2020年02月03日

第2話「算盤大名」⑤-1

こんばんは。

第2話、この調子で45分に収まるのかという疑問はあるのですが、終盤です。
長崎が中心だった第1話と違い、武雄須古なども含め、ほぼ佐賀県一色でお送りしています。


――鍋島直正が佐賀藩主になり、3年ほどの歳月が流れた。

朝、側近古川与一(松根)が尋ねる。

殿お召し物はいかがいたしましょう。」
「本日は、大殿とお会いすることは無さそうだ。」

「では、の着物は準備いたしません。」

直正は、大殿(父・斉直)と会うときだけ絹の着物を用いる。
ふだんは庶民的木綿の衣服を着用していた。

隠居した斉直大殿と呼ばれ、昔からの重臣たちと、未だ権力を握っている。

直正からすれば、食事でも、服装でも…節約できるものはしたいのだが、斉直意向は無視できなかった。

直正は、家来たちと武芸の稽古や呼吸法の鍛錬を行い、気力の維持に努める。
最近では、不眠に悩まされることは減ったものの、気を遣ってばかりの暮らしは変わらなかった。



――しかし、来るべき佐賀藩の改革について相談だけは進めていた。

古賀穀堂の著した“済急封事”という意見書

改革についての秘密裡の内容が記されていた。斉直重臣たちに機密が漏れないよう、読んだ後は、火に投じるようにとの申し送りまであった。


――若殿と鍋島安房は、意見書の内容をもとに話し合っていた。

鍋島安房直正より1歳年上だが側室の子(異母兄)のため世継ぎではない。婿養子として須古鍋島家に入っている。

安房が話を切り出す。
商人農村に入り込み、土地を失う百姓はさらに増えているようです。」

若殿・直正が話を受ける。
農村の安定は、佐賀の基盤じゃからな。秩序は守らねば。」

長崎などで売ることができる作物、何がよろしいでしょうか。」
ハゼは…蝋燭になるぞ。」

「轟木宿(鳥栖)の近辺では、盛んに植えられております。良い見立てではないかと。」


――ここで若殿は、鍋島茂義の不在に思い至った。

「ところで武雄義兄上は、今いずこに居られる?」

長崎砲術の流儀が開いた者がおり、家来を通じて教えを受けるそうです。先ほど、武雄まで駆けて行かれました。」

「いつもの義兄上であるな。」
直正がおどけた顔で言う。

「はい、茂義様らしゅうございますな。」
安房が、笑みで応える。

殿領主の立場であるが、この兄弟が、財政教育など佐賀藩改革の中心となっていく。

(続く)  


Posted by SR at 21:20 | Comments(0) | 第2話「算盤大名」