2020年01月02日

「県内の各地域を表現する①」(武雄編)

こんにちは。

ドラマの再放送を見過ぎて疲れ気味…という方も、「いや、もう仕事してます」という方もご機嫌いかがでしょうか。

さて“幕末の大河ドラマ”は「佐賀市内の話でしょ。あまり関係がない…」とお考えの県内各地域)の皆様にお届けするシリーズを企画しました。

江戸時代の佐賀藩には“支藩”や“自治領”が多くあり、“佐賀本藩”の規模は大きくない…という特徴があります。

各地域のご領主様領民を治めるというスタイルです。幕末に、各地域の領主も活躍します。今回は、武雄編です。


武雄領〔前編〕“蘭学の先駆者”鍋島茂義

佐賀藩主鍋島直正”様が日本の近代化牽引した!というのが、「私の見たい大河ドラマ」第1部です。
そこで序盤で描くべき先駆者をおさらいしておきましょう。
 

先日、この記事STEP1「名君の登場まで」)でご紹介した武雄領主鍋島茂義様です。自分で西洋砲術を学んでしまう、行動力抜群の領主様です。

佐賀県西部にあり、地理的には佐賀よりさらに長崎に近い武雄
茂義様は、西洋の文物の収集がご趣味で「お買い物リスト」が残っています。

ちなみに“蘭学兄貴”なんてお呼びしているのは、“殿”の姉上の夫(義兄)だからです。この14歳年上の“兄貴”が“鍋島直正”様に強い影響を与え、日本近代化につながっていきます。


②武雄領〔後編〕“朴訥な武人”鍋島茂昌

佐賀藩の“秘密研究所”のような“武雄領”。
その真価は「私の見たい大河ドラマ」では第2部で発揮されます。

明治初期には“幕末最強の軍事技術”を持つ佐賀藩の中でも、武雄領の部隊は“武芸第一”と言われていました。

父・茂義様とは違い、洋学より武芸の子・鍋島茂昌様。
当時の佐賀藩の軍事責任者として“朴訥な武人”が部隊を率います。

戊辰戦争東北で続くなか、武雄部隊天皇の“御親兵”として東京を警備していました。
しかし、その頃東北では旧幕府側最強と言われる庄内藩山形新政府軍次々と打ち破っていました。

庄内藩には大富豪・本間家があり、資金は潤沢です。そのため装備は最新式で、新政府側についた東北諸藩だけでなく、新政府軍も歯が立ちません。
しかも大名・商人・領民が一体となり、鉄の結束を誇っています。

新政府はついに佐賀藩(武雄部隊)の投入を決断しました。
武雄部隊は、新政府側に付いて窮地に陥っている久保田藩秋田の救援に向かいます。

そのミッション「…無敵の庄内藩を止め、久保田藩を救うこと。」
…詳しくはいずれ語りたいと思います。このときので現在も秋田市武雄市の間には交流が続いています。


今回は以上です。一度、武雄領についても語ってみたかったので、掲載しました。いつも以上に知識が浅い点はご容赦ください。

佐賀藩のドラマをイメージすると、魅力的な登場人物・エピソードが多いので、まとめ方が難しいところです。
しかし、何とか“武雄地域”の活躍も“見たい!”ものです。  


Posted by SR at 13:01 | Comments(0) | 出来事編(E)