2022年09月13日
連続ブログ小説「聖地の剣」(14)泥をすすって花の咲く
こんばんは。
佐賀城公園の一角での話が続きます。博物館を出て、すぐに“高輪築堤”の再現展示に到達した、私。
当時は“築堤”の周囲が、整備中で工事の真っ只中。雨上がりで、水たまりも多くありましたが、心は晴れ晴れとしています。
南の堀端へと抜けると、水辺には一面の蓮(ハス)が生い茂っていました。

――“四十間堀”とも呼ばれる、北堀には及ばないが…
それでも結構な幅があるはずの、南堀。ほとんど水面が見えていない。
見渡す限り、蓮(ハス)の葉の緑が覆っている。植物の生命力を感じる“青さ”。なかなか壮観である。
多久市の二千年ハスの例も聞くところで、蓮の種子には時を超えていくようなエネルギーを感じる。
――佐賀平野には、もとは有明海だった湿地帯…も多い。
神埼市のクリーク(海の名残りの水路)でも、かつては蓮が隆盛したが、以前ほどの勢いが無いという話も聞く。
これは、外来生物(カメ)の影響であるらしい…と同市の広報誌で見かけた。色々と考えさせられる。
https://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_kanzaki_2022_09_202209050000/HTML5/pc.html#/page/24(「市報かんざき」9月号)※外部リンク
一方で、食用になる蓮の地下茎であるレンコンでは、佐賀県は代表的な産地としてプレゼンス(存在感)を示している。
――近年、佐賀県としては、茨城県に次ぐ2位をキープ。
こちらも伝統的な産地、3位の徳島県と競っている年が多いようだ。県内では、白石町が市町村別ランキングでも10位以内に入る健闘を見せる様子。
そして、佐賀県のレンコンは味の良さで知られる。しかし、飛び抜けて高級品を誇るでもなく、親しみやすさと質の高さを両立している印象だ。

さて、いろいろと後日に得た情報を語ってしまったが、当日の佐賀城では私はただ南堀を渡る、雨上がりの風に吹かれていた。
――「なんと、贅沢な時間か。」
降り続いていた雨が打ち水となり、夏の近づく時期の暑さも無い。堀を渡る涼風、柔らかな光の前に開けたハスの水辺を見ていた。
「天国」のような穏やかさと形容しようか。蓮の花は、仏教思想と強く結びついているから「極楽」と著した方が良いのかもしれない。
まだ、この時期は、蓮の花の見頃ではなかったようだが、これで充分だ。そこまでは欲張らない。
――風のわたる、南堀の向こう側には
“佐賀七賢人”の中でも、博識と人格の高潔さで知られる、副島種臣の生家があったという。
副島種臣の実兄には、佐賀の賢人たちの師匠・枝吉神陽がいる。そのため近辺には、この兄弟の実家があったということになる。
両者の実父は、枝吉南壕という名で知られる。眼前の景色を見ると「“南壕”とは、南の堀…そのままの名だったのか。」と実感する。

――“聖地”である佐賀城内で思索する時間は貴重だ。
「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージを、私なりに綴っていく“本編”。
断片的に浮かんでくる映像では、もっと魅力のある物語が描けるはずなのだが、その筆致には、いつも何かが足りていない感覚がある。
例えば、先ほどの副島種臣を、私が書くと「ただ、悩みの深い人」として登場してしまう…印象がある。
〔参照(終盤):第5話「藩校立志」⑥〕
――だが、深い苦悩が伴う人生だったのは、事実かもしれない。
実兄・枝吉神陽は、強烈なカリスマ性を発揮して、江戸に留学すれば、各藩の誇る秀才たちの中でも、指導的な立場として存在感を示した。
〔参照:第4話「諸国遊学」⑦〕
また尊王攘夷思想の本家・水戸藩(茨城)の藤田東湖とは、“東西の二傑”である学者として並び称されたとか…
長州藩(山口)の吉田松陰からは「九州に行ったら、是非会うべき人物」と評されたとか、様々なエピソードが続く。
〔参照:第7話「尊王義祭」⑧〕
――“倒幕”に、功があったというよりは、
近代国家の基礎を築いていった佐賀の志士たち。
“本編”に登場していない人物も含めて、また文系・理系問わず、枝吉神陽の門下生の名が連なっているのだ。
自身は、西洋の学問に直接触れずに国学を極めながらも、“日本の近代”を、まとめて育ててしまったような枝吉神陽。

――実兄が、これだけの傑物であれば、
弟・副島種臣がいかに秀才として頑張っても、見劣りは否めなかっただろう。
幕末期。京の公家から期待された役割を果たせず、江戸では自分を頼っていた後輩を救えず。そして…、副島の苦悩は続く。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)〕
「賢人の中の賢人」と言っても過言でない枝吉神陽だが、“佐賀の七賢人”には入っておらず、“八人目”として語られることが多い。
…これは、世を去った時期に起因すると考えている。書くのは辛くなりそうだ。
――「泥水をすすりながら、大輪の花を咲かせる。」
蓮(ハス)という植物は、そういう性質のものであるらしい。これは現代を生きる人間にも、少なからず必要な要素なのだろう。
なお、明治維新は英語で書くと「the Meiji Restoration」となるらしい。直訳すると、「明治“復古”」となる。
どうやら西洋諸国に対して、“革命”寄りのイメージで「明治維新」を語るわけにはいかず、「正当な政治体制に戻った」と強調する必要があったようだ。
――新時代・明治への転換期に、
混乱の極まる新政府に加わり、近代国家の基礎づくりに真価を見せ始めた、肥前佐賀藩。
国学を修めて朝廷の官制に詳しく、長崎では西洋の政治体制を学び、双方の仕組みを知る人物がいた。和・漢・洋に通じる博識を時代は必要としていた。
副島種臣について、どのように描くか…それは、私も日々の悩みを味わいながら、考えていくほかないのかもしれない。
(続く)
佐賀城公園の一角での話が続きます。博物館を出て、すぐに“高輪築堤”の再現展示に到達した、私。
当時は“築堤”の周囲が、整備中で工事の真っ只中。雨上がりで、水たまりも多くありましたが、心は晴れ晴れとしています。
南の堀端へと抜けると、水辺には一面の蓮(ハス)が生い茂っていました。
――“四十間堀”とも呼ばれる、北堀には及ばないが…
それでも結構な幅があるはずの、南堀。ほとんど水面が見えていない。
見渡す限り、蓮(ハス)の葉の緑が覆っている。植物の生命力を感じる“青さ”。なかなか壮観である。
多久市の二千年ハスの例も聞くところで、蓮の種子には時を超えていくようなエネルギーを感じる。
――佐賀平野には、もとは有明海だった湿地帯…も多い。
神埼市のクリーク(海の名残りの水路)でも、かつては蓮が隆盛したが、以前ほどの勢いが無いという話も聞く。
これは、外来生物(カメ)の影響であるらしい…と同市の広報誌で見かけた。色々と考えさせられる。
https://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_kanzaki_2022_09_202209050000/HTML5/pc.html#/page/24(「市報かんざき」9月号)※外部リンク
一方で、食用になる蓮の地下茎であるレンコンでは、佐賀県は代表的な産地としてプレゼンス(存在感)を示している。
――近年、佐賀県としては、茨城県に次ぐ2位をキープ。
こちらも伝統的な産地、3位の徳島県と競っている年が多いようだ。県内では、白石町が市町村別ランキングでも10位以内に入る健闘を見せる様子。
そして、佐賀県のレンコンは味の良さで知られる。しかし、飛び抜けて高級品を誇るでもなく、親しみやすさと質の高さを両立している印象だ。
さて、いろいろと後日に得た情報を語ってしまったが、当日の佐賀城では私はただ南堀を渡る、雨上がりの風に吹かれていた。
――「なんと、贅沢な時間か。」
降り続いていた雨が打ち水となり、夏の近づく時期の暑さも無い。堀を渡る涼風、柔らかな光の前に開けたハスの水辺を見ていた。
「天国」のような穏やかさと形容しようか。蓮の花は、仏教思想と強く結びついているから「極楽」と著した方が良いのかもしれない。
まだ、この時期は、蓮の花の見頃ではなかったようだが、これで充分だ。そこまでは欲張らない。
――風のわたる、南堀の向こう側には
“佐賀七賢人”の中でも、博識と人格の高潔さで知られる、副島種臣の生家があったという。
副島種臣の実兄には、佐賀の賢人たちの師匠・枝吉神陽がいる。そのため近辺には、この兄弟の実家があったということになる。
両者の実父は、枝吉南壕という名で知られる。眼前の景色を見ると「“南壕”とは、南の堀…そのままの名だったのか。」と実感する。
――“聖地”である佐賀城内で思索する時間は貴重だ。
「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージを、私なりに綴っていく“本編”。
断片的に浮かんでくる映像では、もっと魅力のある物語が描けるはずなのだが、その筆致には、いつも何かが足りていない感覚がある。
例えば、先ほどの副島種臣を、私が書くと「ただ、悩みの深い人」として登場してしまう…印象がある。
〔参照(終盤):
――だが、深い苦悩が伴う人生だったのは、事実かもしれない。
実兄・枝吉神陽は、強烈なカリスマ性を発揮して、江戸に留学すれば、各藩の誇る秀才たちの中でも、指導的な立場として存在感を示した。
〔参照:
また尊王攘夷思想の本家・水戸藩(茨城)の藤田東湖とは、“東西の二傑”である学者として並び称されたとか…
長州藩(山口)の吉田松陰からは「九州に行ったら、是非会うべき人物」と評されたとか、様々なエピソードが続く。
〔参照:
――“倒幕”に、功があったというよりは、
近代国家の基礎を築いていった佐賀の志士たち。
“本編”に登場していない人物も含めて、また文系・理系問わず、枝吉神陽の門下生の名が連なっているのだ。
自身は、西洋の学問に直接触れずに国学を極めながらも、“日本の近代”を、まとめて育ててしまったような枝吉神陽。
――実兄が、これだけの傑物であれば、
弟・副島種臣がいかに秀才として頑張っても、見劣りは否めなかっただろう。
幕末期。京の公家から期待された役割を果たせず、江戸では自分を頼っていた後輩を救えず。そして…、副島の苦悩は続く。
〔参照:
「賢人の中の賢人」と言っても過言でない枝吉神陽だが、“佐賀の七賢人”には入っておらず、“八人目”として語られることが多い。
…これは、世を去った時期に起因すると考えている。書くのは辛くなりそうだ。
――「泥水をすすりながら、大輪の花を咲かせる。」
蓮(ハス)という植物は、そういう性質のものであるらしい。これは現代を生きる人間にも、少なからず必要な要素なのだろう。
なお、明治維新は英語で書くと「the Meiji Restoration」となるらしい。直訳すると、「明治“復古”」となる。
どうやら西洋諸国に対して、“革命”寄りのイメージで「明治維新」を語るわけにはいかず、「正当な政治体制に戻った」と強調する必要があったようだ。
――新時代・明治への転換期に、
混乱の極まる新政府に加わり、近代国家の基礎づくりに真価を見せ始めた、肥前佐賀藩。
国学を修めて朝廷の官制に詳しく、長崎では西洋の政治体制を学び、双方の仕組みを知る人物がいた。和・漢・洋に通じる博識を時代は必要としていた。
副島種臣について、どのように描くか…それは、私も日々の悩みを味わいながら、考えていくほかないのかもしれない。
(続く)
Posted by SR at 22:23 | Comments(0) | 連続ブログ小説「聖地の剣」
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