2021年07月08日
「道標の剣」
こんばんは。
さすがに7月。気温も湿度も高く、マスクの着用で体感温度も上がりますね。
本日記事の私のようになった時には少し頭を冷やして水分を取り、木陰や室内で涼んでみると良いかもしれません。
…そんな夏。私の日常の話。ほぼ“幻覚”なのかもしれませんが、一握りの真実を感じていただければと思います。
――故郷・佐賀に帰れないまま、2回目の夏が来た。
いま私の住む街より、きっと佐賀は暑いことだろう…
その朝も失せた気力のまま通勤をする。そして、少しお腹をさすった。
「また、随分と痩せてしまったな…」
――近くに大きい神社が見える。
1つ、ため息をつく私。マスク越しの深呼吸では、夏の季節感は入って来ない。
「お主…、気を確かに持て。」
なぜだか社殿の方から、そう言われている気配を感じる。
「もしや、殿!?」
いや…そんなはずは無い。眼前に見えるのは「佐嘉(さが)神社」ではないぞ。幻覚にしても距離感があり過ぎる。

――お構いなしに、殿の気配は続く。
「この地とて“佐賀”とはつながっておる…」
私は、疲れているのか。もちろん、この神社のご祭神は鍋島直正公ではない。
「海沿いに行けばつながっている…と言えなくも無いのでございますが。」
「お主には、語るまでもないと思うが、佐賀はこちらの方角じゃ。決して見失うでないぞ。」
「御意(ぎょい)!」
…殿様への返答と言えば、やはりこの言葉であろう。
――この日は、朝からかなりの暑さ。
朦朧(もうろう)とする中で、佐賀藩士(?)として受け答えをする私。きっと心の声に留まっている。周囲の人たちには聞こえないはず。
…そして地図上に線でも引いたかのように、佐賀の方角を再確認した私。
わずかであるが、それまでより身体が軽く感じる。神社の前で見た“幻覚”には、回復の効果があったのかもしれない。
――そして、日中も…
年を経るごとに、より高くなる“仕事の壁”。昔は思っていた。「ある程度の歳月を重ねれば、きっと楽になるのだ」と…それは思い過ごしだったようだ。
そうも言ってられない、とにかく現状の打開を試みねば。
「大隈先生っ…私に力をお貸しください!」
もはや“出たとこ”勝負。ここで私が想い出す、佐賀の賢人は大隈重信侯だ。

――『青天を衝け』でも見かけた…
イギリス公使・パークス。「7日以内に、帝から条約の勅許(チョッキョ)を取って来い」と開港の実施を迫る姿が印象的だった、超おっかない外交官である。
大隈重信は明治初頭の外交の舞台で、そのパークスと真っ向から論戦。一歩も引かず、その要求を突っぱねたという。
誰もが恐れるイギリス公使と外交の折衝をすることは、当時なら刀で斬り合う以上に度胸が必要だったかもしれない。
…私もいろいろ苦しい気持ちの中、その勇姿を想って拳を握る。
――佐賀の“先輩”への憧れを、いま力に変える。
著しく能力の差はあっても、立ち向かうべき仕事の重さは全然違っても。
こんな日々を過ごす中、私が思い至った事がある。
「…想いを持ち続けるなら、万難を排して“佐賀に還る”べきなのかもしれない。」
私が「佐賀を見失わないために成すべきこと」とは何か。そろそろ、私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」“本編”第2部を綴っていかねば…と思うのである。
さすがに7月。気温も湿度も高く、マスクの着用で体感温度も上がりますね。
本日記事の私のようになった時には少し頭を冷やして水分を取り、木陰や室内で涼んでみると良いかもしれません。
…そんな夏。私の日常の話。ほぼ“幻覚”なのかもしれませんが、一握りの真実を感じていただければと思います。
――故郷・佐賀に帰れないまま、2回目の夏が来た。
いま私の住む街より、きっと佐賀は暑いことだろう…
その朝も失せた気力のまま通勤をする。そして、少しお腹をさすった。
「また、随分と痩せてしまったな…」
――近くに大きい神社が見える。
1つ、ため息をつく私。マスク越しの深呼吸では、夏の季節感は入って来ない。
「お主…、気を確かに持て。」
なぜだか社殿の方から、そう言われている気配を感じる。
「もしや、殿!?」
いや…そんなはずは無い。眼前に見えるのは「佐嘉(さが)神社」ではないぞ。幻覚にしても距離感があり過ぎる。
――お構いなしに、殿の気配は続く。
「この地とて“佐賀”とはつながっておる…」
私は、疲れているのか。もちろん、この神社のご祭神は鍋島直正公ではない。
「海沿いに行けばつながっている…と言えなくも無いのでございますが。」
「お主には、語るまでもないと思うが、佐賀はこちらの方角じゃ。決して見失うでないぞ。」
「御意(ぎょい)!」
…殿様への返答と言えば、やはりこの言葉であろう。
――この日は、朝からかなりの暑さ。
朦朧(もうろう)とする中で、佐賀藩士(?)として受け答えをする私。きっと心の声に留まっている。周囲の人たちには聞こえないはず。
…そして地図上に線でも引いたかのように、佐賀の方角を再確認した私。
わずかであるが、それまでより身体が軽く感じる。神社の前で見た“幻覚”には、回復の効果があったのかもしれない。
――そして、日中も…
年を経るごとに、より高くなる“仕事の壁”。昔は思っていた。「ある程度の歳月を重ねれば、きっと楽になるのだ」と…それは思い過ごしだったようだ。
そうも言ってられない、とにかく現状の打開を試みねば。
「大隈先生っ…私に力をお貸しください!」
もはや“出たとこ”勝負。ここで私が想い出す、佐賀の賢人は大隈重信侯だ。
――『青天を衝け』でも見かけた…
イギリス公使・パークス。「7日以内に、帝から条約の勅許(チョッキョ)を取って来い」と開港の実施を迫る姿が印象的だった、超おっかない外交官である。
大隈重信は明治初頭の外交の舞台で、そのパークスと真っ向から論戦。一歩も引かず、その要求を突っぱねたという。
誰もが恐れるイギリス公使と外交の折衝をすることは、当時なら刀で斬り合う以上に度胸が必要だったかもしれない。
…私もいろいろ苦しい気持ちの中、その勇姿を想って拳を握る。
――佐賀の“先輩”への憧れを、いま力に変える。
著しく能力の差はあっても、立ち向かうべき仕事の重さは全然違っても。
こんな日々を過ごす中、私が思い至った事がある。
「…想いを持ち続けるなら、万難を排して“佐賀に還る”べきなのかもしれない。」
私が「佐賀を見失わないために成すべきこと」とは何か。そろそろ、私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」“本編”第2部を綴っていかねば…と思うのである。
2021年07月05日
「大河の中心で、佐賀を叫ぶ」
こんばんは。
先週から『ゾンビランドサガ』を見る楽しみがなくなり、ようやく「大河ドラマ」志向に戻ってきた感じがあります。
…とはいえ、すっかりハマった同番組。「映画版」とか「第3シリーズ」とか期待しています。作品に出演した声優さんたちが、幕張(千葉)でライブも実行するとか。
もしや『紅白歌合戦』にでも登場すれば、NHKホールを一時的に“佐賀”が席巻して、きっとネット上でも話題になるに違いない…と思います。
今の私には「佐賀が主役の時間」が見られなくなった事が、とても寂しいのです。

――気を取り直して、今週も「大河の中心で、佐賀を叫びます。」
大河ドラマ『青天を衝け』(21)。ついに“佐賀の人”の映像での登場を確認。
ちなみに佐賀藩ではなく、唐津藩の方。以前ご紹介した“小笠原壱岐守”さま。前回、地図上にはお名前だけの出演でしたが、今回はキャストとして登場。
〔参照:「もしも不遇を感じた時には…」〕
――その場面は、放送開始から22分ほど後。
赤じゅうたんの神奈川奉行所にて。「小笠原壱岐守にございます」と低い声。幕府の重役が“徳川慶喜の弟”を出迎えているという状況です。
役名で解説すると、小笠原長行〔演:鈴木隆仁〕が、徳川昭武〔演:板垣李光人〕に頭を下げて、立礼しています。
――その登場は、一瞬でした。
小笠原さまに続いて、次々と挨拶する幕府重役たち。勘定奉行・小栗忠順(上野介)の存在感が抜群です。小栗上野介役は“筋肉体操”の武田真治さん。
〔参照:「新キャストを考える①」(“明治の父”の1人)〕
さらに追い打ち。フランス公使ロッシュまで登場。これでは目立てません…
――セリフも、たった一言。
テレビの前の私は歯嚙みします。「はがいか~」という悔しさとともに。
「小笠原さまが外国との関係に、どれほど苦心なさったと思っておるのだ!」
私の所属(?)は佐賀藩であり、とくに唐津藩士になった覚えはないのですが、唐津の若殿(藩主名代)小笠原長行さまには感情移入するところが。

――ここで、いきなり『ゾンビランドサガ』に話が戻るのですが…
同アニメの主人公たちが住んでいたのは、唐津にある洋館。「旧三菱合資会社唐津支店本館」(現・唐津市歴史民俗資料館)がモデルのはず。
しかし、佐賀市中心部の“656(むつごろう)広場”までの移動が一瞬。中高生ぐらいの登場人物も「佐賀市内⇔唐津市内」を散歩でもするかのように移動。
――これは、まるで“佐賀ワープ”…
念のため、“路線検索”で調べると、電車でも1時間以上の道のり。その割に、彼女らのプロデューサーも、佐賀市内から唐津まで走っているかのような描写も。
「…もしや佐賀県内における“心の距離”を縮めるための方策か!」
このように私は勝手に得心しますが、たぶん場面展開の都合だったのでしょう。
――ひとまず、『青天を衝け』の世界に…
唐津藩の“若殿”・小笠原長行は登場しました。低い声色、がっちりした体躯という印象。私の持つイメージ「不遇の貴公子・小笠原」さまとは少し違った感じ。
逆に「旧幕府方として戦う、小笠原さまの勇姿は見られるかも…」という期待は感じさせます。
徳川慶喜公に信頼され、たびたび“老中”に返り咲いた、小笠原長行さま。次のご登場を心待ちにします。
先週から『ゾンビランドサガ』を見る楽しみがなくなり、ようやく「大河ドラマ」志向に戻ってきた感じがあります。
…とはいえ、すっかりハマった同番組。「映画版」とか「第3シリーズ」とか期待しています。作品に出演した声優さんたちが、幕張(千葉)でライブも実行するとか。
もしや『紅白歌合戦』にでも登場すれば、NHKホールを一時的に“佐賀”が席巻して、きっとネット上でも話題になるに違いない…と思います。
今の私には「佐賀が主役の時間」が見られなくなった事が、とても寂しいのです。
――気を取り直して、今週も「大河の中心で、佐賀を叫びます。」
大河ドラマ『青天を衝け』(21)。ついに“佐賀の人”の映像での登場を確認。
ちなみに佐賀藩ではなく、唐津藩の方。以前ご紹介した“小笠原壱岐守”さま。前回、地図上にはお名前だけの出演でしたが、今回はキャストとして登場。
〔参照:
――その場面は、放送開始から22分ほど後。
赤じゅうたんの神奈川奉行所にて。「小笠原壱岐守にございます」と低い声。幕府の重役が“徳川慶喜の弟”を出迎えているという状況です。
役名で解説すると、小笠原長行〔演:鈴木隆仁〕が、徳川昭武〔演:板垣李光人〕に頭を下げて、立礼しています。
――その登場は、一瞬でした。
小笠原さまに続いて、次々と挨拶する幕府重役たち。勘定奉行・小栗忠順(上野介)の存在感が抜群です。小栗上野介役は“筋肉体操”の武田真治さん。
〔参照:
さらに追い打ち。フランス公使ロッシュまで登場。これでは目立てません…
――セリフも、たった一言。
テレビの前の私は歯嚙みします。「はがいか~」という悔しさとともに。
「小笠原さまが外国との関係に、どれほど苦心なさったと思っておるのだ!」
私の所属(?)は佐賀藩であり、とくに唐津藩士になった覚えはないのですが、唐津の若殿(藩主名代)小笠原長行さまには感情移入するところが。
――ここで、いきなり『ゾンビランドサガ』に話が戻るのですが…
同アニメの主人公たちが住んでいたのは、唐津にある洋館。「旧三菱合資会社唐津支店本館」(現・唐津市歴史民俗資料館)がモデルのはず。
しかし、佐賀市中心部の“656(むつごろう)広場”までの移動が一瞬。中高生ぐらいの登場人物も「佐賀市内⇔唐津市内」を散歩でもするかのように移動。
――これは、まるで“佐賀ワープ”…
念のため、“路線検索”で調べると、電車でも1時間以上の道のり。その割に、彼女らのプロデューサーも、佐賀市内から唐津まで走っているかのような描写も。
「…もしや佐賀県内における“心の距離”を縮めるための方策か!」
このように私は勝手に得心しますが、たぶん場面展開の都合だったのでしょう。
――ひとまず、『青天を衝け』の世界に…
唐津藩の“若殿”・小笠原長行は登場しました。低い声色、がっちりした体躯という印象。私の持つイメージ「不遇の貴公子・小笠原」さまとは少し違った感じ。
逆に「旧幕府方として戦う、小笠原さまの勇姿は見られるかも…」という期待は感じさせます。
徳川慶喜公に信頼され、たびたび“老中”に返り咲いた、小笠原長行さま。次のご登場を心待ちにします。
2021年07月03日
「なんもなか…日々に」
こんばんは。
いつもお読みいただいている皆様には、伝わっているかもしれません。いまの私は「叩きつけるように日々を消費している」そんな気持ちでいます。
…めぐる季節を感じる心のゆとりもなく、気が付けば7月。もう夏になりました。
――しかし、佐賀を想う時だけは…
私の心は“自由”であるのです。そして、『さがファンブログ』ほど佐賀の今を、私に届けてくれるものも無いです。
「佐賀駅に七夕飾りが出た」とか「長崎街道には気になるお店がいろいろあるが、歩くと暑い…」とか。
麦畑、水田などに郷里の季節の移ろいを感じることができ、県内の名所・絶景など、佐賀県全域にわたる知識も蓄えられていきます。
…こうして、私は遠く夕陽を見れば、伊万里の海を想うまでになりました。

――日々の暮らしの丁寧であること。
「虫を警戒しながらブルーベリーを摘む」「すももを収穫しようとして危うい目にあった…」とか。
私の日々に比して“生きてる感”の躍動する記事がよく見られます。ただ酷暑でもあり、屋外での作業の際はくれぐれもご注意のほどを。
…そういえば、佐賀に住む私の叔父上が、時おり果物や野菜を送ってくれます。きっと皆様のように収穫しているのだと思います。
――いま、佐賀とつながることの意味。
ブログ開始から1年7か月ばかり。本来ならば“帰藩”のチャンスもあったのですが、コロナ禍の影響は大きく、この間は一度も佐賀に帰れていません。
私自身での現地調査は当然ストップし、最近では時間や体力の不足もあって、書籍・ネットでの調べ物も滞りがちです。
「大河ドラマ」を軸に綴るはずが、佐賀県の存在を強く感じる『ゾンビランドサガ』のレポートに走ったりしました。いや、これはこれで楽しいのですが。

――道に迷っても、走り続けるべきなのか…
本日、何となく某検索サイトで「佐賀 大河」と検索したところ、なんと検索結果の表示でトップに。最近は“文章が走っていない”と感じていたので、意外でした。
これも一瞬のことで、すぐに順位は下がると思いますが、日々ご覧いただいている皆様のおかげと言うほかありません。
当ブログを初見の方にも「もうじき佐賀の大河ドラマが来るかも!」と思える内容まで高めたいのですが、道は遠い…と感じます。
――これも『さがファンブログ』から辿った情報で…
佐賀市のシティプロモーション(都市の魅力発信)動画を参照しました。今回の目的は、移住の促進。相変わらず“攻めた”内容だと感心していたところです。
…いまの佐賀の暮らしの平穏を守るため「佐賀市には“何も無い”と思わせて、移住を“阻止”する特殊任務」を背負った部署の活躍を描くストーリー。
――作品名は『佐賀市 なんもな課』。
この部署がもがけばもがくほど、かえって佐賀市の魅力が明らかになってしまうという逆説的な物語を描く、移住プロモーション動画でした。
佐賀の人はすぐに謙遜して「何も無かところです」と言うけれども、隠し通せない魅力がある。私には製作者の意図がよくわかる気がする、そんな作品でした。
参照:外部サイト(佐賀市シティプロモーション室)※動画(ムービー)は画面下部から。
https://www.city.saga.lg.jp/promotion/main/987.html
いつもお読みいただいている皆様には、伝わっているかもしれません。いまの私は「叩きつけるように日々を消費している」そんな気持ちでいます。
…めぐる季節を感じる心のゆとりもなく、気が付けば7月。もう夏になりました。
――しかし、佐賀を想う時だけは…
私の心は“自由”であるのです。そして、『さがファンブログ』ほど佐賀の今を、私に届けてくれるものも無いです。
「佐賀駅に七夕飾りが出た」とか「長崎街道には気になるお店がいろいろあるが、歩くと暑い…」とか。
麦畑、水田などに郷里の季節の移ろいを感じることができ、県内の名所・絶景など、佐賀県全域にわたる知識も蓄えられていきます。
…こうして、私は遠く夕陽を見れば、伊万里の海を想うまでになりました。
――日々の暮らしの丁寧であること。
「虫を警戒しながらブルーベリーを摘む」「すももを収穫しようとして危うい目にあった…」とか。
私の日々に比して“生きてる感”の躍動する記事がよく見られます。ただ酷暑でもあり、屋外での作業の際はくれぐれもご注意のほどを。
…そういえば、佐賀に住む私の叔父上が、時おり果物や野菜を送ってくれます。きっと皆様のように収穫しているのだと思います。
――いま、佐賀とつながることの意味。
ブログ開始から1年7か月ばかり。本来ならば“帰藩”のチャンスもあったのですが、コロナ禍の影響は大きく、この間は一度も佐賀に帰れていません。
私自身での現地調査は当然ストップし、最近では時間や体力の不足もあって、書籍・ネットでの調べ物も滞りがちです。
「大河ドラマ」を軸に綴るはずが、佐賀県の存在を強く感じる『ゾンビランドサガ』のレポートに走ったりしました。いや、これはこれで楽しいのですが。
――道に迷っても、走り続けるべきなのか…
本日、何となく某検索サイトで「佐賀 大河」と検索したところ、なんと検索結果の表示でトップに。最近は“文章が走っていない”と感じていたので、意外でした。
これも一瞬のことで、すぐに順位は下がると思いますが、日々ご覧いただいている皆様のおかげと言うほかありません。
当ブログを初見の方にも「もうじき佐賀の大河ドラマが来るかも!」と思える内容まで高めたいのですが、道は遠い…と感じます。
――これも『さがファンブログ』から辿った情報で…
佐賀市のシティプロモーション(都市の魅力発信)動画を参照しました。今回の目的は、移住の促進。相変わらず“攻めた”内容だと感心していたところです。
…いまの佐賀の暮らしの平穏を守るため「佐賀市には“何も無い”と思わせて、移住を“阻止”する特殊任務」を背負った部署の活躍を描くストーリー。
――作品名は『佐賀市 なんもな課』。
この部署がもがけばもがくほど、かえって佐賀市の魅力が明らかになってしまうという逆説的な物語を描く、移住プロモーション動画でした。
佐賀の人はすぐに謙遜して「何も無かところです」と言うけれども、隠し通せない魅力がある。私には製作者の意図がよくわかる気がする、そんな作品でした。
参照:外部サイト(佐賀市シティプロモーション室)※動画(ムービー)は画面下部から。
https://www.city.saga.lg.jp/promotion/main/987.html
2021年07月01日
「もしも不遇を感じた時には…」
こんばんは。
先週末で、大河ドラマ『青天を衝け』の第20回。「何だか、佐賀の匂いがする…」というわけでもありませんが、私は一瞬の登場でも見逃しません。
土曜に再放送を見る方は、注目してほしい、放送開始から19分ほど経過した時点。
――画面上に大写しされる、北九州の地図。
1866年。第2次長州征討の際、小倉(福岡県)付近では善戦していた幕府軍。
しかし、地図上では小倉城が発火する演出。幕府軍は拠点を失う事態となり、敗北が決定的になったとのナレーション。
広がる炎…その横には「小笠原壱岐守様 御陣」と墨書されていました。
――それは、佐賀の話…?
…そう思われた方。実は“小笠原”様というお名前が大事なのです。
当時、幕府軍で小倉口方面の指揮を執っていたのが、唐津藩の小笠原長行(おがさわら ながみち)さまなのです。
そうです。今の佐賀県には佐賀藩だけでなく、唐津藩もありました。そして江戸時代の唐津は、幕府で重職を務める譜代大名が入りました。
〔参照:「主に唐津市民の方を対象にしたつぶやき」〕

――唐津藩の“若殿”(藩主名代)である小笠原長行さま。
この方を調べるうちに、私は釈然としない感情を覚えるのです。
「一言でいえば…不憫(ふびん)過ぎるぞ!唐津の“若殿”」と感じます。
賢くて才能もある方なのに“貧乏クジ”ばかり引かされている…という印象です。
――不憫ポイント①「殿様の長男なのに…」
唐津城で生まれた、小笠原長行さま。幕府に近い立場の唐津藩。長崎の警備を担当する佐賀・福岡両藩(有力な外様大名)の見張り役を受け持ちます。
その“長崎見廻役”の任務は重く、幼い子は唐津藩の殿様になれなかったようです。そんな事情があってか、他藩から養子を迎え続ける唐津藩。
殿様の長男なのに、タイミング的に冷遇されて跡が継げない。何とも不憫です…
――不憫ポイント②「この時期に幕閣…」
“桜田門外の変”で大老・井伊直弼が亡くなった頃から急落する幕府の権威。人材を求める幕府は、賢いと評判の小笠原長行さまを老中の地位に付けます。
唐津藩の世継ぎの身分ながら、幕閣で活躍を始めた小笠原さま。
…1862年。薩摩藩士が行列を横切ったイギリス人を斬る事件が発生。小笠原さまは、この“生麦事件”で事後処理に奔走することになります。

誰も決断をしない中、武力行使に前のめりなイギリスに向き合い、老中としては「賠償金止む無し」と判断。
攘夷派からは目の敵にされますが、この判断は評価する見解も多いようです。ご苦労なさった…
――不憫ポイント③「もはや逃亡者…」
“第2次長州征討”で、幕府側の指揮官の1人だった小笠原長行さま。
1868年。戊辰戦争。薩摩・長州が中心の新政府軍からは“朝敵”と扱われます。幕府への忠誠心も強かった、小笠原さま。江戸を抜け出し、東北へ。
新政府から唐津藩には「小笠原長行の逮捕命令」まで出されます。
東北では、会津(福島)などを回って新政府軍に抗戦。のち蝦夷地(北海道)まで行くのですが、いろいろあって蝦夷地では、戦っていないようです。
――そんな“若殿”を救いたい唐津藩士たち…
唐津藩は明治新政府に、“若殿”とは断絶したと宣言する一方で、すでに新政府でも存在感を発揮する佐賀藩を頼ります。
当時は佐賀藩のご隠居・鍋島直正に“若殿”の助命への協力を願い出ます。
実際「薩長には従いたくないが、佐賀まで新政府に入っては致し方ないか…」と考えた藩は他にもあった様子。
――小笠原長行さま。何とか新時代を生きていくことに。
唐津藩士たちの想い、佐賀藩の援護もあって命には縁がありましたが、“唐津の殿様”だったかも不確かで、“世継ぎ”のままだったという扱いに。(諸説あり)
すごく苦労が感じられる人。もし「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現したら、物語の要所に登場いただきたい方です。
“唐津の若殿”小笠原さまの視点で、幕府方の苦悩も描けば「“佐賀の大河”としては、“完全形”に近づく…」と考えたりもしています。
〔参照:「誰の“視点”から見るか?」〕
先週末で、大河ドラマ『青天を衝け』の第20回。「何だか、佐賀の匂いがする…」というわけでもありませんが、私は一瞬の登場でも見逃しません。
土曜に再放送を見る方は、注目してほしい、放送開始から19分ほど経過した時点。
――画面上に大写しされる、北九州の地図。
1866年。第2次長州征討の際、小倉(福岡県)付近では善戦していた幕府軍。
しかし、地図上では小倉城が発火する演出。幕府軍は拠点を失う事態となり、敗北が決定的になったとのナレーション。
広がる炎…その横には「小笠原壱岐守様 御陣」と墨書されていました。
――それは、佐賀の話…?
…そう思われた方。実は“小笠原”様というお名前が大事なのです。
当時、幕府軍で小倉口方面の指揮を執っていたのが、唐津藩の小笠原長行(おがさわら ながみち)さまなのです。
そうです。今の佐賀県には佐賀藩だけでなく、唐津藩もありました。そして江戸時代の唐津は、幕府で重職を務める譜代大名が入りました。
〔参照:
――唐津藩の“若殿”(藩主名代)である小笠原長行さま。
この方を調べるうちに、私は釈然としない感情を覚えるのです。
「一言でいえば…不憫(ふびん)過ぎるぞ!唐津の“若殿”」と感じます。
賢くて才能もある方なのに“貧乏クジ”ばかり引かされている…という印象です。
――不憫ポイント①「殿様の長男なのに…」
唐津城で生まれた、小笠原長行さま。幕府に近い立場の唐津藩。長崎の警備を担当する佐賀・福岡両藩(有力な外様大名)の見張り役を受け持ちます。
その“長崎見廻役”の任務は重く、幼い子は唐津藩の殿様になれなかったようです。そんな事情があってか、他藩から養子を迎え続ける唐津藩。
殿様の長男なのに、タイミング的に冷遇されて跡が継げない。何とも不憫です…
――不憫ポイント②「この時期に幕閣…」
“桜田門外の変”で大老・井伊直弼が亡くなった頃から急落する幕府の権威。人材を求める幕府は、賢いと評判の小笠原長行さまを老中の地位に付けます。
唐津藩の世継ぎの身分ながら、幕閣で活躍を始めた小笠原さま。
…1862年。薩摩藩士が行列を横切ったイギリス人を斬る事件が発生。小笠原さまは、この“生麦事件”で事後処理に奔走することになります。
誰も決断をしない中、武力行使に前のめりなイギリスに向き合い、老中としては「賠償金止む無し」と判断。
攘夷派からは目の敵にされますが、この判断は評価する見解も多いようです。ご苦労なさった…
――不憫ポイント③「もはや逃亡者…」
“第2次長州征討”で、幕府側の指揮官の1人だった小笠原長行さま。
1868年。戊辰戦争。薩摩・長州が中心の新政府軍からは“朝敵”と扱われます。幕府への忠誠心も強かった、小笠原さま。江戸を抜け出し、東北へ。
新政府から唐津藩には「小笠原長行の逮捕命令」まで出されます。
東北では、会津(福島)などを回って新政府軍に抗戦。のち蝦夷地(北海道)まで行くのですが、いろいろあって蝦夷地では、戦っていないようです。
――そんな“若殿”を救いたい唐津藩士たち…
唐津藩は明治新政府に、“若殿”とは断絶したと宣言する一方で、すでに新政府でも存在感を発揮する佐賀藩を頼ります。
当時は佐賀藩のご隠居・鍋島直正に“若殿”の助命への協力を願い出ます。
実際「薩長には従いたくないが、佐賀まで新政府に入っては致し方ないか…」と考えた藩は他にもあった様子。
――小笠原長行さま。何とか新時代を生きていくことに。
唐津藩士たちの想い、佐賀藩の援護もあって命には縁がありましたが、“唐津の殿様”だったかも不確かで、“世継ぎ”のままだったという扱いに。(諸説あり)
すごく苦労が感じられる人。もし「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現したら、物語の要所に登場いただきたい方です。
“唐津の若殿”小笠原さまの視点で、幕府方の苦悩も描けば「“佐賀の大河”としては、“完全形”に近づく…」と考えたりもしています。
〔参照: