2020年09月15日
「将軍継嗣問題をどう描くか?(前編)」
こんばんは。
全国的に残暑も和らぎ、ようやく秋の気配…といったところでしょうか。
週末(日曜)は「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のライブ配信で、随分ヒートアップしてしまいました。
当ブログを始めてから9か月ほどが経っていますが、1日に3本も投稿したのは、今のところ同日だけです…
――さて、今回は少し“クールダウン”を図ります。
…とはいえ「八賢人おもてなし隊」の演劇の余韻も残っているので、関連した話をします。今回、同隊の演目で“女性キャスト”が登場したのを、初めて見ました。
5本目「あまねく人を。2020バージョン」というタイトルで、西洋医学に取り組んだ佐賀の先進性を示した演目です。
唯一登場した女性キャストが、殿・鍋島直正の“ご正室”・筆姫さま。当日のトークでMCを担当する女性が、急に姫の格好で現れたのもサプライズでした。
なお、詳細が気になる方は前回の投稿からリンク先をご覧ください…
〔参照(文末):佐賀城からのライブ配信の感想など④⑤〕
――さて、全国各藩の“ご正室”には、重要なお仕事がありました。
それは“大奥”を通じて、国(藩)のために“外交”を行うこと。徳川将軍家の私的空間である“大奥”とのつながりは、いざというときの政治力を高めます。
大奥の事務方トップは、老中に匹敵する権力を持っていたとか。江戸の街では、女の子たちの遊びに“大奥”出世すごろく…まで存在したようです。
――佐賀藩の筆姫さまも“大奥”と贈答品のやり取りなど交流に励んだ様子。
当時も伊万里で作られていた“鍋島焼”。こういう場面でも、贈答品として威力を発揮したと想像しています。
もともと殿・鍋島直正の最初の“ご正室”は、盛姫さまという方です。第11代将軍・徳川家斉の愛娘で、大事に育てられたお姫様でした。
“本編”では、はじめて佐賀に向かう直正を心配する…という描き方をしました。
〔参照:第2話「算盤大名」③-1〕

将軍の娘・盛姫さまには“大奥”はホームグラウンド。佐賀城が火災に遭った際も再建費用の借入に成功するなど、佐賀のために力を発揮したと推察します。
〔参照:第3話「西洋砲術」①-2〕
しかし、盛姫さまは30代後半の若さで亡くなられたため、殿は再婚することになりました。このあたりは、“本編”には描けていません。
――筆姫さまには、その“後継者”としての役割も期待されたと考えます。
筆姫さまも、将軍家に連なる家系のお姫様でした。
徳川御三家に次ぐ“御三卿”の1つ・田安家の出身です。
そして福井藩主・松平慶永(春嶽)の妹でもあります。一橋慶喜を次期将軍に推すグループのまとめ役ですね。
〔参照:第13話「通商条約」①(影の“内閣”)〕
薩摩の島津斉彬、土佐の山内豊信(容堂)、宇和島の伊達宗城…著名なメンバー揃いですが、次期将軍の擁立では、この“一橋派”は“南紀派”に敗れます。
その要因は次回でも考えていきたいと思います。
全国的に残暑も和らぎ、ようやく秋の気配…といったところでしょうか。
週末(日曜)は「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のライブ配信で、随分ヒートアップしてしまいました。
当ブログを始めてから9か月ほどが経っていますが、1日に3本も投稿したのは、今のところ同日だけです…
――さて、今回は少し“クールダウン”を図ります。
…とはいえ「八賢人おもてなし隊」の演劇の余韻も残っているので、関連した話をします。今回、同隊の演目で“女性キャスト”が登場したのを、初めて見ました。
5本目「あまねく人を。2020バージョン」というタイトルで、西洋医学に取り組んだ佐賀の先進性を示した演目です。
唯一登場した女性キャストが、殿・鍋島直正の“ご正室”・筆姫さま。当日のトークでMCを担当する女性が、急に姫の格好で現れたのもサプライズでした。
なお、詳細が気になる方は前回の投稿からリンク先をご覧ください…
〔参照(文末):
――さて、全国各藩の“ご正室”には、重要なお仕事がありました。
それは“大奥”を通じて、国(藩)のために“外交”を行うこと。徳川将軍家の私的空間である“大奥”とのつながりは、いざというときの政治力を高めます。
大奥の事務方トップは、老中に匹敵する権力を持っていたとか。江戸の街では、女の子たちの遊びに“大奥”出世すごろく…まで存在したようです。
――佐賀藩の筆姫さまも“大奥”と贈答品のやり取りなど交流に励んだ様子。
当時も伊万里で作られていた“鍋島焼”。こういう場面でも、贈答品として威力を発揮したと想像しています。
もともと殿・鍋島直正の最初の“ご正室”は、盛姫さまという方です。第11代将軍・徳川家斉の愛娘で、大事に育てられたお姫様でした。
“本編”では、はじめて佐賀に向かう直正を心配する…という描き方をしました。
〔参照:

将軍の娘・盛姫さまには“大奥”はホームグラウンド。佐賀城が火災に遭った際も再建費用の借入に成功するなど、佐賀のために力を発揮したと推察します。
〔参照:
しかし、盛姫さまは30代後半の若さで亡くなられたため、殿は再婚することになりました。このあたりは、“本編”には描けていません。
――筆姫さまには、その“後継者”としての役割も期待されたと考えます。
筆姫さまも、将軍家に連なる家系のお姫様でした。
徳川御三家に次ぐ“御三卿”の1つ・田安家の出身です。
そして福井藩主・松平慶永(春嶽)の妹でもあります。一橋慶喜を次期将軍に推すグループのまとめ役ですね。
〔参照:
薩摩の島津斉彬、土佐の山内豊信(容堂)、宇和島の伊達宗城…著名なメンバー揃いですが、次期将軍の擁立では、この“一橋派”は“南紀派”に敗れます。
その要因は次回でも考えていきたいと思います。