2020年02月12日

第3話「西洋砲術」③-3

こんばんは。

日本史教科書で見たような事件を連発する中、“佐賀の七賢人”の名前が出てきます。本編では、ようやく2人目の登場。最年少大隈重信です。

――“モリソン号”事件と同じ1837年。

大坂で“大塩平八郎”の乱が起きる。
よりによって、町奉行所に務めていた役人が「救民」の旗を掲げ、武装蜂起した事件である。

反乱そのものは、直ぐに鎮圧されたが、その衝撃は大きかった。
不安材料が増え続ける中、幕府中枢には、疑心暗鬼の面々が集まっていくのである。


――翌1838年。佐賀城下にて。

第1話からの長崎御番の侍。齢は50歳を超えるが、その蘭学の知識は深い。
まだ若いが身なりのしっかりした上級武士と話をしている。

大隈どの。砲術の調練、武雄領との調整…いろいろご苦労であるな。」
「いえ、お役目にござるゆえ。」

応えたのは佐賀藩の“砲術長”の職にある武士である。
名を、大隈信保という。


――その頃、佐賀本藩への“西洋砲術”導入の段取りも着々と進んでいた。

「では、大隈どの私事の方を聞かせていただこうか。」
長崎御番重鎮となった元・若侍。柔和な笑みを浮かべて問いかける。

「既にお聞きとは存じますが…ついに我が家に後継ぎの男子が…」
大隈という侍も、満面の笑みを浮かべる。

産まれたか!良かった、良かった!」
「ありがとう存じます!」

第3話「西洋砲術」③-3

――大隈家には、既に女子が2人いた。待望の男子の誕生である。

「そうだ。名は何と付けたのですかな。」
「“龍造寺八幡宮”の“”の字にちなんで、八太郎でございます。」

佐賀藩西洋砲術の導入が進む中、誕生した男の子“大隈八太郎”。
のちの大隈重信である。

(続く)



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Posted by SR at 20:31 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」
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