2020年08月28日
第13話「通商条約」⑨(嗚呼、蘭学寮)
こんばんは。
第13話では「日米修好通商条約」までの時代の動きを描こうと試みています。歴史上の国政の話は、油断すると教科書みたいな記述になりがちです。
個人的に佐賀の話を、想像を織り交ぜて書くのが楽しいので、バランスが難しいです。なるべく国政の出来事と、佐賀のエピソードをつなげていくのが、課題かなと思います。
今話は情報量が多過ぎて、「佐賀の大河ドラマ」ならナレーションが相応しい所まで“本編”として書いている感じです。たぶん10回目の投稿では終わりません…
――佐賀城下。以前、大隈八太郎(重信)が乱闘騒ぎを起こした“弘道館”。
いつになく神妙な面持ちで、大隈八太郎が反省を述べる。
「かくも未熟なる私。しかし亡き父への想い…片時も忘れる事はございません。」
大隈は“蘭学寮”の担当者を意識し、今度は決意を語る。
「志半ばで、世を去った父に成り代わり、“砲術”を極めんと、発心しました。」
藩の“砲術長”を務めていた大隈の父・信保。八太郎が13歳のときに急逝した。佐賀が鉄製大砲の鋳造に苦闘を始めていた頃、6年ほど前の話である。
〔参照:第6話「鉄製大砲」⑨〕
――親戚筋の応援も得て、大隈八太郎の“蘭学寮”入りの計画が進む。
葉隠や儒学といった伝統的な学問を好まない大隈は、藩校「弘道館」には戻りたくない。ここで“蘭学寮”に入れれば、親戚や近所にも面目は立つ。
しかも亡父の遺志を継ぐ、“健気な八太郎くん”が演出できるのである。
…これが、誰かの“入れ知恵”だったかは定かではない。
「八太郎も頭を冷やし、改心をいたしました。お許しをいただきたく…」
大隈の思惑を知ってか知らずか、親戚も援護をする。これには母・三井子が影で動いているのは疑いなさそうだ。
〔参照:第13話「通商条約」⑥(母の流儀)〕
じっと大隈の話を聞く、蘭学寮の担当者。亡父の志を果たす…というところに感心した様子である。
「うむ、良かろう!大隈よ、その志を忘れるなよ。」

――やや芝居がかっていた大隈の“亡父への想い”だが、許可が出て“蘭学寮”に入ることに成功する。
父・信保の役職の関係もあり、大砲製造チーム“鋳立方の七人”に詳しい、大隈八太郎。
「杉谷先生!ご高名は、若輩者の我が耳にまでも轟いております。」
「おおっ!大隈信保さまの…ご子息か。」
杉谷雍助は、オランダの技術書の翻訳者。
“これは効率よく勉強ができる!”と高揚する、大隈八太郎。
「杉谷先生のもとで、蘭学を学べるとは!定めし、父・信保も喜んで…」
「済まぬ!大隈。」
「私は、公儀(幕府)の御用で、伊豆・韮山に行かねばならぬ。」
――まさかの長期出張。ご老中・阿部正弘からの“お願い”で、杉谷は韮山反射炉まで技術協力に赴く。
大隈八太郎は、地道な勉強よりも“速習”を好む。ここは気持ちを切り替える。
「そういえば“蘭学寮”には、江藤さんが居られるはず!」
“先生だけでなく、先輩にも頼る!”これが、大隈流である。
「なんだ、大隈。聞いていないのか。江藤は“蘭学寮”を辞めたぞ。」
何と間が悪い…大隈八太郎は困惑した。
「何故(なにゆえ)、江藤さんが、お辞めになったのですか!」
直近の“義祭同盟”の集まりでは、この情報は得ていなかった。あの才気あふれる先輩・江藤新平が、“蘭学寮”を辞めた理由が気になる大隈。
「江藤にも事情があるようだ…詳しくは知らぬゆえ、差し控える。」
――杉谷は言いたくない。「江藤は優秀だったが、残念なことに学費が尽きたのだ!」とは。
「大隈!“蘭学”の道は、努力がものを言う。励むのだぞ!」
「…心得ました。」
“先輩が無理なら、友達にも頼る!”これも大隈流だ。
しかし、中牟田倉之助など同年代の優等生には、長崎の海軍伝習に出ている者が多い。
「仕方なかごたぁ!まずは“蘭書”ば読まんば…!」
大隈八太郎は、渋々ではあるが、地道に辞書を引いて、西洋の書物に触れるのであった。
(続く)
第13話では「日米修好通商条約」までの時代の動きを描こうと試みています。歴史上の国政の話は、油断すると教科書みたいな記述になりがちです。
個人的に佐賀の話を、想像を織り交ぜて書くのが楽しいので、バランスが難しいです。なるべく国政の出来事と、佐賀のエピソードをつなげていくのが、課題かなと思います。
今話は情報量が多過ぎて、「佐賀の大河ドラマ」ならナレーションが相応しい所まで“本編”として書いている感じです。たぶん10回目の投稿では終わりません…
――佐賀城下。以前、大隈八太郎(重信)が乱闘騒ぎを起こした“弘道館”。
いつになく神妙な面持ちで、大隈八太郎が反省を述べる。
「かくも未熟なる私。しかし亡き父への想い…片時も忘れる事はございません。」
大隈は“蘭学寮”の担当者を意識し、今度は決意を語る。
「志半ばで、世を去った父に成り代わり、“砲術”を極めんと、発心しました。」
藩の“砲術長”を務めていた大隈の父・信保。八太郎が13歳のときに急逝した。佐賀が鉄製大砲の鋳造に苦闘を始めていた頃、6年ほど前の話である。
〔参照:
――親戚筋の応援も得て、大隈八太郎の“蘭学寮”入りの計画が進む。
葉隠や儒学といった伝統的な学問を好まない大隈は、藩校「弘道館」には戻りたくない。ここで“蘭学寮”に入れれば、親戚や近所にも面目は立つ。
しかも亡父の遺志を継ぐ、“健気な八太郎くん”が演出できるのである。
…これが、誰かの“入れ知恵”だったかは定かではない。
「八太郎も頭を冷やし、改心をいたしました。お許しをいただきたく…」
大隈の思惑を知ってか知らずか、親戚も援護をする。これには母・三井子が影で動いているのは疑いなさそうだ。
〔参照:
じっと大隈の話を聞く、蘭学寮の担当者。亡父の志を果たす…というところに感心した様子である。
「うむ、良かろう!大隈よ、その志を忘れるなよ。」

――やや芝居がかっていた大隈の“亡父への想い”だが、許可が出て“蘭学寮”に入ることに成功する。
父・信保の役職の関係もあり、大砲製造チーム“鋳立方の七人”に詳しい、大隈八太郎。
「杉谷先生!ご高名は、若輩者の我が耳にまでも轟いております。」
「おおっ!大隈信保さまの…ご子息か。」
杉谷雍助は、オランダの技術書の翻訳者。
“これは効率よく勉強ができる!”と高揚する、大隈八太郎。
「杉谷先生のもとで、蘭学を学べるとは!定めし、父・信保も喜んで…」
「済まぬ!大隈。」
「私は、公儀(幕府)の御用で、伊豆・韮山に行かねばならぬ。」
――まさかの長期出張。ご老中・阿部正弘からの“お願い”で、杉谷は韮山反射炉まで技術協力に赴く。
大隈八太郎は、地道な勉強よりも“速習”を好む。ここは気持ちを切り替える。
「そういえば“蘭学寮”には、江藤さんが居られるはず!」
“先生だけでなく、先輩にも頼る!”これが、大隈流である。
「なんだ、大隈。聞いていないのか。江藤は“蘭学寮”を辞めたぞ。」
何と間が悪い…大隈八太郎は困惑した。
「何故(なにゆえ)、江藤さんが、お辞めになったのですか!」
直近の“義祭同盟”の集まりでは、この情報は得ていなかった。あの才気あふれる先輩・江藤新平が、“蘭学寮”を辞めた理由が気になる大隈。
「江藤にも事情があるようだ…詳しくは知らぬゆえ、差し控える。」
――杉谷は言いたくない。「江藤は優秀だったが、残念なことに学費が尽きたのだ!」とは。
「大隈!“蘭学”の道は、努力がものを言う。励むのだぞ!」
「…心得ました。」
“先輩が無理なら、友達にも頼る!”これも大隈流だ。
しかし、中牟田倉之助など同年代の優等生には、長崎の海軍伝習に出ている者が多い。
「仕方なかごたぁ!まずは“蘭書”ば読まんば…!」
大隈八太郎は、渋々ではあるが、地道に辞書を引いて、西洋の書物に触れるのであった。
(続く)