2020年08月10日
第13話「通商条約」①(影の“内閣”)
こんばんは。
本日より第13話「通商条約」をスタートします。初回の投稿ですが、登場する人物が多いです。
ご年配の方は、読み終わった後に登場人物名を想い出すと“脳トレ”になりそうなぐらいです。以前の大河ドラマで演じた俳優さんなどをイメージしながらご覧いただけると…少しは読みやすくなるかもしれません。
――江戸。福井藩主・松平慶永(春嶽)が親しい大名と寄り合っている。
「これは越前(松平)さま。お久しゅうござる。」
口を開いたのは、土佐の山内豊信(容堂)。
古くから土佐(高知)には酒豪が多いと聞くが、殿様からしてその様子。前日の酒が残って…いや、先だってまで飲んでいたような気配である。
「はっはっは…、これは随分と出来上がっておられるな。」
伊予(愛媛)の宇和島藩主・伊達宗城。
洋式船の建造に興味を持つなど開明派で知られる。土佐の殿様の呑み過ぎに苦笑いである。
――松平慶永(春嶽)が場を仕切る。「あと、お一方(ひとかた)おいでになる」と、座長のような立ち位置だ。
「所用により遅くなり、失礼をいたした。」
静かな登場だが、言葉には覇気が感じられる。
薩摩藩主・島津斉彬である。
「薩摩(斉彬)さまにもお運びいただいた。早速ではござるが…」
話を先に進める、松平慶永(春嶽)。
松平慶永は、適塾などで学んだ藩医・橋本左内を重用していた。この福井藩・橋本左内が、薩摩藩・西郷吉之助(隆盛)らと進めている政治活動があった。
殿様同士の集まりだが、側近の藩士たちの想いは反映しているのである。
――黒船来航で緊迫した外交、大地震などの自然災害…相次ぐ難局を打開する策。
「もはや一橋さまに、将軍職を継いでいただくほかない。」
松平慶永は次の将軍に一橋慶喜を推した。
「然り。英明で聞こえた一橋さまならば、我らの存念も届くであろう。」
宇和島藩・伊達宗城は、瀬戸内海の要衝に領地を持つ。沿岸の防備にも危機感があるのだ。
「御台所(篤姫)さまより、上様へのお取次ぎをいただきたい。」
第13代将軍の徳川家定には、薩摩より島津斉彬の養女・篤姫が嫁いでいた。
「相分かった。最善を尽くそう。」
――数年前から老中・阿部正弘が取った「大名にも広く意見を聴く」方針。
アメリカのペリーなどの各国の“黒船”が、次々と来航する危難。挙国一致を目指した、当時の老中首座・阿部正弘は各藩から意見を募った。
以前ならば、幕府から「政(まつりごと)に口出しをするな」と叱責されるところである。しかし、いまや雄藩(有力大名)の国政への参加の流れは止まらない。
これには、老中・阿部正弘の後押しがあった。老中首座は堀田正睦に譲ったが、阿部は自身の領国・福山(広島)には一度帰ったっきりで、国政に心血を注いでいた。

――第13代将軍・家定は病弱で、とても危機的状況に対応できる将軍ではない…世間でも辛辣な批判が多くあった。
そして次の将軍に誰が就くかは、多くの大名たちの関心事でもあった。
「新らしき政(まつりごと)を、このように思案しておる。」
現在の“内閣”のように政治体制のイメージを作り始めていた“四賢侯”。
「まず、一橋さまを将軍として奉じ、我らがお支えすると。」
「これは良い…立派な上様のもとで存分な働きができそうじゃ。」
目もとがニヤリと笑う、山内豊信(容堂)。その真意は充分に測れない。
――その試案で“国内事務宰相”として予定されたのは3人。
・集まりの主宰者。福井の松平慶永。
・外様大名の代表。薩摩の島津斉彬。
・一橋慶喜の実父で、攘夷派の頭目。水戸の徳川斉昭。
将軍となった一橋慶喜の周囲を固め、挙国一致の体制を取る戦略である。
――次は“外国事務宰相”を務める大名の人選。困難な局面にある外交の担当である。
「…肥前佐賀の鍋島しかあるまい。」
「然り。」
「異論があろうはずもない。」

外国からの圧力を予測し、長崎での砲台整備。先んじて反射炉の設置と、鉄製大砲の開発。オランダとの付き合いも深く、西洋事情に通じる。
はじめから佐賀の鍋島直正をおいて、適任者が考えられない状況であった。
――いわば“影の内閣”を作る相談事が進む中、殿・鍋島直正は淡々としていた。
「…そうだな。長崎の固め(警備)で、忙しいとでも伝えておくか。」
「それが宜しいかと。公儀(幕府)が決するべき事への深入りはなりませぬ。」
保守派の側近、原田小四郎が応じた。殿の発言に大きく頷(うなず)く。
“国政”からは距離を置き、ひたすら先を見据える直正。
そして佐賀藩は、国を富ませる産業振興と、有事に備える技術開発を進めるのに忙しい。
直正とすれば、殿様として為すべきことを行っているだけである。しかし、周囲はそのコツコツとした地道さを「何の思惑があるのか?」と勝手に恐れたのである。
(続く)
本日より第13話「通商条約」をスタートします。初回の投稿ですが、登場する人物が多いです。
ご年配の方は、読み終わった後に登場人物名を想い出すと“脳トレ”になりそうなぐらいです。以前の大河ドラマで演じた俳優さんなどをイメージしながらご覧いただけると…少しは読みやすくなるかもしれません。
――江戸。福井藩主・松平慶永(春嶽)が親しい大名と寄り合っている。
「これは越前(松平)さま。お久しゅうござる。」
口を開いたのは、土佐の山内豊信(容堂)。
古くから土佐(高知)には酒豪が多いと聞くが、殿様からしてその様子。前日の酒が残って…いや、先だってまで飲んでいたような気配である。
「はっはっは…、これは随分と出来上がっておられるな。」
伊予(愛媛)の宇和島藩主・伊達宗城。
洋式船の建造に興味を持つなど開明派で知られる。土佐の殿様の呑み過ぎに苦笑いである。
――松平慶永(春嶽)が場を仕切る。「あと、お一方(ひとかた)おいでになる」と、座長のような立ち位置だ。
「所用により遅くなり、失礼をいたした。」
静かな登場だが、言葉には覇気が感じられる。
薩摩藩主・島津斉彬である。
「薩摩(斉彬)さまにもお運びいただいた。早速ではござるが…」
話を先に進める、松平慶永(春嶽)。
松平慶永は、適塾などで学んだ藩医・橋本左内を重用していた。この福井藩・橋本左内が、薩摩藩・西郷吉之助(隆盛)らと進めている政治活動があった。
殿様同士の集まりだが、側近の藩士たちの想いは反映しているのである。
――黒船来航で緊迫した外交、大地震などの自然災害…相次ぐ難局を打開する策。
「もはや一橋さまに、将軍職を継いでいただくほかない。」
松平慶永は次の将軍に一橋慶喜を推した。
「然り。英明で聞こえた一橋さまならば、我らの存念も届くであろう。」
宇和島藩・伊達宗城は、瀬戸内海の要衝に領地を持つ。沿岸の防備にも危機感があるのだ。
「御台所(篤姫)さまより、上様へのお取次ぎをいただきたい。」
第13代将軍の徳川家定には、薩摩より島津斉彬の養女・篤姫が嫁いでいた。
「相分かった。最善を尽くそう。」
――数年前から老中・阿部正弘が取った「大名にも広く意見を聴く」方針。
アメリカのペリーなどの各国の“黒船”が、次々と来航する危難。挙国一致を目指した、当時の老中首座・阿部正弘は各藩から意見を募った。
以前ならば、幕府から「政(まつりごと)に口出しをするな」と叱責されるところである。しかし、いまや雄藩(有力大名)の国政への参加の流れは止まらない。
これには、老中・阿部正弘の後押しがあった。老中首座は堀田正睦に譲ったが、阿部は自身の領国・福山(広島)には一度帰ったっきりで、国政に心血を注いでいた。

――第13代将軍・家定は病弱で、とても危機的状況に対応できる将軍ではない…世間でも辛辣な批判が多くあった。
そして次の将軍に誰が就くかは、多くの大名たちの関心事でもあった。
「新らしき政(まつりごと)を、このように思案しておる。」
現在の“内閣”のように政治体制のイメージを作り始めていた“四賢侯”。
「まず、一橋さまを将軍として奉じ、我らがお支えすると。」
「これは良い…立派な上様のもとで存分な働きができそうじゃ。」
目もとがニヤリと笑う、山内豊信(容堂)。その真意は充分に測れない。
――その試案で“国内事務宰相”として予定されたのは3人。
・集まりの主宰者。福井の松平慶永。
・外様大名の代表。薩摩の島津斉彬。
・一橋慶喜の実父で、攘夷派の頭目。水戸の徳川斉昭。
将軍となった一橋慶喜の周囲を固め、挙国一致の体制を取る戦略である。
――次は“外国事務宰相”を務める大名の人選。困難な局面にある外交の担当である。
「…肥前佐賀の鍋島しかあるまい。」
「然り。」
「異論があろうはずもない。」
外国からの圧力を予測し、長崎での砲台整備。先んじて反射炉の設置と、鉄製大砲の開発。オランダとの付き合いも深く、西洋事情に通じる。
はじめから佐賀の鍋島直正をおいて、適任者が考えられない状況であった。
――いわば“影の内閣”を作る相談事が進む中、殿・鍋島直正は淡々としていた。
「…そうだな。長崎の固め(警備)で、忙しいとでも伝えておくか。」
「それが宜しいかと。公儀(幕府)が決するべき事への深入りはなりませぬ。」
保守派の側近、原田小四郎が応じた。殿の発言に大きく頷(うなず)く。
“国政”からは距離を置き、ひたすら先を見据える直正。
そして佐賀藩は、国を富ませる産業振興と、有事に備える技術開発を進めるのに忙しい。
直正とすれば、殿様として為すべきことを行っているだけである。しかし、周囲はそのコツコツとした地道さを「何の思惑があるのか?」と勝手に恐れたのである。
(続く)