2020年07月13日

第12話「海軍伝習」④(義祭同盟の青春)

こんばんは。
週末は他の投稿をしていましたが、“本編”に戻ります。


――1854年の初夏。毎年、恒例となっている「楠公義祭同盟」の式典。

南北朝時代南朝方の忠臣である“楠木正成・正行”の父子を讃える集い。前年から藩の重役も列席するようになった。

おなじみの請役・鍋島安房は、とくに熱心に楠公を顕彰している。
楠公父子の像を、城下の中心部に移そう」と画策していた。

現在のみやき町付近の領主・鍋島河内(白石鍋島家当主)なども賛同し、義祭同盟に関わっていくことになる。


――“尊王”の集会に、藩の重役まで参加し、優秀な人材も見つけてしまう…これも佐賀藩らしさである。

義祭同盟を仕切るのは、枝吉神陽
「此度は、大楠公(楠木正成)、小楠公(正行)に詩を捧げたいと存ずる。」

神陽の声が、祭典の会場である境内に響き渡る
「では、江藤くん!貴君の詩披露したまえ!」

心得ました。」
江藤新平が、神陽呼び出しに短く答える。そして、列席する参加者面前に歩み出でた。


――そして、朗々と自作の漢詩を詠じる。相変わらず身なりは粗末だが、輝きはある。

江藤くん…素晴らしい!」
尊王”の志高い、江藤の1歳年下の友人・中野方蔵
漢詩の構成、内容、そしてよく通る声に感動している。

良い詩だな…」
大木喬任漢学を専攻する家の生まれだが、江藤博識に舌を巻いた。

蘭学”の寮に在籍する江藤だが、“漢学”にも詳しく、神陽からは“国学”も学んでいる。


――江藤の漢詩の奉納が終わり、枝吉神陽が言葉を発する。

「ご列席の皆様方、いま“我が国”は危難の最中にございます。」

佐賀のみならず、“日本”が心を一にして、国難に当たるべきと存じる。」

この数か月前、アメリカの提督ペリーが横浜に上陸して、日米和親条約が締結されている。いわば時事問題を取り上げたスピーチである。


――神陽は、列席する藩の重役たちが困らない程度に“日本一君論”という尊王思想も語っていた。

殿佐賀藩)のもとで励み、幕府を敬い、尊王の道を歩もう!」
概ねこれが当時の、枝吉神陽の主張である。“尊王敬幕論”という表現が近しい。

国の大事をどうするか。いま出来ることは何か。」
神陽学問の世界に籠らず、現実を見て考えていたのである。


――祭典後、いつもの3人(大木喬任江藤新平、中野方蔵)が寄り集まる。

神陽先生…!さすがは我が師感銘を受けました!」
中野方蔵は“尊王”の話に熱しやすい20歳に届くか…という年ごろである。

中野…お主は、草場先生のもとにも足しげく通っておるではないか!」
大木喬任が、興奮気味の中野に冷めた言葉をかける。
3歳ばかり年上の“兄貴分”の存在である。

「いや…、それは草場先生のお力を借りて江戸に行きたいのです!」
中野が本音を言う。


――佐賀の多久出身の草場佩川。古武士の風格がある儒学者。藩校からの留学に強い決定権を持つ。

「随分とはっきり言うのだな…」
大木が、呆れた顔をする。

中野媚び(こび)を売れり…」
江藤が、力のある教師に”胡麻をする”ような中野の行動を淡々と表す。

大木の兄さん!江藤くん!今は手立てを選んでいる場合ではありません!」
中野白熱した主張が始まった。


――ヒートアップする中野。「むしろ、大木江藤はのんびりと学問をし過ぎである!」とまで言う。

「わかった!中野。お主が先陣を切って、俺たちを引っ張り出してくれ。」
“兄貴分”の大木。普段は、あまりしゃべる方ではないが、ここは中野を宥(なだ)めに入る。

も、中野に続こう!いずれ我々で“国事”に奔走しようではないか。」
あの江藤までが“空気を読んだ”発言をする。

お分かりいただけたか!では、それがし草場先生のもとに参る!御免!」
中野は、現代ならば“リア充”とでも言うのであろうか、予定が詰まっていて忙しい。

中野走り去れり…」
江藤は、急ぎ足藩校に向かう、中野後ろ姿を見ていた。


(続く)

  


Posted by SR at 22:59 | Comments(0) | 第12話「海軍伝習」