2021年07月10日

「第2部を、どう描くか?」

こんばんは。

最近、忙しさにかまけて、当ブログのメインテーマ幕末佐賀藩大河ドラマ」から離れていた感があります。そろそろ話を戻さんばなりません。あの世界へ


――ところで、夏の高校野球のシーズンですね…

今年は無事に予選県大会は進むのでしょうか。いきなり野球に例えますが、最近は「変化球ばかりを出してきたが、また直球勝負をしたい」と考えています。

私の見たい「幕末佐賀藩大河ドラマ」の本編イメージ。第2部の題材は「佐賀志士たちの群像劇」というところでしょうか。



――ここで、大きな問題があります。

今のところ、第2部前半と考えている年代は、1861~1867年頃。幕末大詰めの時期。

政局の舞台だった上方(大坂)で佐賀の存在感は薄く、「やたらと強いのに動こうとしない佐賀藩」。近代化への地道な努力のみでは物語は書きづらい。

激動の時代。慎重な姿勢を崩さない殿鍋島直正焦りを感じる佐賀志士たちの想いは複雑です。


――思惑が読めないから、“肥前の妖怪”とまで言われる。

政治闘争にあまり絡まなかったことで、佐賀藩影響力は軽く見られがちです。

しかし、明治維新では“官軍”への参加が大幅に出遅れようが、新政府佐賀中枢に迎えざるを得なかった。いわゆる“薩長土肥”の体制ですね。

…これが、歴史上に示された結果で、第2部折り返し地点に考えています。


――「大河ドラマ」での、佐賀の“勝ち筋”を探る。

佐賀藩存在無しでは、新政府運営しづらかった」という要因は、いろいろと推測できます。その中身をどんな解釈で書くか。

明治の初めに、実は新政府体制づくりを主導していた佐賀藩出身者たち。戊辰戦争の時期にも進んでいた、新国家建設への苦闘を大事に描きたい。

現在の思惑では、1868~1873年頃までを第2部後半に設定。明治初期ですね。ここを「幕末佐賀藩大河ドラマ」のピークとして描きたいです。



――これが私の力量で、どこまで描けるか…

それは、私自身もわかりません。書き通せる自信があるわけでも無いのです。

幕末期佐賀を題材として著名な作家さんの小説もありますし、「そのうち才能のある誰かが、“大河向き”の作品も書くだろう…」と思う時もあります。

…結局、「私も書いてみたい!」というのが本音なのかもしれません。


――どのみち、佐賀が本当の「大河ドラマ」になった時は、

必要に応じて、プロの脚本家さんがどうにかしてくれると思います。ならば、話の構成まとまりを欠いても、“佐賀への愛”を叫ぶ方が大事。

そして、「“幕末佐賀藩大河ドラマ”は、近いうちに実現するかも…」と考える、同志(?)の数をなるべく増やしておく。それが私の役回りなのかもしれません。

これからは時折、私の想いのこもった直球(ストレート)を、投げ込んでいきます。夏バテも心配な時期ですが、“捕球”できそうな方は、ぜひ受け止めてください!






  


Posted by SR at 20:39 | Comments(2) | 構成編(P)