2020年08月26日
第13話「通商条約」⑧(幕府の要〔かなめ〕)
こんばんは。
1856年には伊豆(静岡)の下田にアメリカの総領事・ハリスが着任します。ハリスと言えば、日米修好通商条約を締結するときの、アメリカ側代表。
最近では、阿部正弘を中心とした黒船来航からの幕府の外交を評価する動きがあります。外国との交渉に当たる人材も、うまく抜擢している印象です。
――江戸城。老中・阿部正弘が鍋島直正にお願いの書状を綴っている。
「先立っては、船に備える見事な“石火矢”、忝(かたじけな)く…」
まずは、佐賀から届いた大砲の御礼である。
ペリーの黒船来航を受け、佐賀藩は城下の多布施に、“幕府用”の大砲工場を設置した。
そして10年以上前から政権の中枢にいる、阿部正弘。
「とにかく人の話を聞かねばならぬ、最善の手を選ぶのだ…」
――この姿勢で“天保の改革”後の混乱を乗り越え、黒船来航の危機にも対処した。
いまも老中の1人として、幕府の中心にいる。
ここで、また阿部への訪問者があった。
阿部が後継者にした、老中首座・堀田正睦である。
「伊勢守(阿部)様。お話ししたき儀がござる。」
堀田は、かなり険しい表情をしている。

――堀田正睦は下総佐倉藩(千葉)のお殿様で、いまや幕府政治のトップ。
「水戸さま(徳川斉昭)の件にござる…」
堀田は小刻みにプルプルと震える。怒りを抑えているかの様子だ。
「堀田どの、まぁ落ち着きなされ。」
阿部は、ちょっと太めでゆるりとしている。しかし、その政治的バランス感覚は達人の域である。
「口を開けば、すぐさま攘夷!と…異国との力の差を全く分かっておられぬ!」
堀田正睦は“開国派”なのだ。
――佐賀では江藤新平も論文に記すが「欧米と戦えば必敗」の情勢。
堀田は「もう、時代はオランダ語よりも英語だ!」と考えるような人物。
外国の技術力を考えずに“攘夷”を唱える人々が、とても無責任に見えている。
おっとりとした容姿の阿部正弘。じっと堀田の話を聞いていた。
「では水戸さまに、お会いして来ようかのう。」
その政治力は高い。一言発するとのっそりと動き出したのである。
「伊勢守(阿部)さま、水戸さまは頑迷(がんめい)の極みにござるぞ。」
堀田は海外事情に通じて賢いが、阿部ほどの余裕が無い。
――ちなみに堀田の方が“老中首座”。現代の感覚では“総理”である。
「水戸さまとて良くお話を聞けば、お分かりいただけようぞ。」
少し動けば、汗をかくような阿部だが、軽く笑みすら浮かべる。
阿部は、徳川斉昭の子・一橋慶喜を将軍に推すグループの良き理解者で通る。この“一橋派”には、島津斉彬など有力大名も集う。
こうして、攘夷派の首領・徳川斉昭からも一目置かれる、阿部正弘。扱いが難しい「水戸さま」も見事に丸め込むのである。

――佐賀城。鍋島直正が、そんな老中・阿部からの書状を受け取る。
「ほほう…伊勢守(阿部正弘)さまからであるか。」
最近の直正だが、大砲だけでなく、蒸気機関を造り、海軍を作ろうと計画する。そしてオランダへの輸出品を考えたりと、普通の大名とは違うところで忙しい。
久しぶりに、しっかりと剣術の稽古をしていた。
「清々しい。たまには汗をかくのも良いものだな。」
最近、胃の調子が優れない直正だが、久しぶりに晴れやかな表情をした。
――手紙は「韮山反射炉の性能が芳しくない。佐賀から技術者を派遣してほしい」という趣旨である。
「本島藤太夫は、長崎だな…」
「はい。伝習に励んでございます。」
答えたのは、書記官のような役回りの鍋島夏雲(市佑)。
当時の大砲製造チームの責任者は、直正の側近・本島藤太夫である。直正と同じく、40代半ばだが、若手藩士と一緒に、長崎で海軍伝習を受けている。
「“火術方”や“蘭学寮”には尋ねますが、この者たちで如何(いかが)かと。」
情報通の鍋島夏雲は、ほぼ対象者の選定を完了していた。
――伊豆・韮山にある幕府の反射炉完成に向けた技術支援のメンバー。
かつて本島がリーダーを務めた“鋳立方の七人”の名が2人ある。
オランダの“技術書”を翻訳した、杉谷雍助。
会計担当で、プロジェクトの進捗に詳しい、田代孫三郎である。
〔参照:第6話「鉄製大砲」③,第6話「鉄製大砲」⑥〕
薩摩の“反射炉”築造の際は、杉谷が翻訳した技術書が提供されている。
――薩摩の島津斉彬は“母方のいとこ”で気心も知れており、鍋島直正からの信用もあった。
直正は、佐賀藩が苦心のすえ作り上げた“虎の巻”を供与し、薩摩の反射炉の完成に、手を貸したのだった。
そして、今度は幕府への助力である。
「この二人に、腕利きの職人衆が付けば、申し分なかろう。」
「はっ。」
直正は、日本全体の技術力でいかに西洋に追いつくかを考える。
幕府の韮山反射炉の責任者だった江川英龍は、佐賀と長年にわたり交流があった。先年、江川は亡くなっていたが、もちろん協力は惜しまないこととなった。
(続く)
1856年には伊豆(静岡)の下田にアメリカの総領事・ハリスが着任します。ハリスと言えば、日米修好通商条約を締結するときの、アメリカ側代表。
最近では、阿部正弘を中心とした黒船来航からの幕府の外交を評価する動きがあります。外国との交渉に当たる人材も、うまく抜擢している印象です。
――江戸城。老中・阿部正弘が鍋島直正にお願いの書状を綴っている。
「先立っては、船に備える見事な“石火矢”、忝(かたじけな)く…」
まずは、佐賀から届いた大砲の御礼である。
ペリーの黒船来航を受け、佐賀藩は城下の多布施に、“幕府用”の大砲工場を設置した。
そして10年以上前から政権の中枢にいる、阿部正弘。
「とにかく人の話を聞かねばならぬ、最善の手を選ぶのだ…」
――この姿勢で“天保の改革”後の混乱を乗り越え、黒船来航の危機にも対処した。
いまも老中の1人として、幕府の中心にいる。
ここで、また阿部への訪問者があった。
阿部が後継者にした、老中首座・堀田正睦である。
「伊勢守(阿部)様。お話ししたき儀がござる。」
堀田は、かなり険しい表情をしている。

――堀田正睦は下総佐倉藩(千葉)のお殿様で、いまや幕府政治のトップ。
「水戸さま(徳川斉昭)の件にござる…」
堀田は小刻みにプルプルと震える。怒りを抑えているかの様子だ。
「堀田どの、まぁ落ち着きなされ。」
阿部は、ちょっと太めでゆるりとしている。しかし、その政治的バランス感覚は達人の域である。
「口を開けば、すぐさま攘夷!と…異国との力の差を全く分かっておられぬ!」
堀田正睦は“開国派”なのだ。
――佐賀では江藤新平も論文に記すが「欧米と戦えば必敗」の情勢。
堀田は「もう、時代はオランダ語よりも英語だ!」と考えるような人物。
外国の技術力を考えずに“攘夷”を唱える人々が、とても無責任に見えている。
おっとりとした容姿の阿部正弘。じっと堀田の話を聞いていた。
「では水戸さまに、お会いして来ようかのう。」
その政治力は高い。一言発するとのっそりと動き出したのである。
「伊勢守(阿部)さま、水戸さまは頑迷(がんめい)の極みにござるぞ。」
堀田は海外事情に通じて賢いが、阿部ほどの余裕が無い。
――ちなみに堀田の方が“老中首座”。現代の感覚では“総理”である。
「水戸さまとて良くお話を聞けば、お分かりいただけようぞ。」
少し動けば、汗をかくような阿部だが、軽く笑みすら浮かべる。
阿部は、徳川斉昭の子・一橋慶喜を将軍に推すグループの良き理解者で通る。この“一橋派”には、島津斉彬など有力大名も集う。
こうして、攘夷派の首領・徳川斉昭からも一目置かれる、阿部正弘。扱いが難しい「水戸さま」も見事に丸め込むのである。

――佐賀城。鍋島直正が、そんな老中・阿部からの書状を受け取る。
「ほほう…伊勢守(阿部正弘)さまからであるか。」
最近の直正だが、大砲だけでなく、蒸気機関を造り、海軍を作ろうと計画する。そしてオランダへの輸出品を考えたりと、普通の大名とは違うところで忙しい。
久しぶりに、しっかりと剣術の稽古をしていた。
「清々しい。たまには汗をかくのも良いものだな。」
最近、胃の調子が優れない直正だが、久しぶりに晴れやかな表情をした。
――手紙は「韮山反射炉の性能が芳しくない。佐賀から技術者を派遣してほしい」という趣旨である。
「本島藤太夫は、長崎だな…」
「はい。伝習に励んでございます。」
答えたのは、書記官のような役回りの鍋島夏雲(市佑)。
当時の大砲製造チームの責任者は、直正の側近・本島藤太夫である。直正と同じく、40代半ばだが、若手藩士と一緒に、長崎で海軍伝習を受けている。
「“火術方”や“蘭学寮”には尋ねますが、この者たちで如何(いかが)かと。」
情報通の鍋島夏雲は、ほぼ対象者の選定を完了していた。
――伊豆・韮山にある幕府の反射炉完成に向けた技術支援のメンバー。
かつて本島がリーダーを務めた“鋳立方の七人”の名が2人ある。
オランダの“技術書”を翻訳した、杉谷雍助。
会計担当で、プロジェクトの進捗に詳しい、田代孫三郎である。
〔参照:
薩摩の“反射炉”築造の際は、杉谷が翻訳した技術書が提供されている。
――薩摩の島津斉彬は“母方のいとこ”で気心も知れており、鍋島直正からの信用もあった。
直正は、佐賀藩が苦心のすえ作り上げた“虎の巻”を供与し、薩摩の反射炉の完成に、手を貸したのだった。
そして、今度は幕府への助力である。
「この二人に、腕利きの職人衆が付けば、申し分なかろう。」
「はっ。」
直正は、日本全体の技術力でいかに西洋に追いつくかを考える。
幕府の韮山反射炉の責任者だった江川英龍は、佐賀と長年にわたり交流があった。先年、江川は亡くなっていたが、もちろん協力は惜しまないこととなった。
(続く)