2020年09月20日

「主に嬉野市民の方を対象にしたつぶやき(前編)」

こんばんは。
そろそろ第14話遣米使節」への助走を始めます。「蘭学から英学へ」の転換期をテーマとして、実は、ここに“嬉野”の幕末も織り込んでいく計画です。


――さて、嬉野市と言えば、まずは茶畑ですね。

まずは、江戸初期のお話。佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂公にお仕えした、吉村新兵衛という藩士がいました。

茶畑を広げて産業化に努め、“嬉野茶の祖”として祭られているそうです。こうして江戸期から、嬉野茶の産地として著名になります。



――それから、嬉野の人々が守り育てた“茶葉”。

嬉野茶は“鎖国”の時代も、オランダを通じて、海外にも出ていたようです。“本編”でも、オランダ人嬉野茶紅茶として楽しむ様子を描いてみました。
〔参照(前半):第12話「海軍伝習」⑩-1(負けんばい!・前編)

そして幕末には、嬉野茶は広く“世界デビュー”を果たします。長崎では、凄腕の女性貿易商大浦 慶が、お茶の海外展開に活躍します。


――この女性は、幕末の歴史ドラマにも、よく登場します。

尊王の志士には“支援者”のポジションだったためでしょう。とくに貿易商ですから、商売の仲間取引先の人物とは親しくなります。

そのため、土佐坂本龍馬に関係しての登場が多い印象です。佐賀藩士で関わりが深かったのは、やはり大隈重信八太郎)でしょう。


――大浦 慶は、1828年生まれ…だそうです。

現在の“本編”が扱う1855年~1858年頃では、概ね20代後半女性です。後に長崎でも活躍する、副島種臣同年代とお考えください。

そして、佐賀藩の密命で“貿易”に携わる大隈重信八太郎)。10歳年上の凄腕ビジネスウーマン大浦慶との関わりをどう描くか…


――ひとまず長崎商人・大浦慶としての話に戻します。

アメリカペリー黒船で来航した1853年

まず、大浦慶は、オランダ人と提携をします。嬉野茶の見本(サンプル)をイギリスアメリカなどに届けてもらったのです。

オランダを通じてはいますが、彼女は英米との“通商”を先取りしたのでしょう。


※現在の長崎・出島

――これが、大当たり。“嬉野茶”は世界に羽ばたきます。

嬉野茶のサンプルが気に入ったのか、イギリス商人茶葉を大量発注します。あまりの発注量に、九州各地から茶葉をかき集めることになった…といいます。

幕末時計は進み、“嬉野茶”の世界への挑戦(チャレンジ)は続きます…


――“本編”では、そんな「嬉野茶チャレンジ」も描きたいと考えています。

1867年パリ万博で、茶葉販路調査に挑んだのが、小出千之助です。幕末に、アメリカヨーロッパの両方に渡った佐賀藩士

小出は「佐賀藩・英学の祖」とも呼ばれるようです。佐賀藩は、従来からオランダ語(蘭学)が盛んでしたが、時代にあわせて英語(洋学)への転換を進めます。


――さすがは嬉野の特集です。前編は、お茶の話だけで終了しました。

私の文章で、どこまで国際舞台での苦闘が表現できるかわかりませんが、第20話くらいで描きたい…と考えています。

嬉野茶販路を開くチャレンジ現代とつながっている話だと思います。