2022年05月22日
「小京都・小城の謎を追う…(第18話・場面解説①)」
こんばんは。
“本編”を作成していますが、また「重たい話」を織り込もうとしているので、なかなか進みません。
今回は「九州の小京都」をキーワードに、第18話の、今までとこれからの話の整理を試みます。
九州各地にも、京都のように伝統や文化を受け継ぐ雰囲気を持ちながら、それぞれの個性を持つ“小京都”が見られます。
――佐賀県では小城市と伊万里市が、よく“小京都”と呼ばれる街。
伊万里が“小京都”と呼ばれるのは京都の特色でもある“美術・工芸都市”の側面が強いからでしょう。
しかし、陶磁器(窯業)での“特殊な力”の蓄積がある港湾都市・伊万里は、“城下町”の風情が漂う街とは別に語った方が良いのかもしれません。
そんな理由なのかはわかりませんが、九州各県の“小京都”の並びで、佐賀県では小城市がその立場を担うのが一般的のようです。

※「小城 屋根のない博物館」。小城藩邸は城ではなく、“陣屋”の扱いなのですね。
そして、佐賀の支藩の1つである小城藩は、本編第2部の主人公・江藤新平と縁が深い場所。
以下は、本編の物語構成を前提としたお話が中心ですので、ご留意ください。
――小京都・小城から、幕末の京都へとつながる第18話。
江藤新平が京に発つ前、小城藩の代官所を尋ねた設定で描きました。
〔参照:第18話「京都見聞」④(湯呑みより茶が走る)〕
当時、富岡敬明は大野代官所で小城藩領・山内を管轄。この場所は、現在は佐賀市富士町のようですが、本記事に含めています。
“本編”で佐賀の藩境を超える時の手引き役は、義祭同盟の同志・古賀一平で描写しましたが、小城領の代官・富岡敬明が関与したとする説もあります。
〔参照(終盤):第17話「佐賀脱藩」㉑(郷里を背に)〕

――また、江藤が京都に旅立つ前に、
富岡は小城から出て、京でも活動する人物が居るとを示唆(しさ)します。
〔参照(中盤):第18話「京都見聞」⑤(清水の滝、何処…)〕
1858年(安政五年)に脱藩し、播磨(兵庫)を拠点に、上方の京・大坂で活動したという謎の男・祇園太郎。
江藤にとっては、佐賀から脱藩した先輩(?)にあたる存在ですが、“変名”での活動が伝わります。
私は、この人物が“祇園太郎”と名乗った理由を「佐賀の色」を隠して、秘密裏に動きたかったから…と想像しました。
――江藤が京・伏見に着くなり、
ここで、わかりやすく、もう1人の脱藩者が現れます。この辺りの展開が安直なのは、私の創作能力の限界なのですが、楽しんでいただけていれば幸いです。
〔参照:第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)〕
“本編”では、この謎の男は「上方ことば」で話し始めます。あえて出身地・佐賀の影を隠す“祇園太郎”。地道な努力で情報収集にあたる姿と表現しました。
実際に、この「現地の言葉で、自然と周囲に溶け込む」アプローチを用いたかは定かではありません。
ここは“佐賀”の存在を前面に出す、江藤との対比で描こうと思います。

※この方が、第18話のカギとなる人物です。
――“祇園太郎”は長崎と京を行き来しますが、
1863年(文久三年)には長州藩・桂小五郎に推挙され“学習院”出仕という、公家とも関われる立ち位置にまでなったと言います。
その前年の1862年(文久二年)に江藤と会い、京で公家と接点を持つ差配をしたのも、長州(山口)の桂小五郎です。
このため、同郷の江藤と“祇園太郎”には何か関わりがある方が自然では…と考えて、話を構成しました。
――そして、この“祇園太郎”の正体。
小城支藩内の大庄屋だった、古賀利渉という人物と伝わっています。
実際は、上方から長崎へ移動した時期があり、江藤が脱藩したタイミングでは、京に居なかった可能性もあります。
また、尊王攘夷の志士でありつつも、佐賀本藩の指令を受けて動く“密偵”という見解もある様子。想像を膨らませる余地を持った“謎の人物”です。

――小城が“小京都”である理由の1つに。
「祇園川のホタル」による風情があるそうです。いまは5月下旬ですから、現地の小城ではホタル観賞のシーズンなのでしょうか。
祇園太郎(古賀利渉)は、1833年(天保四年)生まれと聞きました。江藤新平より1歳年上という同年代。
ここ数回の“本編”では、祇園太郎の“情報通”としての実力と、小城とともに「九州の小京都」である福岡県の秋月(朝倉市)にも触れる話を…考えます。
――今回の調べ物をした際に、
小城に存在するという、謎の“混ぜ麺”「マジェンバ」の存在を知りました。調べるほどに、気になる事が増えていく小城の“小京都ミステリー”。
いま、佐賀県に帰省しようものならば、時間はいくらあっても足らない…そんな気がしています。
“本編”を作成していますが、また「重たい話」を織り込もうとしているので、なかなか進みません。
今回は「九州の小京都」をキーワードに、第18話の、今までとこれからの話の整理を試みます。
九州各地にも、京都のように伝統や文化を受け継ぐ雰囲気を持ちながら、それぞれの個性を持つ“小京都”が見られます。
――佐賀県では小城市と伊万里市が、よく“小京都”と呼ばれる街。
伊万里が“小京都”と呼ばれるのは京都の特色でもある“美術・工芸都市”の側面が強いからでしょう。
しかし、陶磁器(窯業)での“特殊な力”の蓄積がある港湾都市・伊万里は、“城下町”の風情が漂う街とは別に語った方が良いのかもしれません。
そんな理由なのかはわかりませんが、九州各県の“小京都”の並びで、佐賀県では小城市がその立場を担うのが一般的のようです。
※「小城 屋根のない博物館」。小城藩邸は城ではなく、“陣屋”の扱いなのですね。
そして、佐賀の支藩の1つである小城藩は、本編第2部の主人公・江藤新平と縁が深い場所。
以下は、本編の物語構成を前提としたお話が中心ですので、ご留意ください。
――小京都・小城から、幕末の京都へとつながる第18話。
江藤新平が京に発つ前、小城藩の代官所を尋ねた設定で描きました。
〔参照:
当時、富岡敬明は大野代官所で小城藩領・山内を管轄。この場所は、現在は佐賀市富士町のようですが、本記事に含めています。
“本編”で佐賀の藩境を超える時の手引き役は、義祭同盟の同志・古賀一平で描写しましたが、小城領の代官・富岡敬明が関与したとする説もあります。
〔参照(終盤):
――また、江藤が京都に旅立つ前に、
富岡は小城から出て、京でも活動する人物が居るとを示唆(しさ)します。
〔参照(中盤):
1858年(安政五年)に脱藩し、播磨(兵庫)を拠点に、上方の京・大坂で活動したという謎の男・祇園太郎。
江藤にとっては、佐賀から脱藩した先輩(?)にあたる存在ですが、“変名”での活動が伝わります。
私は、この人物が“祇園太郎”と名乗った理由を「佐賀の色」を隠して、秘密裏に動きたかったから…と想像しました。
――江藤が京・伏見に着くなり、
ここで、わかりやすく、もう1人の脱藩者が現れます。この辺りの展開が安直なのは、私の創作能力の限界なのですが、楽しんでいただけていれば幸いです。
〔参照:
“本編”では、この謎の男は「上方ことば」で話し始めます。あえて出身地・佐賀の影を隠す“祇園太郎”。地道な努力で情報収集にあたる姿と表現しました。
実際に、この「現地の言葉で、自然と周囲に溶け込む」アプローチを用いたかは定かではありません。
ここは“佐賀”の存在を前面に出す、江藤との対比で描こうと思います。
※この方が、第18話のカギとなる人物です。
――“祇園太郎”は長崎と京を行き来しますが、
1863年(文久三年)には長州藩・桂小五郎に推挙され“学習院”出仕という、公家とも関われる立ち位置にまでなったと言います。
その前年の1862年(文久二年)に江藤と会い、京で公家と接点を持つ差配をしたのも、長州(山口)の桂小五郎です。
このため、同郷の江藤と“祇園太郎”には何か関わりがある方が自然では…と考えて、話を構成しました。
――そして、この“祇園太郎”の正体。
小城支藩内の大庄屋だった、古賀利渉という人物と伝わっています。
実際は、上方から長崎へ移動した時期があり、江藤が脱藩したタイミングでは、京に居なかった可能性もあります。
また、尊王攘夷の志士でありつつも、佐賀本藩の指令を受けて動く“密偵”という見解もある様子。想像を膨らませる余地を持った“謎の人物”です。
――小城が“小京都”である理由の1つに。
「祇園川のホタル」による風情があるそうです。いまは5月下旬ですから、現地の小城ではホタル観賞のシーズンなのでしょうか。
祇園太郎(古賀利渉)は、1833年(天保四年)生まれと聞きました。江藤新平より1歳年上という同年代。
ここ数回の“本編”では、祇園太郎の“情報通”としての実力と、小城とともに「九州の小京都」である福岡県の秋月(朝倉市)にも触れる話を…考えます。
――今回の調べ物をした際に、
小城に存在するという、謎の“混ぜ麺”「マジェンバ」の存在を知りました。調べるほどに、気になる事が増えていく小城の“小京都ミステリー”。
いま、佐賀県に帰省しようものならば、時間はいくらあっても足らない…そんな気がしています。
Posted by SR at 19:42 | Comments(0) | 佐賀への道
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