2022年04月16日
第18話「京都見聞」④(湯呑みより茶が走る)
こんばんは。
福岡城下を後にした、江藤新平。小倉(北九州市)方面へと歩みを進めます。
尋ねた相手・平野国臣は不在でしたが、京の都がいかに荒れた状況にあるか、その一端をうかがい知る事となりました。
リアルタイムの通信手段がない幕末期。現代から見れば、想像を絶するほどのすれ違いは常の事だったでしょう。
実は行方を探していた平野は、福岡で囚われていたようです。京で薩摩藩の勤王派が制圧されてから、福岡藩も関わりの深い平野を投獄したと聞きます。

江藤は、情報収集のための伝手(つて)を得られませんでした。その一方で、佐賀を出る前にも、色々と手は打っていたはず…
現代では「九州の“小京都”」とも呼ばれる、小城(おぎ)。なぜか、江藤の京都への脱藩の前後には、佐賀の小城支藩の影も見え隠れします。
――時は、半月ほど前に遡る。
佐賀からの脱藩を決めた江藤は、小城支藩領・山内(現在の佐賀市富士町)に足を運んでいた。
江藤は少年期に小城に住んでおり、当地の道場で剣術の稽古に励んだ。小城藩領に入ったのは、道場での兄弟子・富岡敬明を尋ねるためだ。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」②(小城の秘剣)〕
富岡は小城藩の上級武士だが、酒での不始末があって、小城の屋敷での務めから外れ、清流のある山間の地・“山内”で代官を務めている。
「富岡さん、頼みがあって来ました。」
「何だ。随分と仰々しいな。」
江藤より、一回り年上の富岡。親分肌で面倒見がよく、地元の者から慕われる傾向があるようだ。
――江藤は「佐賀を発つ覚悟」を語った。
脱藩には、特に厳しい佐賀藩。老親や妻子も辛い立場になると予期される。
「佐賀の御城下に居ては不都合だ。家の者を近くにかくまってほしい。」
家族の行く末を心配する江藤。藩の掟を破るのだから、やむを得ないのだが、富岡はその思い詰めた様子を受け止めた。
「江藤。まずは茶でも飲んで、落ち着け。」
「…頂戴いたします。」

山あいのため涼しいが、佐賀平野には、もう夏の風が吹く頃だ。少しばかりの世間話となる。勧められた茶を口にする江藤。
「身内だけだなく、お主もまとめて面倒をみるばい。」
ここで富岡が本題に戻った。家族だけでなく、江藤本人も、どうにか小城藩領に引き取ると言い出したのだ。
――江藤には、もともと風変わりだが、
藩校で学んでいた頃から、議論に熱が入ると、敷居の辺りに飲みかけの茶を捨てる事があった。特に深い意味は無さそうで、単なる癖(くせ)だったようだ。
ここで富岡の発言に、江藤は過剰に反応した。
「我は命を賭すのだ。自らを惜しむような覚悟で、国を抜けるのではない!」
「脱藩は死罪」が藩の掟である事は理解している。もちろん命の保証は無い。さらに熱弁を振るう江藤。
手にした茶は、すっかり温(ぬる)くなっていた。江藤の発声にあわせ、掌中の湯呑みが一瞬、水平に近い傾きとなる。当然にして茶は流れ、床へと走る。
――江藤は、お茶に浸った床を見た。
藩校の片隅や、古びたお堂なら、癖もさほど気にもしなかったが、さすがに気が咎める。まず「相済まない」と謝ろうとしたところ、富岡の大声が飛んだ。
「命ば粗末にしてはならん!お主も、まとめて面倒を見る!と言いおろうが。」
恰幅の良い中年である、富岡。何かと気詰まりも多い小城支藩の中枢から、村の代官へと暮らしぶりも変わり、その声も豪快に響く。
ちなみに江藤が茶をこぼしている事は、気にも留めていない様子だ。
「…相済まない。」
何やら今回は、剣術道場の先輩・富岡に一本取られた格好の江藤である。

――ふと過(よぎ)るのは、十年以上も昔。藩校・弘道館の日々の記憶。
その日も藩校での課業を終えて、親友三人で議論を続ける。江藤と大木民平(喬任)、そして中野方蔵はよく寄り集まっていた。
「江藤くん、その論は理には合うのかもしれない。ただ、志が低くはないか。」
中野方蔵が、鋭く指摘をした。
「いや、中野。理に合わざることを通さば、歪(ゆが)みを生ずるのだ。」
理論派の江藤に、情熱系の中野。次第に二人の討論は熱を帯びてくる。
――バシャッ!手にしたお茶をこぼしながら、熱弁を振るう江藤。
「江藤くん!湯呑みを傾けるのは、何か論と関わりがあるのか。」
中野が、少しひねくれた言い方をする。たしかに、討論の中身とお茶をこぼす事は無関係と思われる。
「机を毀損(きそん)する、中野には言われたくなか!」
江藤も、その言葉を打ち返す。今のところ中野は冷静だが、議論に熱が入り過ぎて、机をたたき割ってしまった前歴がある。
〔参照:第7話「尊王義祭」⑥〕
「…おい、江藤に中野、随分と話が逸(そ)れているぞ!」
――呆れた大木が、軌道の修正を試みていた。
「大木兄さんこそ、どちらの論を是(ぜ)とするのですか。」
中野が、討論に割って入った大木に問う。
「俺か…?どちらの論が通ろうが、実現のために手を貸してやる。」
「…狡(ずる)いな。大木兄さん。」
やや口をとがらせる中野。柄(がら)にもなく苦笑する江藤。勝ち誇ったように、ニッと笑う大木。

――「江藤!何ば…大事かこと。思い出しよるか。」
しばし待ちぼうけだった富岡が、“回想”から戻って来ない江藤に声をかけた。
「ああ、富岡さん。済まない。亡き友のことを想い出していた。」
「…中野くんか。気の毒なことだったな。」
「友が斃(たお)れたゆえ、我は立たねばならんのです。」
佐賀の志士たちの中でも、行動力に長じていた中野。その人脈の豊富さが裏目に出て、江戸の獄中で亡くなっていた。
「ばってん、お主は友の分まで、生きねばならんのだ。」
富岡は、そう力強く言い放つ。その言動からは、“脱藩者”となる江藤を、どうにか救おうとする気持ちが見えていた。
(続く)
福岡城下を後にした、江藤新平。小倉(北九州市)方面へと歩みを進めます。
尋ねた相手・平野国臣は不在でしたが、京の都がいかに荒れた状況にあるか、その一端をうかがい知る事となりました。
リアルタイムの通信手段がない幕末期。現代から見れば、想像を絶するほどのすれ違いは常の事だったでしょう。
実は行方を探していた平野は、福岡で囚われていたようです。京で薩摩藩の勤王派が制圧されてから、福岡藩も関わりの深い平野を投獄したと聞きます。
江藤は、情報収集のための伝手(つて)を得られませんでした。その一方で、佐賀を出る前にも、色々と手は打っていたはず…
現代では「九州の“小京都”」とも呼ばれる、小城(おぎ)。なぜか、江藤の京都への脱藩の前後には、佐賀の小城支藩の影も見え隠れします。
――時は、半月ほど前に遡る。
佐賀からの脱藩を決めた江藤は、小城支藩領・山内(現在の佐賀市富士町)に足を運んでいた。
江藤は少年期に小城に住んでおり、当地の道場で剣術の稽古に励んだ。小城藩領に入ったのは、道場での兄弟子・富岡敬明を尋ねるためだ。
〔参照:
富岡は小城藩の上級武士だが、酒での不始末があって、小城の屋敷での務めから外れ、清流のある山間の地・“山内”で代官を務めている。
「富岡さん、頼みがあって来ました。」
「何だ。随分と仰々しいな。」
江藤より、一回り年上の富岡。親分肌で面倒見がよく、地元の者から慕われる傾向があるようだ。
――江藤は「佐賀を発つ覚悟」を語った。
脱藩には、特に厳しい佐賀藩。老親や妻子も辛い立場になると予期される。
「佐賀の御城下に居ては不都合だ。家の者を近くにかくまってほしい。」
家族の行く末を心配する江藤。藩の掟を破るのだから、やむを得ないのだが、富岡はその思い詰めた様子を受け止めた。
「江藤。まずは茶でも飲んで、落ち着け。」
「…頂戴いたします。」
山あいのため涼しいが、佐賀平野には、もう夏の風が吹く頃だ。少しばかりの世間話となる。勧められた茶を口にする江藤。
「身内だけだなく、お主もまとめて面倒をみるばい。」
ここで富岡が本題に戻った。家族だけでなく、江藤本人も、どうにか小城藩領に引き取ると言い出したのだ。
――江藤には、もともと風変わりだが、
藩校で学んでいた頃から、議論に熱が入ると、敷居の辺りに飲みかけの茶を捨てる事があった。特に深い意味は無さそうで、単なる癖(くせ)だったようだ。
ここで富岡の発言に、江藤は過剰に反応した。
「我は命を賭すのだ。自らを惜しむような覚悟で、国を抜けるのではない!」
「脱藩は死罪」が藩の掟である事は理解している。もちろん命の保証は無い。さらに熱弁を振るう江藤。
手にした茶は、すっかり温(ぬる)くなっていた。江藤の発声にあわせ、掌中の湯呑みが一瞬、水平に近い傾きとなる。当然にして茶は流れ、床へと走る。
――江藤は、お茶に浸った床を見た。
藩校の片隅や、古びたお堂なら、癖もさほど気にもしなかったが、さすがに気が咎める。まず「相済まない」と謝ろうとしたところ、富岡の大声が飛んだ。
「命ば粗末にしてはならん!お主も、まとめて面倒を見る!と言いおろうが。」
恰幅の良い中年である、富岡。何かと気詰まりも多い小城支藩の中枢から、村の代官へと暮らしぶりも変わり、その声も豪快に響く。
ちなみに江藤が茶をこぼしている事は、気にも留めていない様子だ。
「…相済まない。」
何やら今回は、剣術道場の先輩・富岡に一本取られた格好の江藤である。
――ふと過(よぎ)るのは、十年以上も昔。藩校・弘道館の日々の記憶。
その日も藩校での課業を終えて、親友三人で議論を続ける。江藤と大木民平(喬任)、そして中野方蔵はよく寄り集まっていた。
「江藤くん、その論は理には合うのかもしれない。ただ、志が低くはないか。」
中野方蔵が、鋭く指摘をした。
「いや、中野。理に合わざることを通さば、歪(ゆが)みを生ずるのだ。」
理論派の江藤に、情熱系の中野。次第に二人の討論は熱を帯びてくる。
――バシャッ!手にしたお茶をこぼしながら、熱弁を振るう江藤。
「江藤くん!湯呑みを傾けるのは、何か論と関わりがあるのか。」
中野が、少しひねくれた言い方をする。たしかに、討論の中身とお茶をこぼす事は無関係と思われる。
「机を毀損(きそん)する、中野には言われたくなか!」
江藤も、その言葉を打ち返す。今のところ中野は冷静だが、議論に熱が入り過ぎて、机をたたき割ってしまった前歴がある。
〔参照:
「…おい、江藤に中野、随分と話が逸(そ)れているぞ!」
――呆れた大木が、軌道の修正を試みていた。
「大木兄さんこそ、どちらの論を是(ぜ)とするのですか。」
中野が、討論に割って入った大木に問う。
「俺か…?どちらの論が通ろうが、実現のために手を貸してやる。」
「…狡(ずる)いな。大木兄さん。」
やや口をとがらせる中野。柄(がら)にもなく苦笑する江藤。勝ち誇ったように、ニッと笑う大木。
――「江藤!何ば…大事かこと。思い出しよるか。」
しばし待ちぼうけだった富岡が、“回想”から戻って来ない江藤に声をかけた。
「ああ、富岡さん。済まない。亡き友のことを想い出していた。」
「…中野くんか。気の毒なことだったな。」
「友が斃(たお)れたゆえ、我は立たねばならんのです。」
佐賀の志士たちの中でも、行動力に長じていた中野。その人脈の豊富さが裏目に出て、江戸の獄中で亡くなっていた。
「ばってん、お主は友の分まで、生きねばならんのだ。」
富岡は、そう力強く言い放つ。その言動からは、“脱藩者”となる江藤を、どうにか救おうとする気持ちが見えていた。
(続く)
Posted by SR at 21:53 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」
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