかしいのは…たぶん偉い方侯爵)の面前なので、緊張するのだ。

大隈家は、“会所小路”と呼ばれる上級武士の住まう一角にある。砲術隊長を務める家柄で、長崎警備も担当していた。


――1808年。大隈重信の祖父・彦次郎の代。

幕末佐賀藩の悲劇であり、出発点でもあった“フェートン号事件”。オフシーズンの経費節減のため、警備隊の大半が佐賀に帰還していた。

手薄な警備の隙に生じた、イギリス“フェートン号”による長崎港への侵入。祖父彦次郎も、責任問われる立場だった。

信保の代も“砲術隊長”の仕事が引き継がれているところを見ると、大隈家にとって、最悪の展開は免れたようだ。


――大隈重信八太郎)の生家。縁側の方に回る。

その家から感じられる気配は、先ほどの立派な大隈重信のものではない。

三井子にべったりと甘え、後にやんちゃな喧嘩坊主に成長する、幼き日大隈八太郎少年が走り回る面影だった。

(続く)

〔参照記事:第3話「西洋砲術」③-3
※“本編”で大隈重信八太郎)の名が初登場する回です。祖父は描けていないのですが、大隈信保は結構、活躍しています。砲術の部隊長で、火薬調合や弾道計算にも長じていたらしいので、佐賀藩技術者チーム意気投合している場面をよく描いています。