2022年09月26日

連続ブログ小説「聖地の剣」(16)還る場所へ 

こんばんは。
週末には、「日本一短い新幹線」と連呼されていた“西九州新幹線”が開業。

随分と変わったところで“日本一”の称号を得てしまいました。ある意味で良いキャッチフレーズだと思います。

まだ、長崎本線に“特急かもめ“が当然のように走っていた、夏前の活動記録を再開します。


――佐賀城の南堀から、本丸御殿へと移動する。

この日の朝に佐賀駅に到着してから、3時間半近くの時間が経過した。ふだんの生活では、これだけ充実した感覚の約200分間は、そうは無い。

ぽつぽつと小雨の降り始めるところで、“佐賀城本丸歴史館”へと入った。


――涼しげな、畳の香りがする。

久しぶりの“登城”と言うべきか。やや薄暗く、ひんやりとした空気感だった。

佐賀城の本丸御殿の一部再現となるこの建物。延々と畳敷きである。

この華美さが無い造りが良くて、真面目に仕事で行き交う佐賀藩士たちの姿が思われる。

連続ブログ小説「聖地の剣」(16)還る場所へ 

――ゴンゴン! ガタガタ…

江戸期に、日本の表玄関・長崎警備担当だった佐賀藩

城下には異国船入港を知らせるが設置されていて、その“白帆”が長崎に来れば、佐賀がざわめく…という光景があったらしい。

あえて、何も無か(なんもなか)空間としたためか、私にはドタドタと慌ただしく行き交う佐賀藩士たちの姿が思われてならない。


――歴史に名は刻まずとも、

幕末期の台風の記録などを参照すると、佐賀藩資料は精緻(せいち)に記されていると聞く。藩士の能力も、相当高かったのではないかと考える。

質素倹約が気風となり、その節約ぶりから、「“さがんもん”の通った後は草一本残っとらん」と揶揄(やゆ)されたりもしたという。

遠大な目標のために、地道に頑張り続けた佐賀藩士、そして、高い生産力を示した佐賀の領民たち。

連続ブログ小説「聖地の剣」(16)還る場所へ 

――この地を、“還る場所”と定めるならば…

「私には、挫(くじ)けている暇など無いのではないか。」

やはり、ここは私にとって、佐賀の中の佐賀。“聖地”の中の“聖地”なのか。

以前は何となく訪れていたが、幕末その後に続いた明治近代化を先導した場所と意識すると、全く見え方が違ってくる。


――コロナ禍に隔てられた2年半。

佐賀遠か…」と、望郷の想いを叫び続けてきたが、この間、私の生き方は“佐賀の者”として恥じなかっただろうか。

幕末佐賀藩を語り始めてから、初めて佐賀城を訪れた。その期間は、ほぼ同じ2年半で重なる。

おそらく変化したのは私の方だと思うのだが、実は佐賀も、少しずつ動き始めているのかもしれない。


(続く)



タグ :佐賀

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Posted by SR at 23:40 | Comments(0) | 連続ブログ小説「聖地の剣」
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