2020年01月31日
第2話「算盤大名」③-2
こんばんは。昨日の続きです。
ひと時の休憩のはずが、いつまでも出発しない鍋島家の大名行列。
――品川宿の本陣の前には、商人たちが詰めかけていた。
本陣とは、大名行列が宿泊や休憩をする屋敷である。
「新しいお殿様への代替わり、おめでとうございます。」
「つきましては、先代のお殿様の時分の…」
「私どもの売掛の方も…」
その本陣前の騒ぎは、徐々に大きくなっていく。
佐賀の藩主が代替わりしたと聞きつけ、取り立ての好機と判断したらしい。
「私は、ひと月前に御用立てしました、米のお代をいただきに参りました。」
「あっしは、ふた月前の醤油のお代を頂戴しに。」
「おいらはねぇ、三月前の味噌のお代をいただかなきゃ、お店に帰れないんだよ!」
商人たちは、大挙して大名行列を追いかけてきたのだ。
言葉も次第に荒くなる。支払いの目途がたつまで、動く気配も無い。
江戸の佐賀藩邸は、商人たちの売掛金への支払いが遅れがちである。
普段からの負い目があり、商人を無理に追い立てることは勿論できない。
――鍋島直正は家来から、門前の状況について説明を受けた。

「殿。それがしも資金の工面に走ります。御免!!」
行列を差配する家来の1人も、江戸の藩邸に駆け戻る様子だ。
他のお供たちも、金策に走る。
心当たりへの借用、馴染みの商人へは支払の猶予も願わなければならない。
もはや人数も揃っておらず、行列の出発どころではなくなっていた。
――鍋島直正は藩の財政について深く考え、師の古賀穀堂と勉強してきた。
「自ら先頭に立って、お家の勝手向き(財政)を建て直すぞ!」
江戸を出発する前、若殿は師に決意を表明した。
その時、穀堂はその覚悟に感服しつつも、こう付け加えた。
「道のりは平坦ではございませぬ。若殿はたびたび苦難に遭われるでしょう。」
「儂は負けぬぞ。」
「その心意気でござる。穀堂も殿をお支えしましょう。」
――しかし、現実は想像を上回っていた。
まだ少年の2人が、殿と家来の立場を超えて励まし合う。
「与一よ。儂は何も分かっていなかったのだな。」
「殿…穀堂先生もおっしゃっていました。まずは倹約だと。今後は質素に参りましょう。」
「そうだな。与一よ、頑張ろうな。」
「殿。私も挫けません。どこまでも殿をお支えします…」
大名行列が借金の取立に止められた、この事件を俗に“品川の悲劇”という。
佐賀藩の財政困窮はここまで極まっていたのである。

藩士たちの懸命の金策で、なんとか大名行列は出発した。
既に陽は傾き、急ぎ足の行列は、夕日に向かって進んでいた。
(続く)
ひと時の休憩のはずが、いつまでも出発しない鍋島家の大名行列。
――品川宿の本陣の前には、商人たちが詰めかけていた。
本陣とは、大名行列が宿泊や休憩をする屋敷である。
「新しいお殿様への代替わり、おめでとうございます。」
「つきましては、先代のお殿様の時分の…」
「私どもの売掛の方も…」
その本陣前の騒ぎは、徐々に大きくなっていく。
佐賀の藩主が代替わりしたと聞きつけ、取り立ての好機と判断したらしい。
「私は、ひと月前に御用立てしました、米のお代をいただきに参りました。」
「あっしは、ふた月前の醤油のお代を頂戴しに。」
「おいらはねぇ、三月前の味噌のお代をいただかなきゃ、お店に帰れないんだよ!」
商人たちは、大挙して大名行列を追いかけてきたのだ。
言葉も次第に荒くなる。支払いの目途がたつまで、動く気配も無い。
江戸の佐賀藩邸は、商人たちの売掛金への支払いが遅れがちである。
普段からの負い目があり、商人を無理に追い立てることは勿論できない。
――鍋島直正は家来から、門前の状況について説明を受けた。

「殿。それがしも資金の工面に走ります。御免!!」
行列を差配する家来の1人も、江戸の藩邸に駆け戻る様子だ。
他のお供たちも、金策に走る。
心当たりへの借用、馴染みの商人へは支払の猶予も願わなければならない。
もはや人数も揃っておらず、行列の出発どころではなくなっていた。
――鍋島直正は藩の財政について深く考え、師の古賀穀堂と勉強してきた。
「自ら先頭に立って、お家の勝手向き(財政)を建て直すぞ!」
江戸を出発する前、若殿は師に決意を表明した。
その時、穀堂はその覚悟に感服しつつも、こう付け加えた。
「道のりは平坦ではございませぬ。若殿はたびたび苦難に遭われるでしょう。」
「儂は負けぬぞ。」
「その心意気でござる。穀堂も殿をお支えしましょう。」
――しかし、現実は想像を上回っていた。
まだ少年の2人が、殿と家来の立場を超えて励まし合う。
「与一よ。儂は何も分かっていなかったのだな。」
「殿…穀堂先生もおっしゃっていました。まずは倹約だと。今後は質素に参りましょう。」
「そうだな。与一よ、頑張ろうな。」
「殿。私も挫けません。どこまでも殿をお支えします…」
大名行列が借金の取立に止められた、この事件を俗に“品川の悲劇”という。
佐賀藩の財政困窮はここまで極まっていたのである。

藩士たちの懸命の金策で、なんとか大名行列は出発した。
既に陽は傾き、急ぎ足の行列は、夕日に向かって進んでいた。
(続く)