2020年02月02日

第2話「算盤大名」④

こんにちは。

第2話も後半です。始まりは異国船打払令が出た1825年でした。
現時点では、鍋島直正(当時は斉正と名乗る)が佐賀藩主に就任した1830年代まで時が進んでいます。


――家臣たちの意識を変えるべく、自身の倹約への覚悟を示した直正

しかし、前藩主・斉直の息のかかった重臣たちの総攻撃が始まる。

若殿!政事(まつりごと)は、万事、先例どおりに行うことが肝要!」
まず、全く考えず前例を踏襲することが正しいと考える守旧派

若殿っ!何ですか、その粗末な身なりは!身分に合ったお姿をなさりませ!」
贅沢を好む前藩主の空気を読んで、直正倹約に反対する者。

若殿はお考えが堅い。学問ばかりでは駄目じゃ。良き側室をお世話したい。」
女性の魅力で、意志の強い直正を骨抜きにすることを狙う者もいた。


――その一方で、就任した若殿・直正を守る側の勢力も集結していた。


「“学ばない者”どもめ!やはり攻めて来おったか!」
直正の教育係・古賀穀堂

穀堂は続ける。
人を妬み決断をせず負け惜しみばかり言っている…いま佐賀には“三つの病”が蔓延しておりますのう。」

「その通りじゃ!かくなる上は、悪弊を成す者どもを一気に除くべし!」
武雄領の鍋島茂義が息巻く。直正義兄(姉の夫)であり、若殿の藩主就任にも影響力を発揮した。

「恐れながら茂義様。お考えが危ういです。今のところは穏便に参りましょう。」
隣に座っていた青年が言葉を発する。名を“鍋島茂真”という。“安房”と呼ばれることが多い。

――この青年、現在で言えば佐賀市と武雄市の間、白石町西部にある“須古領”の領主である。


鍋島直正母違いで1歳年上。猛勉強する努力家として評判も高い。

「まぁ“安房”の言うことも一理ある。儂はいつも請役を外されるからのう。」
鍋島茂義は過激な解決策をすぐ実行に移す。その都度、役職を解任され武雄に戻されていた。

安房様は、よく学問をなさる。兄上が傍にあれば、殿も心強いことでしょう。」
よく学ぶ者”が大好きな古賀穀堂。笑みがこぼれる。


――いわば“若殿を守る会”の3人の面前に、鍋島直正が姿を見せた。

「…殿、少しやつれておられるのでは?」
鍋島安房若殿の様子を伺う。

「実は、昨晩も眠れなかったのじゃ。」
重臣たちとの間に生じている溝に、直正も苦心していた。

「大丈夫なのでございますか。」
「障りはない。一晩考えて、答えを出したのじゃ。」

も古くからの家臣に言い過ぎたところがある。」
本人は意識していない様子だが、直正も殿らしい言葉遣いになった。

「次は、家臣たちの前で“お主らの話が聞きたい”と述べるつもりじゃ」

若殿がご自身で出した答え…穀堂は、嬉しゅうございますぞ。」


――直正の教育係・古賀穀堂の胸に熱い想いが込み上げる。

幼少の頃から学問は教えてきた。直正にとって、これからが実践なのだ。



「やはり若殿は、儂とは一味違うようだな。まぁ、いざとなれば一気に…」
本音では、鍋島茂義は実力行使に打って出たいようである。

「今、茂義様に武雄に帰られては困るのです。どうかご自重を!」
「…相分かった。」
若い鍋島安房が根気よく説得する。さすがの茂義も強硬手段を思いとどまったようだ。

武雄義兄上、須古兄上…そして、穀堂先生。これからも頼りにしますぞ!」
顔を突き合わせる3人の様子を見て、鍋島直正は久しぶりに笑った。


――今のところ、直正は殿とは名ばかりの気詰まりな生活を続けている。

旧弊にこだわる重臣たちから小言の嵐を浴び、大殿(前藩主・斉直)に会えば色々と指図される。

名君への道は険しいが、若殿・直正を信ずる者たちの力がある。
財政軍事教育…改革の準備は着々と進んでいた。

(続く)  


Posted by SR at 12:18 | Comments(0) | 第2話「算盤大名」