2020年07月19日
第12話「海軍伝習」⑦(有田の“坊ちゃん”)
こんにちは。前回の続きです。
“義祭同盟”の感動を共有できる同年代を探す、大隈八太郎(重信)。
その眼前に現れた品の良さそうな少年とは…
――たしか、この子は、藩校「弘道館」に最近入学してきた。
「お主、名はたしか…」
大隈八太郎、名前が出てくる前に躊躇なく話しかける。気持ちが先行しているのである。
「久米丈一郎と申す。」
「そがんやった、久米ばい!こちらも名乗らんばな。」
…と自己紹介をしようとする八太郎。
「大隈くんですね。存じています。」
“貴方のことは、誰でも知っています”と言わんばかりに、久米丈一郎(邦武)が、先に言葉を発した。
――大隈とほぼ同年代だが、久米の方が言葉遣いは洗練されており、教養の高さを感じさせる。
「久米…と言えば、有田のお代官じゃなかね。」
「ええ、父が有田の皿山にて、代官の任に。」
久米丈一郎(邦武)の父・邦郷は、有田“皿山”の代官として名を残している。
佐賀藩が産業振興の柱の1つとする陶磁器の製造。その拠点である有田の“皿山”。久米の父は、藩の重要任務に就くエリートであった。
「随分と“弘道館”への入学が遅くなりました。」
こうした経過もあり、久米が藩校“弘道館”に来たのは、最近(16歳頃)だった。
――大隈八太郎は、藩校「弘道館」の教育内容が、伝統的な“葉隠”や漢学に偏ることに批判的である。
大隈の目には、藩校の教育は進歩を止めている…とすら映っていた。
「お主は相当に賢いと見受ける。今さら“弘道館”などで学ばずとも。」
「いや、書物の読み込みが足らず、それを補わねばなりませぬ。」
「そがん、本ば読みたかね。」

――大隈が尋ねる。“国事”に奔走する志士に憧れ、本を読むのに時間を費やすより、活動が大事と考えていた。
それに周りの面々が優秀過ぎるので、わりと要領の良い大隈は、自分で本を読むより「先輩たちに話を聞いた方が早い」と考えるのである。
久米は、大隈に家庭の状況を語る。
父からは「“お役目を通じ、実地で覚える”経験が大切だ。」と言い含められる。
親から「本ばかり読むな!」と言われるので、内心では反発をしている。これも反抗期と言えば、そうなのかもしれない。
――久米の父は、有田皿山の代官である。生産組織の管理や徴税…隙の無い実務能力こそが、学問よりも重要と考えていた。
「私には合点が行きません。書物を読み込むことが、大局を見る目を養うはずです。」
「久米も変わっとるごた…」
大隈も書物ばかり読んでいては駄目だと考えるのだが、久米の意見は真っ直ぐに過ぎて、逆に新鮮に映ったようだ。
そして、藩の“砲術長”であった大隈の父・信保が世を去ってから久しい。父に反発する、久米に少しの羨ましさも感じた。
――久米丈一郎(邦武)は、学問を探求することで真実に近づきたい、と熱っぽく語る。
「そうじゃ!久米も、“義祭同盟”に入らんね!」
「“楠公”を祀る、枝吉神陽先生の“結社”でございますか。」
久米が目を輝かせ、言葉を続ける。
「神陽先生と言えば、古今東西の学問に通じ、諳(そら)んじる書物、三万冊とお聞きします。」
「そうたい…!」
大隈は“尊王”の集まりを率いるカリスマ“思想家”である枝吉神陽を尊敬する。久米は“学者”としての神陽に憧れている様子。そこが大隈にはしっくり来ない。
話がかみ合っていないところはある。
しかし、八太郎くんは、望み通り“義祭同盟”を語る友を得たのである。

――その頃、“蘭学寮”では、杉谷擁助が講義を行っていた。
「では、各々よく読み込んでおくように。」
杉谷が話し終える。
かつて鉄製大砲の技術書を作り上げた、伝説の翻訳担当が先生なのだ。
「杉谷先生!ご教示いただきたい事がござる。」
江藤新平である。話終えるや否やの切り込みである。
「江藤さん!私も聞きたいことがあります。同席させてもらってよかですか。」
――ここでも、才気を感じさせる少年が言葉を発する。年の頃は江藤より4~5歳下であろうか。
「石丸くんか。貴君の質問ならば、私も聞きたい!同席を所望する。」
江藤も、石丸少年の才能を認めている様子だ。
少年の名は、石丸虎五郎(安世)という。
後にイギリスに渡り、佐賀藩随一の語学の達人となる秀才である。
「はっはっは…両者とも、熱心なことだ。」
杉谷は上機嫌で、質問に答えていく。教師冥利に尽きるといった表情である。
――幕末の“時計”とともに、佐賀藩士たちの時間も進んでいく。
今回、登場した久米邦武と、石丸安世。
後の新時代にも、佐賀の陶磁器産業と深く関わることになる。
そして、大隈重信の描いた夢は、久米を窮地から救い出す。
逆に石丸が生涯をかけた仕事は、江藤新平を追い詰める運命にあった。
いずれも、これからずっと先の話である。
(続く)
“義祭同盟”の感動を共有できる同年代を探す、大隈八太郎(重信)。
その眼前に現れた品の良さそうな少年とは…
――たしか、この子は、藩校「弘道館」に最近入学してきた。
「お主、名はたしか…」
大隈八太郎、名前が出てくる前に躊躇なく話しかける。気持ちが先行しているのである。
「久米丈一郎と申す。」
「そがんやった、久米ばい!こちらも名乗らんばな。」
…と自己紹介をしようとする八太郎。
「大隈くんですね。存じています。」
“貴方のことは、誰でも知っています”と言わんばかりに、久米丈一郎(邦武)が、先に言葉を発した。
――大隈とほぼ同年代だが、久米の方が言葉遣いは洗練されており、教養の高さを感じさせる。
「久米…と言えば、有田のお代官じゃなかね。」
「ええ、父が有田の皿山にて、代官の任に。」
久米丈一郎(邦武)の父・邦郷は、有田“皿山”の代官として名を残している。
佐賀藩が産業振興の柱の1つとする陶磁器の製造。その拠点である有田の“皿山”。久米の父は、藩の重要任務に就くエリートであった。
「随分と“弘道館”への入学が遅くなりました。」
こうした経過もあり、久米が藩校“弘道館”に来たのは、最近(16歳頃)だった。
――大隈八太郎は、藩校「弘道館」の教育内容が、伝統的な“葉隠”や漢学に偏ることに批判的である。
大隈の目には、藩校の教育は進歩を止めている…とすら映っていた。
「お主は相当に賢いと見受ける。今さら“弘道館”などで学ばずとも。」
「いや、書物の読み込みが足らず、それを補わねばなりませぬ。」
「そがん、本ば読みたかね。」
――大隈が尋ねる。“国事”に奔走する志士に憧れ、本を読むのに時間を費やすより、活動が大事と考えていた。
それに周りの面々が優秀過ぎるので、わりと要領の良い大隈は、自分で本を読むより「先輩たちに話を聞いた方が早い」と考えるのである。
久米は、大隈に家庭の状況を語る。
父からは「“お役目を通じ、実地で覚える”経験が大切だ。」と言い含められる。
親から「本ばかり読むな!」と言われるので、内心では反発をしている。これも反抗期と言えば、そうなのかもしれない。
――久米の父は、有田皿山の代官である。生産組織の管理や徴税…隙の無い実務能力こそが、学問よりも重要と考えていた。
「私には合点が行きません。書物を読み込むことが、大局を見る目を養うはずです。」
「久米も変わっとるごた…」
大隈も書物ばかり読んでいては駄目だと考えるのだが、久米の意見は真っ直ぐに過ぎて、逆に新鮮に映ったようだ。
そして、藩の“砲術長”であった大隈の父・信保が世を去ってから久しい。父に反発する、久米に少しの羨ましさも感じた。
――久米丈一郎(邦武)は、学問を探求することで真実に近づきたい、と熱っぽく語る。
「そうじゃ!久米も、“義祭同盟”に入らんね!」
「“楠公”を祀る、枝吉神陽先生の“結社”でございますか。」
久米が目を輝かせ、言葉を続ける。
「神陽先生と言えば、古今東西の学問に通じ、諳(そら)んじる書物、三万冊とお聞きします。」
「そうたい…!」
大隈は“尊王”の集まりを率いるカリスマ“思想家”である枝吉神陽を尊敬する。久米は“学者”としての神陽に憧れている様子。そこが大隈にはしっくり来ない。
話がかみ合っていないところはある。
しかし、八太郎くんは、望み通り“義祭同盟”を語る友を得たのである。
――その頃、“蘭学寮”では、杉谷擁助が講義を行っていた。
「では、各々よく読み込んでおくように。」
杉谷が話し終える。
かつて鉄製大砲の技術書を作り上げた、伝説の翻訳担当が先生なのだ。
「杉谷先生!ご教示いただきたい事がござる。」
江藤新平である。話終えるや否やの切り込みである。
「江藤さん!私も聞きたいことがあります。同席させてもらってよかですか。」
――ここでも、才気を感じさせる少年が言葉を発する。年の頃は江藤より4~5歳下であろうか。
「石丸くんか。貴君の質問ならば、私も聞きたい!同席を所望する。」
江藤も、石丸少年の才能を認めている様子だ。
少年の名は、石丸虎五郎(安世)という。
後にイギリスに渡り、佐賀藩随一の語学の達人となる秀才である。
「はっはっは…両者とも、熱心なことだ。」
杉谷は上機嫌で、質問に答えていく。教師冥利に尽きるといった表情である。
――幕末の“時計”とともに、佐賀藩士たちの時間も進んでいく。
今回、登場した久米邦武と、石丸安世。
後の新時代にも、佐賀の陶磁器産業と深く関わることになる。
そして、大隈重信の描いた夢は、久米を窮地から救い出す。
逆に石丸が生涯をかけた仕事は、江藤新平を追い詰める運命にあった。
いずれも、これからずっと先の話である。
(続く)