2020年02月08日

第3話「西洋砲術」①-2

こんにちは。
当ブログも開始から2か月が経過しました。引き続きよろしくお願いします。では、昨日の続きです。


――その頃、佐賀藩では、幕府に城の再建資金の相談をしていた。

鍋島直正が、また請役所(行政部門)に顔を見せる。
…とは言っても、直正同じ建物に住んでいるので、別の部屋に来ただけである。

そこでは、請役鍋島安房が執務をしていた。
安房よ、今日も励んでおるな。ところで、江戸から返事が来たぞ。」
「まことですか。」


――幕府への交渉にあたる直正の妻(正室)の盛姫より手紙が来ていた。

大奥に、かけあってくれているのじゃ。良き妻を持った…」
しみじみと噛みしめるように、直正が語る。

もともと将軍の娘である盛姫が交渉窓口としているのは、自身が産まれ育った大奥
一般の女子でも出世すれば、大名並み政治権力を持つことができる。いわば、江戸時代キャリアウーマンの巣窟なのである。


――先代将軍の徳川家斉が“大御所”として強い権力を保持する時代。

直正の妻“盛姫”は大御所様の愛娘
出世競争に明け暮れる大奥では無視できない存在感があった。

盛姫さま…何とありがたい。公儀(幕府)より資金の借入さえできれば、城の再建も進められます。」

安房よ。お主は勘定方の名代のようになってきたな。」
勘定方の者とよく話しますゆえ、算盤(そろばん)の音が耳に馴染んで参りました。」


――上層部だけでなく、家来たちも忙しい。佐賀城下のある屋敷にて。



トン!

勘定方長崎御番の侍。旧知の2人が、城下の武家屋敷で出会う。
いつものように双方が急ぎ足だったため、軽くぶつかった。

「この曲がり角に差し掛かると、お主とぶつかるのは変わらんのう。」
「私も老いたのか、のようには走れませぬが、止まるのも下手になり申した。」

勘定方が、ふと気づいたように、言い放った。
「お主、そもそも廊下走るところではないぞ!」

――第1話(1808年)では、若侍だった2人も、お役目に励むこと27年。頭には白髪も混じってきた。

請役になられた安房様が、儂に話を聞きたいと仰せになってな。」
すっかり貫禄の出た勘定方。いわば“副社長”が自分の意見を求めると、誇らしげに語る。

もともと鍋島安房は、家来の話を聞くのに時間を割くことを厭わない。
勘定方の大ベテランは、現場の声を積極的に拾っていく姿勢に心酔している。

「お主からは、どのようなご意見を申し上げたのか。」
借財の返し方よ…今後、借り入れさえ無ければ良い。返すのに何十年かかろうが構わぬ。利息などは力業でどうにかしてみせる。」

「しかし、大半の商人から借入をせずにやっていけるのか。」
「此度の火災で無用なに就く者の大半がを解かれておってな。」


――火災を機に、いわば役職の“大リストラ”を敢行した佐賀藩。

ここでの“リストラ”とは、藩士を退職に追い込んだのではない。

無駄な肩書を消滅させ、役職給を大幅に削った。
藩士たちに付いていた不要な役職を一気に整理し、生活保障給のみに絞ったと説明しよう。

今なら再建も必要なため、「火急のときである!お家のために我慢せよ!」という論法も使えた。

佐賀藩は、その時点で就いている役職に応じて、給料を支給するシステムを推し進めていく。

「毎年、決まってかかる費用を減らす。倹約の鉄則だな。」

前藩主・斉直とその側近が力を持っていた時代は、充分に経費の節減ができなかった。ようやく存分に腕が振るえる。
勘定方の大ベテランとなった“倹約の鬼”は、いかにも嬉しそうに笑っていた。

(続く)  


Posted by SR at 16:25 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月07日

第3話「西洋砲術」①-1

こんばんは。

今回から第3話西洋砲術」を開始します。時代は、まだ“天保の改革”の前。佐賀藩先進性を感じていただければ幸いです。

①佐賀城、火災からの復興

――1935年。城の火災に見舞われた佐賀藩。残った三の丸で政務を行っていた。

鍋島直正がつぶやく。
「さすがに三の丸だけでは、手狭であるな。」

藩のナンバー2(請役)となった鍋島安房が応じる。
殿…それは言わない約束です。」

ここは佐賀藩主・直正の生活空間である。
しかし様々な仕事をする藩士たちが、目の前をひっきりなしに通り過ぎる。
大風で崩れた堤は、まだ治らんのか!」
「商人はあまり田畑に立ち入らせるな。」
陶器の売り捌きをお家で仕切るのはどうか!」
「その借財…なんとか踏み倒せんか…」

良きにつけ悪しきにつけ、藩士たちの相談事まで直正の耳に入る。
風通しの良い職場と言えば、聞こえはよい。

殿…お気持ちはわかります。気の休まるときがございませぬな。」
安房よ。相済まぬ。つい愚痴を言うてしもうた。」
いわば会社(役所)の中で生活している状態の直正

「近くの多久家の屋敷も間借りしていますが、やはり同じ建屋の方が便利が良いかと。」
「そうじゃな。建屋の中を動くのであれば、も出なかろう。」


――都会(江戸)育ちのせいか、極端に“蛇”が苦手な直正

「私の須古領の屋敷廻りでは、たくさん出ますぞ。」
「では、が出たときは安房に任せる!」

「…安房よ。任せついでに申し訳ないが、今度、オランダ船を見に行っても良いか。」
殿武雄茂義様に似て来られましたな…」


――佐賀藩主に着任早々、長崎でオランダ商船に乗り込み、視察を行った鍋島直正

当初は、長崎奉行所も「前例がない!」と難色を示したが、直正が自ら前例を作ってしまった。
もはや毎年恒例となり、奉行所オランダ商船の視察については止めるのをあきらめている。

そして直正のこの行動は、言うまでもなく武雄領主の義兄(茂義)の影響である。

“蘭癖”(西洋かぶれ)は、14歳年上の茂義から直正へ着実に受け継がれつつあった。

(続く)  


2020年02月06日

第3話「西洋砲術」(予告)

こんばんは。

佐賀県の中でも、武雄市民の方にぜひご覧いただきたい第3話。
鍋島直正に強い影響を与えた、武雄領主・鍋島茂義を中心としたお話です。

茂義公の蘭学好きが、“蘭癖”(西洋かぶれ)と言われた佐賀藩を先導し、“ものづくり日本”の近代化は始まった…と考えています。

1.タイトルとあらすじ

第3話「西洋砲術」

佐賀城の火災により、二の丸は全焼。もともと本丸が再建できていなかった佐賀藩
残った三の丸で、佐賀藩政の中心と藩主・鍋島直正の住居を兼ねることになった。

将軍家である、直正の妻・盛姫幕府から再建資金を借用すべく大奥に接触する。
一方、藩のナンバー2鍋島安房は、財政再建のために藩士たちとの相談を重ねる。

城の再建の傍ら、武雄領主・鍋島茂義は、長崎の“高島流砲術”に強い興味を持つ。
家来の平山醇左衛門は、オランダ砲術より編み出された技術を学び、茂義に伝えていく。

――時は、1835年。
その年、火災に遭った佐賀城だが、鍋島直正たちの改革は始まっていた。

2.設定
年代:1835年~1843年頃

主な舞台:佐賀藩武雄領

登場七賢人:鍋島直正

3.主要登場人物
〔佐賀本藩〕

鍋島直正…20代前半。城の火災を機に、佐賀藩の実権を掌握する。当時の名は斉正。

盛姫…直正の正室。前将軍・徳川家斉の娘。幕府(大奥)への交渉を担当する。

〔佐賀藩武雄領〕

鍋島茂義…30代半ば。蘭学への情熱が強い。家来(平山)を通じ、西洋砲術を学ぶ。

平山醇左衛門…長崎で“高島流砲術”を学び、茂義への取次ぎ役も務める。

〔佐賀藩須古領〕

鍋島安房…20代半ば。藩の請役(筆頭家老)に就任。藩の財政再建に尽力する。

〔長崎(町役人)〕

高島秋帆…長崎の町を運営する地元の役人。オランダの砲術を学び“高島流”を創始する。

〔幕府〕

水野忠邦…天保の改革を行った老中。才能を見込んで、鳥居・遠山・江川らを登用する。

鳥居耀蔵…幕府目付。のちに南町奉行。「妖怪」とも「マムシ」とも恐れられる執念深い人物。

遠山景元…「遠山の金さん」で知られる江戸北町奉行。鳥居が行う庶民への締め付けに対抗する。

江川英龍…伊豆韮山代官。異国船の脅威に気づき、西洋砲術の視察のため、武雄領に足を運ぶ。

〔その他の主なキャスト(参考)〕

佐賀藩士(長崎御番)…第1話の若侍。異国船に負けない長崎の台場整備、次世代の育成を目指す。

佐賀藩士(勘定方)…第1話の若侍の同僚。長年、勘定方を務める。鍋島安房の財政再建に期待する。

武雄領の家来…領主・鍋島茂義の側近。いつも行動力抜群の茂義に振り回される。忠義心は厚い。

4.タイムテーブル(予定)
(5分)
①佐賀城、火災からの復興

(10分)
②長崎の砲術家と武雄領主

(20分)
③西洋砲術の夜明け

(30分)
④幕閣の妖怪

(40分)
⑤御船山の慟哭と決意


…以上です。
投稿しているうちに、タイムテーブルは変更していく可能性が高いですsweat01
  


Posted by SR at 21:50 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月05日

「算盤大名」紀行~佐賀城・本丸~

こんばんは。

当ブログでは、大河ドラマのイメージで幕末佐賀藩を語ろうとしています。そして、試しにやってみたかったことがあります。

そう、放送後の「大河ドラマ紀行」です。
第1話、第2話と少し走ってしまったので、ここで一息入れたいと思います。


〇佐賀城~鍋島直正が再建した本丸~


――江戸の佐賀藩邸で産まれ育った、鍋島直正。

直正は、数え17歳の1830年佐賀藩主となり、はじめて佐賀城に入ります。


――当時の佐賀藩は借金の取立てで、大名行列を止められるほどの財政難でした。

先代藩主で直正の父・鍋島斉直も贅沢を止めず、財政の悪化に拍車をかけます。


――1835年には、佐賀城で火災が起き、非常時を利して、直正は実権を握ります。

百年前の火災で消失していた、本丸を新たな佐賀藩の中心として建て直ししました。


――日本の近代化を先導する佐賀藩の幕末は、この場所で始まるのです。

本丸の御殿は「本丸歴史館」として2004年に再建されました。

現在では、幕末・維新期の佐賀の賢人たちを顕彰する芝居も行われ、人気を博しています。


〇アクセス、情報

「佐賀城本丸歴史館」
JR佐賀駅から車で10分、徒歩25分
佐賀空港よりバスで20分

「佐賀の八賢人おもてなし隊」
佐賀城本丸歴史館で、毎週日曜日に上演中

※開館日、上演日などの情報は公式情報をご確認ください。


…以上です。
一度、やってみたかったのです。「大河ドラマ」紀行

ちなみに“佐賀の八賢人おもてなし隊”の公式情報は当ブログと同じ、「さがファンブログ」内で見ることができます。  


Posted by SR at 21:04 | Comments(0) | 企画案・雑記帳

2020年02月04日

第2話「算盤大名」⑤-2

こんばんは。
第2話「算盤大名」、最終盤です。


――1835年。鍋島直正の藩主就任から6年ほどが経過。

この年、佐賀城にて火災が発生する。

直正にはおらず、脊振山まで参拝に出かけていた。
近辺に宿をとっていたのだが、未明に早馬が駆け、火災の発生の報を受けた。

の勢いは凄まじく、一木一草を残さず焼き尽くす勢い。
深夜の消火活動は全く追いつかず、建物は次々とに包まれて行った。


――朝、佐賀城に駆け戻る。焼け跡を見て、茫然とする直正

佐賀藩政の中心である二の丸から、建物が消滅している。

百年前の火災で既に本丸・天守は無い。再建できていなかったのである。もはや使えるのは三の丸のみ。直正は困惑した。


――その時、古賀穀堂が現われた。

学問の師はよく通る声で、直正に言葉をかける。
これで道が開けましたな。」

穀堂!何を申すか。」
さすがの直正穀堂を怒鳴りつけた。

若殿の叱責に穀堂は答えない。
それどころか、不敵な笑みを浮かべている。

「…そうか、そういう意味か!」
直正穀堂の真意を察した。

火災は困りますが、これで殿の出番でござる。」
若殿が答えを見つけたと見るや、穀堂が口を開く。

「危急のときに、“学ばない者”は役に立ちませぬぞ。」
やはり穀堂は不敵な笑みを崩さない。

穀堂!お主の期待に応えるぞ。重臣総入れ替えじゃ!」
早速、直正は父・斉直に通告した。



――但し、通告の要旨はこうである。

「心苦しいのですが、非常時です。今後は全ての判断現場で行います。」

城の再建には費用の支弁、幕府への調整等、とにかく手間がかかる。

今の斉直の取り巻きたちは、周囲には威張るが、やる気も実行力もない。無理にでも面倒な仕事に出向こうとする者は誰もいなかった。


――そして緊急対応を名目に、佐賀藩の人事は刷新された。

藩のナンバー2である“請役”には、直正より1歳年上の兄・鍋島安房が抜擢される。

また、城の再建は、武雄領主・鍋島茂義が受け持つことになった。

前藩主・斉直を取り巻く“学ばない側近”や“考えない重臣”は権力を失っていく。

こうして、穀堂の思惑どおり、佐賀藩は「日本一勉強を尊ぶ藩」へと進んでいくのである。

――直正の胸には、正室・盛姫の言葉が浮かんでいた。

直正が藩主となり、江戸を出るときに「もしも公儀(幕府)の力が必要なときは知らせてほしい」と言った盛姫
将軍家であることを利用すれば良い…との意図だった。

よ。“もしも”の時が来てしもうたわ。頼りにするぞ。」
直正は、少し気が抜けた声で独り言をつぶやいた。

――パチパチ、パチパチパチ!佐賀城の一角で、算盤(そろばん)の珠の音が響いていた。

(次回:第3回「西洋砲術」に続く)

  


Posted by SR at 22:23 | Comments(0) | 第2話「算盤大名」

2020年02月03日

第2話「算盤大名」⑤-1

こんばんは。

第2話、この調子で45分に収まるのかという疑問はあるのですが、終盤です。
長崎が中心だった第1話と違い、武雄須古なども含め、ほぼ佐賀県一色でお送りしています。


――鍋島直正が佐賀藩主になり、3年ほどの歳月が流れた。

朝、側近古川与一(松根)が尋ねる。

殿お召し物はいかがいたしましょう。」
「本日は、大殿とお会いすることは無さそうだ。」

「では、の着物は準備いたしません。」

直正は、大殿(父・斉直)と会うときだけ絹の着物を用いる。
ふだんは庶民的木綿の衣服を着用していた。

隠居した斉直大殿と呼ばれ、昔からの重臣たちと、未だ権力を握っている。

直正からすれば、食事でも、服装でも…節約できるものはしたいのだが、斉直意向は無視できなかった。

直正は、家来たちと武芸の稽古や呼吸法の鍛錬を行い、気力の維持に努める。
最近では、不眠に悩まされることは減ったものの、気を遣ってばかりの暮らしは変わらなかった。



――しかし、来るべき佐賀藩の改革について相談だけは進めていた。

古賀穀堂の著した“済急封事”という意見書

改革についての秘密裡の内容が記されていた。斉直重臣たちに機密が漏れないよう、読んだ後は、火に投じるようにとの申し送りまであった。


――若殿と鍋島安房は、意見書の内容をもとに話し合っていた。

鍋島安房直正より1歳年上だが側室の子(異母兄)のため世継ぎではない。婿養子として須古鍋島家に入っている。

安房が話を切り出す。
商人農村に入り込み、土地を失う百姓はさらに増えているようです。」

若殿・直正が話を受ける。
農村の安定は、佐賀の基盤じゃからな。秩序は守らねば。」

長崎などで売ることができる作物、何がよろしいでしょうか。」
ハゼは…蝋燭になるぞ。」

「轟木宿(鳥栖)の近辺では、盛んに植えられております。良い見立てではないかと。」


――ここで若殿は、鍋島茂義の不在に思い至った。

「ところで武雄義兄上は、今いずこに居られる?」

長崎砲術の流儀が開いた者がおり、家来を通じて教えを受けるそうです。先ほど、武雄まで駆けて行かれました。」

「いつもの義兄上であるな。」
直正がおどけた顔で言う。

「はい、茂義様らしゅうございますな。」
安房が、笑みで応える。

殿領主の立場であるが、この兄弟が、財政教育など佐賀藩改革の中心となっていく。

(続く)  


Posted by SR at 21:20 | Comments(0) | 第2話「算盤大名」

2020年02月02日

第2話「算盤大名」④

こんにちは。

第2話も後半です。始まりは異国船打払令が出た1825年でした。
現時点では、鍋島直正(当時は斉正と名乗る)が佐賀藩主に就任した1830年代まで時が進んでいます。


――家臣たちの意識を変えるべく、自身の倹約への覚悟を示した直正

しかし、前藩主・斉直の息のかかった重臣たちの総攻撃が始まる。

若殿!政事(まつりごと)は、万事、先例どおりに行うことが肝要!」
まず、全く考えず前例を踏襲することが正しいと考える守旧派

若殿っ!何ですか、その粗末な身なりは!身分に合ったお姿をなさりませ!」
贅沢を好む前藩主の空気を読んで、直正倹約に反対する者。

若殿はお考えが堅い。学問ばかりでは駄目じゃ。良き側室をお世話したい。」
女性の魅力で、意志の強い直正を骨抜きにすることを狙う者もいた。


――その一方で、就任した若殿・直正を守る側の勢力も集結していた。


「“学ばない者”どもめ!やはり攻めて来おったか!」
直正の教育係・古賀穀堂

穀堂は続ける。
人を妬み決断をせず負け惜しみばかり言っている…いま佐賀には“三つの病”が蔓延しておりますのう。」

「その通りじゃ!かくなる上は、悪弊を成す者どもを一気に除くべし!」
武雄領の鍋島茂義が息巻く。直正義兄(姉の夫)であり、若殿の藩主就任にも影響力を発揮した。

「恐れながら茂義様。お考えが危ういです。今のところは穏便に参りましょう。」
隣に座っていた青年が言葉を発する。名を“鍋島茂真”という。“安房”と呼ばれることが多い。

――この青年、現在で言えば佐賀市と武雄市の間、白石町西部にある“須古領”の領主である。


鍋島直正母違いで1歳年上。猛勉強する努力家として評判も高い。

「まぁ“安房”の言うことも一理ある。儂はいつも請役を外されるからのう。」
鍋島茂義は過激な解決策をすぐ実行に移す。その都度、役職を解任され武雄に戻されていた。

安房様は、よく学問をなさる。兄上が傍にあれば、殿も心強いことでしょう。」
よく学ぶ者”が大好きな古賀穀堂。笑みがこぼれる。


――いわば“若殿を守る会”の3人の面前に、鍋島直正が姿を見せた。

「…殿、少しやつれておられるのでは?」
鍋島安房若殿の様子を伺う。

「実は、昨晩も眠れなかったのじゃ。」
重臣たちとの間に生じている溝に、直正も苦心していた。

「大丈夫なのでございますか。」
「障りはない。一晩考えて、答えを出したのじゃ。」

も古くからの家臣に言い過ぎたところがある。」
本人は意識していない様子だが、直正も殿らしい言葉遣いになった。

「次は、家臣たちの前で“お主らの話が聞きたい”と述べるつもりじゃ」

若殿がご自身で出した答え…穀堂は、嬉しゅうございますぞ。」


――直正の教育係・古賀穀堂の胸に熱い想いが込み上げる。

幼少の頃から学問は教えてきた。直正にとって、これからが実践なのだ。



「やはり若殿は、儂とは一味違うようだな。まぁ、いざとなれば一気に…」
本音では、鍋島茂義は実力行使に打って出たいようである。

「今、茂義様に武雄に帰られては困るのです。どうかご自重を!」
「…相分かった。」
若い鍋島安房が根気よく説得する。さすがの茂義も強硬手段を思いとどまったようだ。

武雄義兄上、須古兄上…そして、穀堂先生。これからも頼りにしますぞ!」
顔を突き合わせる3人の様子を見て、鍋島直正は久しぶりに笑った。


――今のところ、直正は殿とは名ばかりの気詰まりな生活を続けている。

旧弊にこだわる重臣たちから小言の嵐を浴び、大殿(前藩主・斉直)に会えば色々と指図される。

名君への道は険しいが、若殿・直正を信ずる者たちの力がある。
財政軍事教育…改革の準備は着々と進んでいた。

(続く)  


Posted by SR at 12:18 | Comments(0) | 第2話「算盤大名」

2020年02月01日

第2話「算盤大名」③-3

こんにちは。

鍋島直正が、初めて江戸から佐賀に入ったときの逸話をもとに構成したお話を続けています。
第2話の中盤(③)の3回目の投稿です。


――旅の序盤、品川で借金の取り立てに遭った、鍋島家の大名行列。

家来たちに、少しでも資金節約しようとの意識が強まり、宿場での滞在時間を削る等の涙ぐましい努力を重ねた。

そして、品川宿以降、概ね1か月の道中は平穏で、一行も落ち着きを取り戻していた。

鍋島直正は行列の中心で、大名駕籠に乗っている。


――行列は、長崎街道を西に進み、轟木宿(現在の佐賀県・鳥栖市)に差し掛かった。

殿!もうじき佐賀藩内に入ります!」
品川では、資金繰りのため江戸に駆け戻った家来が、駕籠の外から直正に声をかける。
何とかお国入りまで持ちこたえた。行列の差配役として、声の調子も明るい。

「では、を用意してくれぬか。」
「馬でございますか。」

「早速だが、領内を見ておきたいのじゃ。」
「左様なことなれば!殿にお馬を支度せよ!」
行列の差配役の家来が、部下に指示をする。


――直正は駕籠から降り、馬に跨った。

どこまでも広がる田園風景。
大都会・江戸佐賀藩邸で生まれ育った直正にとって、目新しい光景だった。

「ここが、が治める国…」
江戸からの長旅。直正の感慨もひとしおだった。

「そしてが何とかせねばならんのだな。」
旅の出鼻を挫かれた品川宿での騒動を思い起こし、すぐに気を引き締めた。


――しばらく行列とともに、馬を進める。

「新しいお殿様じゃ。」
「なんと凛々しい。」

「お噂どおり、とてもお若い…」
領民たちが遠巻きに行列を見守る。

直正は、少しでも領内を見聞しようと落ち着きなく周囲を見回しているので、領民たちと目が合う。

「新しいお殿様は…儂らのことを見てくださっているぞ!」
「なんと!我ら下々の者にまで目配りを!!」

「ありがたや…」
手を合わせる者まで現われ始めた。

お殿様と目が合ったことをきっかけに、領民たちのひそひそ話は、歓声へと変わっていく。

お殿様~!!!」

遠方から聞こえる声も合わせ、長閑な農村風景は、突如お祭りが始まったようになった。

1人の藩士として行列に加わっていた、直正の教育係・古賀穀堂がつぶやく。
「領民たちの歓声の如し。殿はそれだけ期待されておりますぞ…」


――佐賀藩内を移動し、ようやく佐賀城に入った直正



佐賀城の大広間には重臣一同が集められていた。

殿のお成りである。」
「はは~っ」
重臣たちだけでも、数十人いや百人を超えるだろうか。
一斉に威儀をただし、平伏にて座礼をする。

「皆の者、面を上げよ!」
また一斉に顔を見せる重臣たち

この面々に対して、挨拶もそこそこに直正は言い放った。
「余は此度の国元への旅で、お家の苦しい勝手向き(財政)を知った。」

――就任の挨拶で終わるかと考えていた重臣たち。いきなり核心に入る若殿の言葉にざわめく。

そして、直正はこう続けた。
「この危難に立ち向かうためには、が率先して倹約し、範を示さねばならぬ。何としてもやり遂げる。お主らも同様に励んでほしい。」

藩主就任早々、いきなりの財政の「危機宣言」と「倹約徹底」の指示。
古くからの重臣たち呆気に取られたところは否めなかった。

(続く)
  


Posted by SR at 15:08 | Comments(0) | 第2話「算盤大名」