2020年02月16日
第3話「西洋砲術」⑤
こんにちは。第3話「西洋砲術」最終盤(⑤)の投稿です。
かなり辛いエピソードですが、全力で描きましたので、ぜひご覧ください。
⑤御船山の慟哭。そして、茂義の決意
――1842年。天保の薪水給与令。“異国船打払令”はいったん緩和される。
「“お上の慈悲”により、困っている外国船にも食料や水を与えて良い」という体裁が取られた。
国内の混乱が続く中、武装に勝る異国船との衝突を避ける意図があった。
日本の“西洋砲術”の第一人者・高島秋帆は、この年に捕えられる。
そして“マムシ”の異名を持つ鳥居耀蔵が、高島秋帆を直接取り調べる。
「そちは、密貿易で蓄えた資金で、公儀(幕府)に刃向かおうとしていたのであろう…ん、どうなのじゃ。」
「帳簿を不正に操作し、辻褄を合わせていた…そういうことじゃろう?何とか言うてみよ!」
高島が申し開きをしても、もちろん鳥居は耳を貸さない。
この展開に、幕府の“開明派”たちも恐怖した。
――そして、鳥居の狙い通りに、幕府への忖度(そんたく)が蔓延する。
佐賀藩では、鍋島直正の影響力が届きづらい守旧派の家臣たちも勢いを盛り返す。
「過ぎたる“蘭癖”(西洋かぶれ)は、お家の害でござる!万事、元に戻すことです!」という具合である。
武雄領でも、高島の捕縛に関して、門下生・平山醇左衛門が取り調べられていた。
「そなたの存念はいかなるものか。」
「師匠・高島秋帆の砲術を、遍(あまね)く広めること!」
「痴れ者(しれもの)め!“罪人”の教えを広めると申すか!」
「わが志は、高島先生とともにあり!」
「こやつ、主君への忠義よりも、師の教えを守ると申すか!」
「武雄の殿は“蘭癖”ゆえ、謀る(たばかる)のは容易でござった!」
ふだん温厚な平山が「これでもか!」と悪態をつく。
評議の結果、平山醇左衛門は「高島秋帆と結託し、主君を愚弄(ぐろう)した罪人」とされた。
武士の身分をはく奪されたうえで、処刑される方針が決まった。
――武雄領の屋敷。
鍋島茂義の家来が、いつになく大声で問う。
「これでよいのでございますか!あれほど大事にしていた平山が…」
茂義は振り向かず、家来に言った。
「これ以上、何も申すな!」
平山は、茂義が高島門下であることを含め、全ての不都合を一身にかぶろうとしていた。
領主こそ退いているが、茂義には武雄領を守り、佐賀藩に害が及ばないよう動く義務がある。
もはや万策が尽きていたのである。
茂義は家来の問いかけには答えないが、その場を立ち去らずに止まっている。
その後ろ姿に、いつもの明朗さは感じられず、黒い影でも背負い込んだように重かった。
――こうして、平山の処刑は執行された。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり。」
佐賀武士の教典“葉隠”はそう伝える。
その日の刑場を見たものは、口々にこう言った。
「平山の“死”は、見事なものであった」と。
まず、刑を執行される平山が、泰然とした態度を崩さなかったこと。
そして、執行の手順も速やかで淀みがなく、見事な段取りであったこと。
処刑に関わる者すべてが“武士として為すべき動き”をしたと語られる。
不思議な事に“重罪人”処刑の風景は「一幅の美しい絵」のように賞賛された。
――皆が、平山醇左衛門の姿を忘れていなかった。
蘭学に打ち込み、砲術に励み、自分が得た知識を全力で皆に伝える。
そして、誰よりも“武雄の殿”・茂義への忠義に厚い人物…
「少し出掛けるぞ!」
茂義が家来に告げる。
「では、お供します!」
家来が応じる。
「ついて来んでいい!」
茂義はそのまま出立した。
御船山か…家来には察しがついた。
巨大な船舶を繋いだような切り立った山で、武雄の象徴的な風景である。
――御船山を見上げる茂義。山の岩肌の向こうに青空が見える。

茂義は大声で叫んだ。
「平山!空から見ておるかっ!」
「平山、平山、平山平山…山平!決して儂を許すでないぞ!!」
「誰よりも厳しい目で儂を見つめておれ!」
よく通る声は、御船山に響き渡った。
茂義の目には、平山醇左衛門の残像が浮かぶ。
「…平山。なぜ、微笑んでおるのじゃ…儂を怒れ!儂を恨め!」」
――茂義の目に映る“御船山”の景色が、涙で霞んだ。
そして、濃い霧が山影を包んでいった…。
「よし。儂が…お前になろう!」
茂義は、空に向かって、決意を言い放った。
「お前の代わりに砲術を極め、佐賀を最強の雄藩としてみせよう!」
「…そして、お前に代わって国を守ってやる!どうだ!それで良いか、平山っ!」
空に見える平山の残像は、やはり微笑んでいた。
そして、茂義に向かって笑みを浮かべたまま、その影は静かに薄れていった。
――この時1843年。浦賀にペリーの黒船が来航するまで、あと10年。
“太平の眠り”と言うが、異国の脅威に気づいた佐賀藩は眠ってなどいなかった。
日本の近代化に向け、夜明け前を走り続けていたのである。
(次回:第4話「諸国遊学」に続く)
かなり辛いエピソードですが、全力で描きましたので、ぜひご覧ください。
⑤御船山の慟哭。そして、茂義の決意
――1842年。天保の薪水給与令。“異国船打払令”はいったん緩和される。
「“お上の慈悲”により、困っている外国船にも食料や水を与えて良い」という体裁が取られた。
国内の混乱が続く中、武装に勝る異国船との衝突を避ける意図があった。
日本の“西洋砲術”の第一人者・高島秋帆は、この年に捕えられる。
そして“マムシ”の異名を持つ鳥居耀蔵が、高島秋帆を直接取り調べる。
「そちは、密貿易で蓄えた資金で、公儀(幕府)に刃向かおうとしていたのであろう…ん、どうなのじゃ。」
「帳簿を不正に操作し、辻褄を合わせていた…そういうことじゃろう?何とか言うてみよ!」
高島が申し開きをしても、もちろん鳥居は耳を貸さない。
この展開に、幕府の“開明派”たちも恐怖した。
――そして、鳥居の狙い通りに、幕府への忖度(そんたく)が蔓延する。
佐賀藩では、鍋島直正の影響力が届きづらい守旧派の家臣たちも勢いを盛り返す。
「過ぎたる“蘭癖”(西洋かぶれ)は、お家の害でござる!万事、元に戻すことです!」という具合である。
武雄領でも、高島の捕縛に関して、門下生・平山醇左衛門が取り調べられていた。
「そなたの存念はいかなるものか。」
「師匠・高島秋帆の砲術を、遍(あまね)く広めること!」
「痴れ者(しれもの)め!“罪人”の教えを広めると申すか!」
「わが志は、高島先生とともにあり!」
「こやつ、主君への忠義よりも、師の教えを守ると申すか!」
「武雄の殿は“蘭癖”ゆえ、謀る(たばかる)のは容易でござった!」
ふだん温厚な平山が「これでもか!」と悪態をつく。
評議の結果、平山醇左衛門は「高島秋帆と結託し、主君を愚弄(ぐろう)した罪人」とされた。
武士の身分をはく奪されたうえで、処刑される方針が決まった。
――武雄領の屋敷。
鍋島茂義の家来が、いつになく大声で問う。
「これでよいのでございますか!あれほど大事にしていた平山が…」
茂義は振り向かず、家来に言った。
「これ以上、何も申すな!」
平山は、茂義が高島門下であることを含め、全ての不都合を一身にかぶろうとしていた。
領主こそ退いているが、茂義には武雄領を守り、佐賀藩に害が及ばないよう動く義務がある。
もはや万策が尽きていたのである。
茂義は家来の問いかけには答えないが、その場を立ち去らずに止まっている。
その後ろ姿に、いつもの明朗さは感じられず、黒い影でも背負い込んだように重かった。
――こうして、平山の処刑は執行された。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり。」
佐賀武士の教典“葉隠”はそう伝える。
その日の刑場を見たものは、口々にこう言った。
「平山の“死”は、見事なものであった」と。
まず、刑を執行される平山が、泰然とした態度を崩さなかったこと。
そして、執行の手順も速やかで淀みがなく、見事な段取りであったこと。
処刑に関わる者すべてが“武士として為すべき動き”をしたと語られる。
不思議な事に“重罪人”処刑の風景は「一幅の美しい絵」のように賞賛された。
――皆が、平山醇左衛門の姿を忘れていなかった。
蘭学に打ち込み、砲術に励み、自分が得た知識を全力で皆に伝える。
そして、誰よりも“武雄の殿”・茂義への忠義に厚い人物…
「少し出掛けるぞ!」
茂義が家来に告げる。
「では、お供します!」
家来が応じる。
「ついて来んでいい!」
茂義はそのまま出立した。
御船山か…家来には察しがついた。
巨大な船舶を繋いだような切り立った山で、武雄の象徴的な風景である。
――御船山を見上げる茂義。山の岩肌の向こうに青空が見える。

茂義は大声で叫んだ。
「平山!空から見ておるかっ!」
「平山、平山、平山平山…山平!決して儂を許すでないぞ!!」
「誰よりも厳しい目で儂を見つめておれ!」
よく通る声は、御船山に響き渡った。
茂義の目には、平山醇左衛門の残像が浮かぶ。
「…平山。なぜ、微笑んでおるのじゃ…儂を怒れ!儂を恨め!」」
――茂義の目に映る“御船山”の景色が、涙で霞んだ。
そして、濃い霧が山影を包んでいった…。
「よし。儂が…お前になろう!」
茂義は、空に向かって、決意を言い放った。
「お前の代わりに砲術を極め、佐賀を最強の雄藩としてみせよう!」
「…そして、お前に代わって国を守ってやる!どうだ!それで良いか、平山っ!」
空に見える平山の残像は、やはり微笑んでいた。
そして、茂義に向かって笑みを浮かべたまま、その影は静かに薄れていった。
――この時1843年。浦賀にペリーの黒船が来航するまで、あと10年。
“太平の眠り”と言うが、異国の脅威に気づいた佐賀藩は眠ってなどいなかった。
日本の近代化に向け、夜明け前を走り続けていたのである。
(次回:第4話「諸国遊学」に続く)