2020年07月07日
第12話「海軍伝習」②(長崎の雨)
こんばんは。
週末には熊本の豪雨が報じられ、今週始めからは佐賀の凄まじい降雨量も伝えられています。
郷里から離れた私にも聞こえてくる雨音…。皆様、くれぐれもお気をつけください。
さて、前回の続きです。
「大雨が止んでほしい」との念が入るあまり、シナリオを変更しました。
今回、長崎で、のちに佐賀藩士たちと深い関わりを持つ人物が登場します。
…そして、雨があがります。
――長崎。奉行所にほど近い“山本家”の玄関。傘も用をなさないほどの雨が降っている。
「先だって、文(ふみ)をお送りした本島と申す。」
殿・鍋島直正の側近である、本島藤太夫。
佐賀藩の大砲製造チーム“鋳立方の七人”のリーダーと説明した方が良いかもしれない。
「佐賀の本島さまですね。主(あるじ)からお伺いしております。」
屋敷の内から、20歳ぐらいの青年が応じる。雨中でもテキパキと仕事をこなし、活き活きとした目をしている。
――長崎は、古来より雨の多い土地柄。うんざりするほど降り続いている。
「よく降りますなぁ。」
本島藤太夫は、殿・鍋島直正と同年代なので、概ね40歳である。
“大砲鋳造”のプロジェクトを命懸けで成し遂げ、貫禄が出てきた。
「この雨です。さぞ、お足元が悪かったでしょう。ささ、こちらへ」
「貴方は、山本家の書生さんですか。」
きびきびとよく動く青年である。本島は感心した。
「はい、中津(大分)の出でございます。」
――部屋に通された、本島。先ほどの書生が、手紙で頼んでいたオランダの書物を運んでくる。
“山本家”は、長崎奉行所が関係する屋敷である。

砲術関係の書物を多数収蔵しており、訪ねてくる者も多い。この書生は“山本家”への来客に応対し、はては犬・猫の世話といった雑事までも、片付けているようだ。
長崎の西洋砲術家・高島秋帆が収集した、大砲に関する資料。
「さすが高島先生の蔵書だ。貴重なことが記されている…」
「ええ、良書でございます。図面を引くにも重宝いたします。」
――本島は驚いた。この若い書生は“蘭書”の中身を実践に用いている様子だ…
賢い人物が気になるのは、技術開発に勤しむ佐賀藩士の常である。
「書生さん。名をお教えいただけるかな。」
「奥平さまのお付きで、長崎に参りました。福沢と申します。」
奥平とは、中津藩の家老の名である。
福沢という書生は、子息の“付き人”の立場で、長崎にやってきたと語った。
「福沢どのか。名を覚えておこう。」
本島は“この書生、かなりの遣い手である”と判断したようだ。
福沢は居合の修練も行っているが、本島が気にしたのは、学問の腕前である。
――この書生、福沢諭吉。のちに佐賀藩士たちと深い関わりを持つことになる。
本島が、“山本家”を退出する。
重く暗かった空には、陽射しが差し込んでいた。

「さて、佐賀に戻るか。」
本島は、長崎街道を東に向かった。
「“精錬方”に良書を届けてやらねばな。」
――このところの雨続きで、ぬかるんだ道だが、本島の足取りは軽い。
この本を見た佐野栄寿(常民)の表情は容易に想像がつく。
「これは、すごか書です!」と言って、目を輝かせることだろう。
その佐野が率いる“精錬方”。取り組んでいるのは“蒸気機関”の研究だけではない。
本島たちが必死の想いで造りあげた、佐賀藩の大砲の改良も担当していたのである。
(続く)
週末には熊本の豪雨が報じられ、今週始めからは佐賀の凄まじい降雨量も伝えられています。
郷里から離れた私にも聞こえてくる雨音…。皆様、くれぐれもお気をつけください。
さて、前回の続きです。
「大雨が止んでほしい」との念が入るあまり、シナリオを変更しました。
今回、長崎で、のちに佐賀藩士たちと深い関わりを持つ人物が登場します。
…そして、雨があがります。
――長崎。奉行所にほど近い“山本家”の玄関。傘も用をなさないほどの雨が降っている。
「先だって、文(ふみ)をお送りした本島と申す。」
殿・鍋島直正の側近である、本島藤太夫。
佐賀藩の大砲製造チーム“鋳立方の七人”のリーダーと説明した方が良いかもしれない。
「佐賀の本島さまですね。主(あるじ)からお伺いしております。」
屋敷の内から、20歳ぐらいの青年が応じる。雨中でもテキパキと仕事をこなし、活き活きとした目をしている。
――長崎は、古来より雨の多い土地柄。うんざりするほど降り続いている。
「よく降りますなぁ。」
本島藤太夫は、殿・鍋島直正と同年代なので、概ね40歳である。
“大砲鋳造”のプロジェクトを命懸けで成し遂げ、貫禄が出てきた。
「この雨です。さぞ、お足元が悪かったでしょう。ささ、こちらへ」
「貴方は、山本家の書生さんですか。」
きびきびとよく動く青年である。本島は感心した。
「はい、中津(大分)の出でございます。」
――部屋に通された、本島。先ほどの書生が、手紙で頼んでいたオランダの書物を運んでくる。
“山本家”は、長崎奉行所が関係する屋敷である。

砲術関係の書物を多数収蔵しており、訪ねてくる者も多い。この書生は“山本家”への来客に応対し、はては犬・猫の世話といった雑事までも、片付けているようだ。
長崎の西洋砲術家・高島秋帆が収集した、大砲に関する資料。
「さすが高島先生の蔵書だ。貴重なことが記されている…」
「ええ、良書でございます。図面を引くにも重宝いたします。」
――本島は驚いた。この若い書生は“蘭書”の中身を実践に用いている様子だ…
賢い人物が気になるのは、技術開発に勤しむ佐賀藩士の常である。
「書生さん。名をお教えいただけるかな。」
「奥平さまのお付きで、長崎に参りました。福沢と申します。」
奥平とは、中津藩の家老の名である。
福沢という書生は、子息の“付き人”の立場で、長崎にやってきたと語った。
「福沢どのか。名を覚えておこう。」
本島は“この書生、かなりの遣い手である”と判断したようだ。
福沢は居合の修練も行っているが、本島が気にしたのは、学問の腕前である。
――この書生、福沢諭吉。のちに佐賀藩士たちと深い関わりを持つことになる。
本島が、“山本家”を退出する。
重く暗かった空には、陽射しが差し込んでいた。

「さて、佐賀に戻るか。」
本島は、長崎街道を東に向かった。
「“精錬方”に良書を届けてやらねばな。」
――このところの雨続きで、ぬかるんだ道だが、本島の足取りは軽い。
この本を見た佐野栄寿(常民)の表情は容易に想像がつく。
「これは、すごか書です!」と言って、目を輝かせることだろう。
その佐野が率いる“精錬方”。取り組んでいるのは“蒸気機関”の研究だけではない。
本島たちが必死の想いで造りあげた、佐賀藩の大砲の改良も担当していたのである。
(続く)