2022年09月08日

連続ブログ小説「聖地の剣」(13)鉄路、海をゆく

こんばんは。
さがファンブログ』でも、秋の便りを見かけますが、今年も残暑は厳しいものがあります。

まだ、夏前佐賀に“帰藩”した旅日記は続きますが、この道のりは「忘れ物を取りに行く話」でもありました。
〔参照:「序章・“忘れ物”を取りに行く話」

2年半の待ち時間を経て、主要な目的だった『肥前さが幕末維新博覧会』のメモリアル映像を鑑賞し、1つめの忘れ物は回収できました。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(12)泣くことが上手くない

ここからも、佐賀城周辺のごく狭いエリアでの展開が続きます。


――都合よく、雨は上がっている。

…とはいえ、足元には水たまりが見える。先ほどまで結構、降っていたらしい。

佐賀駅に到着してから、3時間ほどが過ぎた。滞在できる時間は極端に短いので、この晴れ間は貴重である。

まずは、先ほど博物館から窓越しに見えていた“高輪築堤”を移設した現物を見ておきたい。



――わかりやすい、案内表示があった。

周囲は工事中ぬかるんだ道を歩む。なかなか進みづらい。私とて、ある意味では佐賀に背を向けてきた“脱藩者”。

険しい道のりを、覚悟せねばならないのかもしれない。

佐賀への道が、そがん簡単に開かれると思うてはならんばい。」と諭されている、そんな気もする。


――やはり、その道は平坦ではない。

だが、目的地はすぐそこだったので、それ以上の関門はなく、あっさりとたどり着いた。「鉄の道を開いた者」大隈重信の故郷、佐賀に凱旋した鉄道遺構だ。

石垣の上には鉄のレール明治初期に海を走った鉄路の浪漫が感じられる。明治5年(1872年)9月に開業式典が行われたという、日本初鉄道



新橋横浜間を走り、そのうち、汐留から品川に向かう区間が陸軍の土地で通してもらえず、2.7㎞海上を走ったという。定めし絶景だったと思う。

「これが、佐賀が頑張ってきた“近代化”の成果。その一つなのだ!」
そう、私は何もしていないが、異様に誇らしさをおぼえる。

雨上がりの“高輪築堤”。「ああ、佐賀県出身で良かった…」と感慨にひたる。


――ごく、まれにしか帰っては来られないが、

幕末の佐賀藩を調べることをきっかけに、どんどんと佐賀県に関する知識が強まっていく私。

「あの書籍に載っていた史跡」「ブログで見かけた風景」「この前、テレビで放送された場所…」など、私にとっては見るべきものが幾らでもある。

この辺りは、たぶん普通の佐賀県出身者とは異なった感覚だと思う。



――私にとっては、もはや“聖地”と呼ぶにふさわしい。

若い時に気付けば良いのだが、歳を取らない目が覚めないこともある。

佐賀県を舞台としたアニメ作品の主題歌に「枯れても走ることを、命と呼べ」という一節がある。

この際、いつだって遅すぎることはない…と考えることにしている。
〔参照(終盤):「熱すぎる SAGA」


(続く)