2020年01月05日
「“主要な人物”をどう繋ぐか?」(関係性②)
こんにちは。
当ブログでは、幕末の佐賀藩を題材とした3部構成の作品をイメージしています。
参考:「佐賀の物語を描け!」(独自色③)
そのうちに「私が見たい大河ドラマ」全47話を順を追って、お伝えできればと考えています。強くイメージをすれば実現することもある…かもしれないので。
例年ならば、年明けは大河ドラマの開始時期ですね。
「麒麟がくる」まで、もう少し待ち時間があるようですので、心して待ちましょう。
今回は、「第1部 幕末黎明編」をベースとした主要人物の関係について考えてみたいと思います。
賢人たちを語るとどうしても“様”をつけたくなるのですが、今回こそ歴史ドラマとして“敬称略”で記述します。
佐賀藩主鍋島直正が“伝説の管理職”として藩士たちを自由自在に動かします。
優秀な藩士と見れば、身分に関らず、長崎・江戸・大坂はもちろん、蝦夷地にまで派遣します。佐賀藩からの“留学時代”の到来です。
①メインテーマ:“技術”の近代化
“殿”の義兄鍋島茂義(武雄領主)が先陣を切った佐賀藩の洋学研究。
鍋島直正は“万能の研究主任”佐野 常民を見出します。
佐野常民は、機械・化学・翻訳…あらゆる専門人材をスカウト。プロジェクトを組成し、鉄製大砲、蒸気機関、近代海軍まで作り、科学技術の佐賀藩を引っ張ります。
②サブテーマ:“教育沸騰”の佐賀藩
“殿”の右腕鍋島安房(須古領主)が猛勉強で率いる佐賀藩の教育改革。
鍋島直正は“尊王のカリスマ指導者”枝吉 神陽に期待します。
枝吉神陽が主導する“義祭同盟”は、天皇に忠義を尽くした「楠木正成」公を祀る秘密結社!…のはずが、藩のナンバー2・鍋島安房を筆頭に上層部からも参加が多数。
“義祭同盟”には神陽先生と同級生の島義勇をはじめ、実弟の副島種臣、大木喬任や江藤新平も参加。そして、最年少の大隈八太郎(重信)も加わります。神陽先生は、次世代である副島、大木、江藤、大隈を鍛えます。
③番外編:“蝦夷地”を幕府とともに探索
“殿”の命令で島 義勇が蝦夷地の探索のほか、日本沿岸をおよそ2年かけて調査します。
北の大地は国の守り、富の宝庫として重要な場所。島義勇の冒険に“義祭同盟”の後輩たちからも熱い視線が注がれます。
以上です。
副島 種臣は少し年長なのですが、この段階では大木喬任、江藤新平、大隈八太郎(重信)は、まだ学生とお考えください。
ちなみに“義祭同盟”が結成されたのは、佐賀藩の反射炉が着工したのとほぼ同時期(1850年)です。
では、本日の締めくくりに、その頃の(1850年)の”佐賀の七賢人”の年齢を考えてみましょう。ちなみに、枝吉神陽先生は佐野・島と同級生です。
鍋島 直正…35歳
佐野 常民…27歳
島 義勇 …27歳
副島 種臣…21歳
大木 喬任…17歳
江藤 新平…15歳
大隈 重信…13歳
…まさに“佐賀藩の青春”ですね。若いって素晴らしい。
さて、既にお仕事を始めている方も多いかもしれませんが、明日からも頑張りましょう!
当ブログでは、幕末の佐賀藩を題材とした3部構成の作品をイメージしています。
参考:「佐賀の物語を描け!」(独自色③)
そのうちに「私が見たい大河ドラマ」全47話を順を追って、お伝えできればと考えています。強くイメージをすれば実現することもある…かもしれないので。
例年ならば、年明けは大河ドラマの開始時期ですね。
「麒麟がくる」まで、もう少し待ち時間があるようですので、心して待ちましょう。
今回は、「第1部 幕末黎明編」をベースとした主要人物の関係について考えてみたいと思います。
賢人たちを語るとどうしても“様”をつけたくなるのですが、今回こそ歴史ドラマとして“敬称略”で記述します。
佐賀藩主鍋島直正が“伝説の管理職”として藩士たちを自由自在に動かします。
優秀な藩士と見れば、身分に関らず、長崎・江戸・大坂はもちろん、蝦夷地にまで派遣します。佐賀藩からの“留学時代”の到来です。
①メインテーマ:“技術”の近代化
“殿”の義兄鍋島茂義(武雄領主)が先陣を切った佐賀藩の洋学研究。
鍋島直正は“万能の研究主任”佐野 常民を見出します。
佐野常民は、機械・化学・翻訳…あらゆる専門人材をスカウト。プロジェクトを組成し、鉄製大砲、蒸気機関、近代海軍まで作り、科学技術の佐賀藩を引っ張ります。
②サブテーマ:“教育沸騰”の佐賀藩
“殿”の右腕鍋島安房(須古領主)が猛勉強で率いる佐賀藩の教育改革。
鍋島直正は“尊王のカリスマ指導者”枝吉 神陽に期待します。
枝吉神陽が主導する“義祭同盟”は、天皇に忠義を尽くした「楠木正成」公を祀る秘密結社!…のはずが、藩のナンバー2・鍋島安房を筆頭に上層部からも参加が多数。
“義祭同盟”には神陽先生と同級生の島義勇をはじめ、実弟の副島種臣、大木喬任や江藤新平も参加。そして、最年少の大隈八太郎(重信)も加わります。神陽先生は、次世代である副島、大木、江藤、大隈を鍛えます。
③番外編:“蝦夷地”を幕府とともに探索
“殿”の命令で島 義勇が蝦夷地の探索のほか、日本沿岸をおよそ2年かけて調査します。
北の大地は国の守り、富の宝庫として重要な場所。島義勇の冒険に“義祭同盟”の後輩たちからも熱い視線が注がれます。
以上です。
副島 種臣は少し年長なのですが、この段階では大木喬任、江藤新平、大隈八太郎(重信)は、まだ学生とお考えください。
ちなみに“義祭同盟”が結成されたのは、佐賀藩の反射炉が着工したのとほぼ同時期(1850年)です。
では、本日の締めくくりに、その頃の(1850年)の”佐賀の七賢人”の年齢を考えてみましょう。ちなみに、枝吉神陽先生は佐野・島と同級生です。
鍋島 直正…35歳
佐野 常民…27歳
島 義勇 …27歳
副島 種臣…21歳
大木 喬任…17歳
江藤 新平…15歳
大隈 重信…13歳
…まさに“佐賀藩の青春”ですね。若いって素晴らしい。
さて、既にお仕事を始めている方も多いかもしれませんが、明日からも頑張りましょう!