2020年02月13日
第3話「西洋砲術」③-4
こんばんは。
前回は大隈八太郎くん(後の大隈重信)の誕生を紹介しました。
今後、すくすくと成長しますので、時折追いかけていきたいと思います。
第3話「西洋砲術」も後半に入りましたが、もう少し”西洋砲術の夜明け”の話を続けます。
幕府の伊豆韮山代官・江川(太郎左衛門)英龍は、砲術を学ぶため長崎に向かいます。
この江川英龍、剣は神道無念流の達人。農政にも力を発揮し、領民から「江川大明神」とまで慕われた“お代官”様。
異国船に対応する“海防”を急ぐ幕府。江川は蘭学で得た人脈を使って、江戸湾内の測量も進めます。
老中・水野忠邦も、江川の先進的な知識と実行力を評価し、重用しました。
――江川英龍は、長崎に到着する。

日本における“西洋砲術”の第一人者、高島秋帆。
「江川どの、長崎までの遠路、良くお越しになった。」
「高島様の砲術は、江戸にも評判が聞こえております。」
江川英龍は行動力のある人物である。すぐに本題に入った。
「単刀直入に申します。異国船を打払う力を身に着けたいのです。」
高島秋帆の頬がかすかに緩んだ。
「では、我々は“同志”ということですな。」
幕府直属の役人で、この“海防”意識の高さ。高島は、江川を期待できる人物と見込んだ。
「早速、貴方の“兄弟子”を紹介しよう!平山くん、そこに居るか!」
――平山醇左衛門が素早い動きで、下座に歩み寄る。
「お呼びですか!高島先生!」
「平山くん、韮山のお代官、江川さまだ。」
「佐賀・鍋島の家中、武雄より参りました平山と申します。」
「伊豆の韮山で代官を務める、江川でござる。砲術を学ぶために長崎に参った。」
「おおっ、公儀(幕府)のお方が砲術を学ばれるとは、なんと心強い。」
平山も明るい表情を見せた。“高島流砲術”は国を守る仲間を増やすため、普及に熱心である。
「ちなみに平山くんの主君、武雄の“ご隠居様”には免許皆伝を許しておる。」
この頃には鍋島茂義は、“高島流砲術”の機密を共有して良い人物と認められていたのである。
「そして、この平山くんは技量第一の者だ。江川どのは“お代官様”ではあるが、兄弟子の言葉は尊重するように!」
「先生…お言葉がもったいのうございます。」
平山が恐縮する。
「高島先生!わかり申した!」
江川も豪快に笑った。
当時の長崎には、異国船から国を守ることを目指す“志士たち”が集って来たのである。
――武雄領の平山らと知り合って、江川英龍は佐賀藩内にも足を運ぶ。
「江川どの。わざわざのお運びをいただき恐れ入る。」
鍋島茂義は、先の武雄領主である。
なんと30代で“ご隠居”となった茂義は、さらに自由闊達に蘭学を研鑽する。
茂義は、義理の弟である佐賀藩主・鍋島直正に強い影響を与え続けている。
そして、佐賀藩の大砲の号令も既に“オランダ語”になっていた。
「お招きいただき、忝(かたじけな)く存じます。」
言葉は侍らしく堅いが、江川英龍も、茂義と同じ蘭学の”実践者”である。
当時、武雄では“モルチール砲”を鋳造しており、江川も製造現場を見聞する。
幕府きっての開明派である江川は、これから佐賀藩の科学技術とつながっていくことになる。
――老中・水野忠邦。江川の報告で“高島流砲術”を江戸でも行うよう指示した。

現在の東京都板橋区にある、徳丸原(高島平)にて、大規模な演習が実施された。
距離、目標…様々な設定での砲撃、銃陣訓練などが行われる。
日本初といって良い、100人規模での“西洋式”軍事調練だった。
幕府の役人たちの面前での失敗は許されない。
“高島流”の旗のもと、長崎の直弟子だけでなく、各地の精鋭が集められた。
もちろん武雄領の平山が中心となり、佐賀藩からも門下生たちが参加している。
「ヒュール!(撃て)」
――ドン!ドン!
複数のモルチール砲から放たれる砲弾。
轟音が響き、風切り音が鳴る。
弾は定められた距離を飛び、目標に命中し、不発弾は一発も生じなかった。
「高島流砲術、その武威を示す!天晴(あっぱれ)である!」
幕府は大演習の成果を絶賛し、褒美の“銀”が与えられた。
(続く)
前回は大隈八太郎くん(後の大隈重信)の誕生を紹介しました。
今後、すくすくと成長しますので、時折追いかけていきたいと思います。
第3話「西洋砲術」も後半に入りましたが、もう少し”西洋砲術の夜明け”の話を続けます。
幕府の伊豆韮山代官・江川(太郎左衛門)英龍は、砲術を学ぶため長崎に向かいます。
この江川英龍、剣は神道無念流の達人。農政にも力を発揮し、領民から「江川大明神」とまで慕われた“お代官”様。
異国船に対応する“海防”を急ぐ幕府。江川は蘭学で得た人脈を使って、江戸湾内の測量も進めます。
老中・水野忠邦も、江川の先進的な知識と実行力を評価し、重用しました。
――江川英龍は、長崎に到着する。

日本における“西洋砲術”の第一人者、高島秋帆。
「江川どの、長崎までの遠路、良くお越しになった。」
「高島様の砲術は、江戸にも評判が聞こえております。」
江川英龍は行動力のある人物である。すぐに本題に入った。
「単刀直入に申します。異国船を打払う力を身に着けたいのです。」
高島秋帆の頬がかすかに緩んだ。
「では、我々は“同志”ということですな。」
幕府直属の役人で、この“海防”意識の高さ。高島は、江川を期待できる人物と見込んだ。
「早速、貴方の“兄弟子”を紹介しよう!平山くん、そこに居るか!」
――平山醇左衛門が素早い動きで、下座に歩み寄る。
「お呼びですか!高島先生!」
「平山くん、韮山のお代官、江川さまだ。」
「佐賀・鍋島の家中、武雄より参りました平山と申します。」
「伊豆の韮山で代官を務める、江川でござる。砲術を学ぶために長崎に参った。」
「おおっ、公儀(幕府)のお方が砲術を学ばれるとは、なんと心強い。」
平山も明るい表情を見せた。“高島流砲術”は国を守る仲間を増やすため、普及に熱心である。
「ちなみに平山くんの主君、武雄の“ご隠居様”には免許皆伝を許しておる。」
この頃には鍋島茂義は、“高島流砲術”の機密を共有して良い人物と認められていたのである。
「そして、この平山くんは技量第一の者だ。江川どのは“お代官様”ではあるが、兄弟子の言葉は尊重するように!」
「先生…お言葉がもったいのうございます。」
平山が恐縮する。
「高島先生!わかり申した!」
江川も豪快に笑った。
当時の長崎には、異国船から国を守ることを目指す“志士たち”が集って来たのである。
――武雄領の平山らと知り合って、江川英龍は佐賀藩内にも足を運ぶ。
「江川どの。わざわざのお運びをいただき恐れ入る。」
鍋島茂義は、先の武雄領主である。
なんと30代で“ご隠居”となった茂義は、さらに自由闊達に蘭学を研鑽する。
茂義は、義理の弟である佐賀藩主・鍋島直正に強い影響を与え続けている。
そして、佐賀藩の大砲の号令も既に“オランダ語”になっていた。
「お招きいただき、忝(かたじけな)く存じます。」
言葉は侍らしく堅いが、江川英龍も、茂義と同じ蘭学の”実践者”である。
当時、武雄では“モルチール砲”を鋳造しており、江川も製造現場を見聞する。
幕府きっての開明派である江川は、これから佐賀藩の科学技術とつながっていくことになる。
――老中・水野忠邦。江川の報告で“高島流砲術”を江戸でも行うよう指示した。

現在の東京都板橋区にある、徳丸原(高島平)にて、大規模な演習が実施された。
距離、目標…様々な設定での砲撃、銃陣訓練などが行われる。
日本初といって良い、100人規模での“西洋式”軍事調練だった。
幕府の役人たちの面前での失敗は許されない。
“高島流”の旗のもと、長崎の直弟子だけでなく、各地の精鋭が集められた。
もちろん武雄領の平山が中心となり、佐賀藩からも門下生たちが参加している。
「ヒュール!(撃て)」
――ドン!ドン!
複数のモルチール砲から放たれる砲弾。
轟音が響き、風切り音が鳴る。
弾は定められた距離を飛び、目標に命中し、不発弾は一発も生じなかった。
「高島流砲術、その武威を示す!天晴(あっぱれ)である!」
幕府は大演習の成果を絶賛し、褒美の“銀”が与えられた。
(続く)