2020年01月29日
第2話「算盤大名」②-2
こんばんは。
昨日に続いて、幕末に活躍した武雄領主・鍋島茂義の人物像を描きます。
45分中15分経過のイメージです。
――茂義は、武雄温泉に浸かっていた
「あまり腑抜けていてもいかんが…武雄の湯は極楽じゃのう。」
「武雄の湯は、五洲第一(世界一)であるな。いかな異国にもこれほどの湯はあるまい。」
すぐに、異国のことを考えるのが茂義である。
幼い日に長崎からの連絡係より聞いた“フェートン号”事件。
昨今も、近海に出没する異国船。
藩主・斉直の遊興と、茂義の“蘭癖”(西洋かぶれ)。
どちらも費用はかかるのだが、現実から逃避する斉直と、来る時代に立ち向かう茂義には大きな違いがあった。
――ひと息入れた茂義が屋敷に帰ろうとした、その時。

家来の1人が茂義に歩み寄る。
「申し上げます。平山醇左衛門が長崎より戻りました。」
「なに!平山が帰ってきたとな。」
茂義が応じる。
「はっ、一応お耳に入れておこうかと…」
念のため…という気配で家来は続ける。
「無論じゃ!お主は気が利くのぅ!」
報告しただけで、褒められる家来。
――大急ぎで屋敷に戻った茂義。廊下を走る。
「平山~っ!!どこに居るのじゃ!」
「はっ!平山はここに居ります。」
平山醇左衛門は、庭に控えていた。
「平山、平山平山っ!何を控えておる、近う寄れ!長崎は、長崎はどうじゃった!」
切腹は免れたとはいえ、藩の請役も解任されている。
しばらく気詰まりだったため、大好きな蘭学や長崎の話をよほど聞きたいらしい。
「はっ!今回は、町年寄の高島様より砲術の話を伺いました。」
「ほほ…砲術じゃと!聴かせよ。いかなる話じゃ!」
切腹を命じられても動じないが、”砲術”との言葉には浮足立っている。
「高島どのは、オランダの者より砲術を学んでおります!」
「オランダの…!砲術じゃと!」
もはや話が終わる気配はない。茂義は、きわめて熱心に平山に質問を繰り返していた。
「平山帰参の報告は、もう少し後でも良かったか…本日の政務は滞るな…」
そして、家来には気苦労も与えるのだった。
ようやく謹慎が解けた鍋島茂義。仲直りの意味もあってか、佐賀藩(本藩)より姫が嫁いできた。
この”寵姫”は、若君・鍋島直正の姉である。
若君にとって14歳年上の鍋島茂義。
江戸にいたときも、幼い若君にせがまれて、絵を描いてやったりと良き兄貴分だった。
若君の義兄となった茂義は、その後の鍋島直正に強い影響を与えていく。
(続く)
昨日に続いて、幕末に活躍した武雄領主・鍋島茂義の人物像を描きます。
45分中15分経過のイメージです。
――茂義は、武雄温泉に浸かっていた

「あまり腑抜けていてもいかんが…武雄の湯は極楽じゃのう。」
「武雄の湯は、五洲第一(世界一)であるな。いかな異国にもこれほどの湯はあるまい。」
すぐに、異国のことを考えるのが茂義である。
幼い日に長崎からの連絡係より聞いた“フェートン号”事件。
昨今も、近海に出没する異国船。
藩主・斉直の遊興と、茂義の“蘭癖”(西洋かぶれ)。
どちらも費用はかかるのだが、現実から逃避する斉直と、来る時代に立ち向かう茂義には大きな違いがあった。
――ひと息入れた茂義が屋敷に帰ろうとした、その時。

家来の1人が茂義に歩み寄る。
「申し上げます。平山醇左衛門が長崎より戻りました。」
「なに!平山が帰ってきたとな。」
茂義が応じる。
「はっ、一応お耳に入れておこうかと…」
念のため…という気配で家来は続ける。
「無論じゃ!お主は気が利くのぅ!」
報告しただけで、褒められる家来。
――大急ぎで屋敷に戻った茂義。廊下を走る。
「平山~っ!!どこに居るのじゃ!」
「はっ!平山はここに居ります。」
平山醇左衛門は、庭に控えていた。
「平山、平山平山っ!何を控えておる、近う寄れ!長崎は、長崎はどうじゃった!」
切腹は免れたとはいえ、藩の請役も解任されている。
しばらく気詰まりだったため、大好きな蘭学や長崎の話をよほど聞きたいらしい。
「はっ!今回は、町年寄の高島様より砲術の話を伺いました。」
「ほほ…砲術じゃと!聴かせよ。いかなる話じゃ!」
切腹を命じられても動じないが、”砲術”との言葉には浮足立っている。
「高島どのは、オランダの者より砲術を学んでおります!」
「オランダの…!砲術じゃと!」
もはや話が終わる気配はない。茂義は、きわめて熱心に平山に質問を繰り返していた。
「平山帰参の報告は、もう少し後でも良かったか…本日の政務は滞るな…」
そして、家来には気苦労も与えるのだった。
ようやく謹慎が解けた鍋島茂義。仲直りの意味もあってか、佐賀藩(本藩)より姫が嫁いできた。
この”寵姫”は、若君・鍋島直正の姉である。
若君にとって14歳年上の鍋島茂義。
江戸にいたときも、幼い若君にせがまれて、絵を描いてやったりと良き兄貴分だった。
若君の義兄となった茂義は、その後の鍋島直正に強い影響を与えていく。
(続く)