2020年08月12日

第13話「通商条約」②(埋木に陽が当たるとき)

こんばんは。
前回より幕末の政局を中心としてお話を進めています。「誰が次期(14代)将軍になるのか?」がメインテーマです。

佐賀藩士たちを描く方が楽しいのですが、「一橋派」と「南紀派」の対立は重要なポイントなので頑張って続けます。

前回投稿で「影の“内閣”」に例えて登場したのが「一橋派」。
老中・阿部正弘の方針で、政治参加を進める雄藩の代表たちです。

今回紹介するのは、「南紀派」のリーダー格・井伊直弼
この派閥は幕府政治を主導していた譜代大名たちが中心です。


――江戸の彦根藩邸。近江(滋賀)にある彦根を治める、井伊家の屋敷。

井伊と言えば、江戸幕府の創始者・徳川家康のもとで戦った“徳川四天王”の名門。当代の藩主は井伊直弼であった。

主膳よ。ようやっとはここまで来たのだな。」
「はっ。やはり天は、殿埋もれさせては置きませんでしたな。」


――井伊直弼が話している相手は、彦根藩士・長野主膳という。直弼の側近である。

剣の腕を磨き、を嗜み、を行じてきた…」
直弼は、先々代の藩主の子であるが、家督を継ぐ可能性は低い立場にいた。

こうして彦根城下で、鬱屈とした青年期を過ごした、井伊直弼
如何に修練して、己を高めても、陽の当たる存在になることは無いと思われた。

「想い出しますなぁ…、埋木舎(うもれぎのや)での歳月を…」
かく言う長野主膳も、その主君・井伊直弼40代前半。

彦根城下の片隅に埋もれた日々から、10年ほど幕府の中で頭角を現した。
感傷に浸っておる暇は無いぞ。我らが公儀(幕府)を導かねばならんのだ。」


――自身を花の咲かない“埋木”(うもれぎ)に例えていた青年が、いまや幕閣の有力者の1人。

ついに陽の当たる場所に出た、井伊直弼
「伊勢守(阿部正弘)さまは、表(大名たち)の機嫌を伺い過ぎじゃ。」
「御意!」

「今こそ、公儀は毅然と力を示さねばならん。」
「仰せの通り。この主膳、嬉しゅうございますぞ。」

長野主膳国学者である。
側近であるだけでなく、井伊直弼学問の師でもあった。



――井伊直弼が推す将軍候補は、徳川御三家の紀州(和歌山)の若君。

紀州慶福さまは、上様とも縁も近い。我らがお支えするに相応しい。」
「左様にござる。一橋(慶喜)さまでは、纏(まと)まらなくなりましょう。」

この彦根藩の主従は、諸大名の結集は、却って混乱を招くとの見解である。
異国に対抗するには、幕府が強いリーダーシップ日本を率いるべきと考えた。


――ささやかなそよ風が吹き、風鈴の音が鳴る。

文化人としての顔を持つ、井伊直弼
床の間には立派な磁器が飾られていた。

「“鍋島(焼)”だな…」
「はっ、華麗な色味にございますな。」

主膳よ。公儀(幕府)を支えるにあたり、信の置ける国何処だと思うか。」
「まずは、会津(福島)にございましょうな。」

井伊直弼は、会津藩の先代・松平容敬に何かと世話になってきた。そして、その養子松平容保面倒もよく見ていた。いわゆる“恩返し”である。


――透き通った白に色味が映える、床の間の磁器。

「そして肥前佐賀…、鍋島じゃ。」
佐賀にございますか。たしかに異国の業(わざ)に通じておりますが…」

長野主膳は、いまいち得心がいかない様子だ。
鍋島肥前は大層な“蘭癖”(西洋かぶれ)。異国に囲まれる昨今、役には立ちましょうが…」

信は置けぬと考えるか。」
肥前は、何を企んでおるか…判然とせぬとも聞きますぞ。」


――手に持った扇で磁器を指し示す、井伊直弼。上絵の赤が鮮やかである。

「儂はな…鍋島を、あのように考えておる。」
鍋島肥前が、あの“伊万里”(鍋島焼)の如しと…?」
直弼幕閣で経験を積み、長野主膳の発想を超えてきたところがある。

裏はあるが、嘘は無い…と言ったところか。」
鍋島焼”は、佐賀藩機密事項の1つである。

その製法極秘とされ、厳しい管理により藩外に流出することは無い。その裏には壮絶な歴史があった。


――佐賀藩の技術立国は、徹底した秘密の管理により成り立っていたのである。

佐賀造り出すのは、真っ直ぐな“本物”のみ…」
この頃、井伊が治める彦根藩も、陶磁器産業に力を入れていた。

「“慣れ合い”の中からは、生じぬ物があるという事じゃ。」
井伊直弼の厳しい目は、佐賀藩そして鍋島直正を“本物”と判じたのである。


(続く)  


Posted by SR at 21:58 | Comments(0) | 第13話「通商条約」