2020年02月28日

第5話「藩校立志」②

こんばんは。
一昨日の続きです。

――1844年。佐賀藩の砲術の研究所“火術方”が創設される。

大隈信保は忙しく働いていた。
信保は、大隈八太郎(のちの大隈重信)のである。

そして“石火矢頭人”(いしびや かしら)の役職にある。
石火矢”、ここでは大砲古風な表現とお考えください。

大隈は、佐賀藩砲術の担当者であった。


――ドン!ドン!

大隈どの!モルチール砲試射、滞りなく。」
西洋砲術”の流儀に基づいて実験を行う。

「ご苦労。ここに記してくれ。」
大隈信保は次々に生じる実験データを集めていた。

火薬調合ごとに結果が異なり申した。」
「やはりな。見込みどおりだ。」
信保は“砲術長”の立場にあり、自身で火薬の調合もこなせたという。


――ポン!ポン!

大隈どの!古来の“石火矢”も、まずまずの結果ですばい。」
佐賀藩は、和製大筒も比較の対象とし、洋砲と並べて試験をしていた。

「ほう、思いのほか、よかごたね…」
大隈信保大筒の担当とも旧知の様子。

「この大筒も使えるかもしれぬな…」
信保は、大砲の弾道計算もできたと言われる。


――そこで“長崎御番の侍”の継承者・本島藤太夫が現場に現れる。

鍋島直正側近でもあり、“火術方”でも重責を担う本島
製砲”の主任、“台場”の責任者と忙しい。

先ほど、殿から激励を受けてきたらしい。
本島よ!不埒な異国船あらば、打払えるだけの備えをせよ!」
と言い残すと、直正は次の仕事のために戻った。

各々の責任者がいるとはいえ、直正のもとでは、
防衛科学技術だけでなく、財政教育農業都市計画特産開発…多数のプロジェクトが進んでいたのである。

大隈信保は、ぽつりと言った。
殿も忙しかごたですな。」

――しかし、本島藤太夫は殿からの激励で高揚している。

大隈どの!私はやるぞ!」

そして、右拳を握りしめる本島
「もし長崎異国船が暴れるならば、私が悉く打払ってやる!」

…これは、第1話長崎警護」からの流れである。
あの日の若侍は、たしかに受け継がれている…

この直前1840年からのアヘン戦争で、東洋の大国・イギリスに完敗している。この衝撃、長崎を警備する佐賀藩では特に大きい。製砲台場の整備は急務だった。


――そして、ごく小さい話ですが、暴れると言えば…舞台は、佐賀城下。

おおくま はちたろうかくごしろ!」
年のころ、7歳ぐらいの男子が仁王立ちしている。

「なにを~うてるものなら、うってみろ!」
大隈八太郎、何やら自分より大きい子喧嘩を始めた。

こしゃくな!まて~っ!」
追われる八太郎
そこで身を翻す、いつの間にか手に持った柄杓(ひしゃく)。

低い体勢から、追いついた男の子の向う脛(むこうずね)をスコン!と叩く。
「いてて…」

――そして、手ごろな台の上に飛び乗った八太郎

たかうじ!かくご!」
「…たかうじ!?だれのことだ?」
困惑する相手に体ごと飛びかかる八太郎。とても危ない。

「ぐへっ、…まいった。」
いきなり“尊氏”と呼ばれた喧嘩の相手。奇襲攻撃に降参する。八太郎勝利である。

「どうだ!これが、なんこう(楠公)さまの、へいほう(兵法)だ!」
太平記”の物語を読んでもらうだけで、“楠木正成”に感化され戦闘力が上がった大隈八太郎


――後の大隈重信には、先輩部下から話を聞いただけで、必要な知識を得る力が備わった。

いわば“耳学問”の達人のような要領の良さがあった。
しかし、それはまだ随分、先の話…

弱々しい甘えん坊だった八太郎くん。
強い子になってほしいという母の想い、そしてであった“太平記”が効き過ぎて、今度は喧嘩ばかりする子になっていく。

大隈三井子は、相変わらず八太郎くんの育て方悩むのだった。

(続く)  


Posted by SR at 21:49 | Comments(0) | 第5話「藩校立志」