2020年02月07日

第3話「西洋砲術」①-1

こんばんは。

今回から第3話西洋砲術」を開始します。時代は、まだ“天保の改革”の前。佐賀藩先進性を感じていただければ幸いです。

①佐賀城、火災からの復興

――1935年。城の火災に見舞われた佐賀藩。残った三の丸で政務を行っていた。

鍋島直正がつぶやく。
「さすがに三の丸だけでは、手狭であるな。」

藩のナンバー2(請役)となった鍋島安房が応じる。
殿…それは言わない約束です。」

ここは佐賀藩主・直正の生活空間である。
しかし様々な仕事をする藩士たちが、目の前をひっきりなしに通り過ぎる。
大風で崩れた堤は、まだ治らんのか!」
「商人はあまり田畑に立ち入らせるな。」
陶器の売り捌きをお家で仕切るのはどうか!」
「その借財…なんとか踏み倒せんか…」

良きにつけ悪しきにつけ、藩士たちの相談事まで直正の耳に入る。
風通しの良い職場と言えば、聞こえはよい。

殿…お気持ちはわかります。気の休まるときがございませぬな。」
安房よ。相済まぬ。つい愚痴を言うてしもうた。」
いわば会社(役所)の中で生活している状態の直正

「近くの多久家の屋敷も間借りしていますが、やはり同じ建屋の方が便利が良いかと。」
「そうじゃな。建屋の中を動くのであれば、も出なかろう。」


――都会(江戸)育ちのせいか、極端に“蛇”が苦手な直正

「私の須古領の屋敷廻りでは、たくさん出ますぞ。」
「では、が出たときは安房に任せる!」

「…安房よ。任せついでに申し訳ないが、今度、オランダ船を見に行っても良いか。」
殿武雄茂義様に似て来られましたな…」


――佐賀藩主に着任早々、長崎でオランダ商船に乗り込み、視察を行った鍋島直正

当初は、長崎奉行所も「前例がない!」と難色を示したが、直正が自ら前例を作ってしまった。
もはや毎年恒例となり、奉行所オランダ商船の視察については止めるのをあきらめている。

そして直正のこの行動は、言うまでもなく武雄領主の義兄(茂義)の影響である。

“蘭癖”(西洋かぶれ)は、14歳年上の茂義から直正へ着実に受け継がれつつあった。

(続く)