2021年07月23日
第16話「攘夷沸騰」②(小城の秘剣)
こんばんは。
佐賀の「小京都」とも称される小城。江戸時代は佐賀藩に3箇所ある“支藩”のうち1つが所在しました。
今回は、江藤新平と親しい、ある“小城藩士”が登場します。のちに熊本や山梨の発展に尽力し、その名を残す人物です。
――小城。ある剣術道場にて。
「ヤァッ!」
「トゥ-!」
気合に満ちた声が響く。
佐賀の小城支藩にある「永田右源次」道場。看板に掲げた流儀は“心形刀流”(しんぎょうとうりゅう)のようだ。
――佐賀本藩の下級役人、江藤新平。
なぜか小城の道場に出向き、剣の稽古をする。やや浅黒い顔色、頭髪は乱れがち。藩の役人になっても、かつて“野人”と揶揄(やゆ)された印象は残る。
「富岡さん、一手、ご指南(しなん)を願いたい。」
「江藤か、久しいな。」
江藤が話かけた相手は、富岡敬明という名だ。いささか年長の様子だ。年の頃、10歳ほどは上と言ったところか。

――「富岡さん」と呼ばれた男は、軽く笑みを浮かべる。
「小城でのお役目も、繁多(はんた)であられたご様子。」
江藤が言葉を続ける。しかし、その視線は鋭く、表情に笑みは無い。
「実は、酒でしくじってな。いまは随分のんびりとした暮らしとなった。」
富岡の返答に、さらに江藤の表情が険しくなる。
…おそらく江藤は経過を知っている。口を開く前から「言いたいことがある」様子が見て取れる。
「来い、江藤。」
富岡が、壁に架けてある竹刀を手に取った。
――構えを取った江藤は、何やらピリピリとしている。
「ヤァァッーッ!」
先ほどから道場には活気があふれるが、それを破るほどの気合が走った。
江藤の打ち込みも鋭いが、富岡は剣先の勢いを抑えて巻き落とす。
「せっかくのお傍(そば)務め、何故にございますか!」
どうやら江藤の不満は、富岡が失態で左遷された事についてだ。
以前、富岡は小城藩主の傍に仕えていたが、いまは要職から遠ざかっている。
「だから、酒でしくじったと言っておろう!」
――パァン!竹刀の音が響く。
江藤と対峙している富岡敬明は小城支藩の上級武士だが、2人とも身分差はお構いなく、大声を出し合いながら打ち合っている。
鬱屈した感情は、江藤の前のめりの剣に示される。「貴方ほどの人物が、何をつまらぬ失敗をしているのだ!」と、富岡を責める怒りすら感じられる。
ヒュン!
鋭い振りが風切り音をたてる。既に左に身を転じて、その剣先に富岡はいない。江藤の竹刀は、空を切ったのだ。

――次の瞬間。富岡は剣先で、江藤の肩口を抑えていた。
「お前こそ、何をそこまで焦っている。」
下級役人とは言え、江藤は軍事機密を扱う“火術方”に採用され、続いて貿易の部門“代品方”に移った。普通なら、満足な待遇だろう。
…佐賀藩は人材登用に熱心だ。そして、江藤ほどの有能さならば、ある程度の出世も期待できる。
向き直った江藤。構えを取りなおした。
「それでは、間に合わぬのです!」
――そう言い返す、江藤の眼光は真っ直ぐだ。
富岡は理解した。「己の出世ではなく、遠く先。国の大事を見据える目」だと。
パァン!
隙が出来た、その刹那(せつな)。江藤の小手打ちが富岡に炸裂した。
…先ほどまでの騒々しさが嘘のように、しばし無音の時間が流れる。
「痛っつつ…、少しは加減をしろ!」
怒りに任せた一撃。小手へ打ち込みが入った角度も良くない。これは痛そうだ。
――ここで、ようやく富岡と“目が合った”かのような江藤。
剣と大声に己の感情を乗せて、多少は気が晴れた様子だ。
「…富岡さん!済まない。」
「近いうちに時節も来るだろう…あまり、熱くなるんじゃない。」
痛がりながらも、焦る江藤を諭す富岡。ほとんど“八つ当たり”で迷惑をこうむった感じだが、まったく意に介していない。
かつて小城で少年時代を過ごした江藤。そこでは、身分の差を超えた友人も得ていたのである。
(続く)
佐賀の「小京都」とも称される小城。江戸時代は佐賀藩に3箇所ある“支藩”のうち1つが所在しました。
今回は、江藤新平と親しい、ある“小城藩士”が登場します。のちに熊本や山梨の発展に尽力し、その名を残す人物です。
――小城。ある剣術道場にて。
「ヤァッ!」
「トゥ-!」
気合に満ちた声が響く。
佐賀の小城支藩にある「永田右源次」道場。看板に掲げた流儀は“心形刀流”(しんぎょうとうりゅう)のようだ。
――佐賀本藩の下級役人、江藤新平。
なぜか小城の道場に出向き、剣の稽古をする。やや浅黒い顔色、頭髪は乱れがち。藩の役人になっても、かつて“野人”と揶揄(やゆ)された印象は残る。
「富岡さん、一手、ご指南(しなん)を願いたい。」
「江藤か、久しいな。」
江藤が話かけた相手は、富岡敬明という名だ。いささか年長の様子だ。年の頃、10歳ほどは上と言ったところか。
――「富岡さん」と呼ばれた男は、軽く笑みを浮かべる。
「小城でのお役目も、繁多(はんた)であられたご様子。」
江藤が言葉を続ける。しかし、その視線は鋭く、表情に笑みは無い。
「実は、酒でしくじってな。いまは随分のんびりとした暮らしとなった。」
富岡の返答に、さらに江藤の表情が険しくなる。
…おそらく江藤は経過を知っている。口を開く前から「言いたいことがある」様子が見て取れる。
「来い、江藤。」
富岡が、壁に架けてある竹刀を手に取った。
――構えを取った江藤は、何やらピリピリとしている。
「ヤァァッーッ!」
先ほどから道場には活気があふれるが、それを破るほどの気合が走った。
江藤の打ち込みも鋭いが、富岡は剣先の勢いを抑えて巻き落とす。
「せっかくのお傍(そば)務め、何故にございますか!」
どうやら江藤の不満は、富岡が失態で左遷された事についてだ。
以前、富岡は小城藩主の傍に仕えていたが、いまは要職から遠ざかっている。
「だから、酒でしくじったと言っておろう!」
――パァン!竹刀の音が響く。
江藤と対峙している富岡敬明は小城支藩の上級武士だが、2人とも身分差はお構いなく、大声を出し合いながら打ち合っている。
鬱屈した感情は、江藤の前のめりの剣に示される。「貴方ほどの人物が、何をつまらぬ失敗をしているのだ!」と、富岡を責める怒りすら感じられる。
ヒュン!
鋭い振りが風切り音をたてる。既に左に身を転じて、その剣先に富岡はいない。江藤の竹刀は、空を切ったのだ。
――次の瞬間。富岡は剣先で、江藤の肩口を抑えていた。
「お前こそ、何をそこまで焦っている。」
下級役人とは言え、江藤は軍事機密を扱う“火術方”に採用され、続いて貿易の部門“代品方”に移った。普通なら、満足な待遇だろう。
…佐賀藩は人材登用に熱心だ。そして、江藤ほどの有能さならば、ある程度の出世も期待できる。
向き直った江藤。構えを取りなおした。
「それでは、間に合わぬのです!」
――そう言い返す、江藤の眼光は真っ直ぐだ。
富岡は理解した。「己の出世ではなく、遠く先。国の大事を見据える目」だと。
パァン!
隙が出来た、その刹那(せつな)。江藤の小手打ちが富岡に炸裂した。
…先ほどまでの騒々しさが嘘のように、しばし無音の時間が流れる。
「痛っつつ…、少しは加減をしろ!」
怒りに任せた一撃。小手へ打ち込みが入った角度も良くない。これは痛そうだ。
――ここで、ようやく富岡と“目が合った”かのような江藤。
剣と大声に己の感情を乗せて、多少は気が晴れた様子だ。
「…富岡さん!済まない。」
「近いうちに時節も来るだろう…あまり、熱くなるんじゃない。」
痛がりながらも、焦る江藤を諭す富岡。ほとんど“八つ当たり”で迷惑をこうむった感じだが、まったく意に介していない。
かつて小城で少年時代を過ごした江藤。そこでは、身分の差を超えた友人も得ていたのである。
(続く)