2020年07月25日
第12話「海軍伝習」⑨-1(悔しかごたぁ・前編)
こんばんは。
投稿を作成したら、長くなり過ぎたので、前・後編に分けます。なお、サブタイトルどおり、両方とも“悔しい”話を準備しています。
さて、前回。殿・鍋島直正は黒船(西洋式の艦船)を操る人材の育成を急務と判断。その翌年、佐賀城下の“精錬方”では、蒸気機関車(模型)のテスト走行で、佐野栄寿(常民)を見送った…という展開でした。
この頃には、長崎でオランダ士官による、本格的な海軍技術の伝習が始まっています。
――その頃、佐賀城下の多布施にある“蘭学寮”。
教師・杉谷雍助が、優秀な生徒たちに声をかける。
「先日、話していた長崎での伝習の件だが…」
「いよいよですか。待ちきれんがごたです。」
中牟田倉之助。学生たちを“イナゴの群れ”に例えて、何やら計算をしていた少年。もちろん、得意科目は数学。
「いつお呼びがあっても、仕度は万端です。」
石丸虎五郎(安世)。理数系も強いが、語学力も卓越している。
石丸は、のちに東京-長崎間に電信線を敷設し、情報の伝達速度を一変させる人物。佐賀藩士だったので、絶縁体である碍子(がいし)の製造に「有田の磁器の技術が使える!」と気づいたのである。
――その場に居合わせたボサボサ髪の“蘭学寮”生、江藤新平が2人に声を掛けた。
「この国の“海防”は、貴君らの双肩に掛かるようだ!」
江藤が、中牟田・石丸の両名に、仰々しい言葉をかける。
「お主らなら、間違いは無い!」
先輩らしい見送りのセリフだ。
孤高の人っぽい江藤であるが、賢い後輩たちを認めている様子だ。
「何ゆえ、江藤さんは伝習に呼ばれんとですか?」
ここで中牟田が、素朴な疑問を発する。
どうやら“空気を読まない”のは、江藤の専売特許ではないらしい。全力で理系少年の中牟田が、この場では避けるべき質問をした。

――教師・杉谷が渋い顔をする。「わかっている…江藤は優秀なのだ!でも、貧乏なのだ…」これは当人の前では言いづらい。
すると、江藤が口を開いた。
「私とて、長崎に向かいたい気持ちは山々だ!」
「では、我らとともに参りましょう!」
石丸虎五郎(安世)は、江藤の“義祭同盟”での活躍を知っている。
賢いと評判の先輩に“伝習に行きますよね!”と尋ねる、無邪気な下級生と考えてほしい。
「私には取り組んでいる“仕事”があるのだ。」
「それは、如何なる物ですか!?」
――藩の役人でもない先輩・江藤の“仕事”とは何か、石丸の疑問は当然である。
「建白書を綴っている。“図海策”と名付くものだ。」
“図海策”とは翌1856年に完成する、江藤新平の意見書である。
その内容は、極めて先進的。
“民が苦しむ”という理由で、“攘夷”戦争への突入を否定。むしろ、海洋国・日本の立地を活かして、積極的に貿易を進めるべし…という、とても地方の書生とは思えない意見である。
教師・杉谷は、江藤自身の言葉により“言いづらいことを語る”窮地を脱した。
「そうだ!江藤も、己の信ずるところに、力を尽くしておるのだ。」
――これで“蘭学寮”の教師として、中牟田と石丸の2人を送り出せる。
教師・杉谷は、2人への期待を伝える。
「お前たちは長崎の伝習で、力の限り学んで来い。」
「はい!」
中牟田倉之助が大きく返事をする。
「肥前佐賀の名に恥じぬ、修練を積んで参ります!」
石丸虎五郎(安世)も決意を述べた。
――下級生2人の情熱に満ちた表情を見つめる、江藤。
意見書の構想があるのも事実だったが、江藤家は、何とか武士扱いされる程度の“手明鑓”の身分。
「長崎の伝習…、受けたいに決まっておる…」
旅立つ後輩2人の後ろ姿に悔しさを感じる江藤、学費が足らないのも現実だったのである。
(続く)
投稿を作成したら、長くなり過ぎたので、前・後編に分けます。なお、サブタイトルどおり、両方とも“悔しい”話を準備しています。
さて、前回。殿・鍋島直正は黒船(西洋式の艦船)を操る人材の育成を急務と判断。その翌年、佐賀城下の“精錬方”では、蒸気機関車(模型)のテスト走行で、佐野栄寿(常民)を見送った…という展開でした。
この頃には、長崎でオランダ士官による、本格的な海軍技術の伝習が始まっています。
――その頃、佐賀城下の多布施にある“蘭学寮”。
教師・杉谷雍助が、優秀な生徒たちに声をかける。
「先日、話していた長崎での伝習の件だが…」
「いよいよですか。待ちきれんがごたです。」
中牟田倉之助。学生たちを“イナゴの群れ”に例えて、何やら計算をしていた少年。もちろん、得意科目は数学。
「いつお呼びがあっても、仕度は万端です。」
石丸虎五郎(安世)。理数系も強いが、語学力も卓越している。
石丸は、のちに東京-長崎間に電信線を敷設し、情報の伝達速度を一変させる人物。佐賀藩士だったので、絶縁体である碍子(がいし)の製造に「有田の磁器の技術が使える!」と気づいたのである。
――その場に居合わせたボサボサ髪の“蘭学寮”生、江藤新平が2人に声を掛けた。
「この国の“海防”は、貴君らの双肩に掛かるようだ!」
江藤が、中牟田・石丸の両名に、仰々しい言葉をかける。
「お主らなら、間違いは無い!」
先輩らしい見送りのセリフだ。
孤高の人っぽい江藤であるが、賢い後輩たちを認めている様子だ。
「何ゆえ、江藤さんは伝習に呼ばれんとですか?」
ここで中牟田が、素朴な疑問を発する。
どうやら“空気を読まない”のは、江藤の専売特許ではないらしい。全力で理系少年の中牟田が、この場では避けるべき質問をした。
――教師・杉谷が渋い顔をする。「わかっている…江藤は優秀なのだ!でも、貧乏なのだ…」これは当人の前では言いづらい。
すると、江藤が口を開いた。
「私とて、長崎に向かいたい気持ちは山々だ!」
「では、我らとともに参りましょう!」
石丸虎五郎(安世)は、江藤の“義祭同盟”での活躍を知っている。
賢いと評判の先輩に“伝習に行きますよね!”と尋ねる、無邪気な下級生と考えてほしい。
「私には取り組んでいる“仕事”があるのだ。」
「それは、如何なる物ですか!?」
――藩の役人でもない先輩・江藤の“仕事”とは何か、石丸の疑問は当然である。
「建白書を綴っている。“図海策”と名付くものだ。」
“図海策”とは翌1856年に完成する、江藤新平の意見書である。
その内容は、極めて先進的。
“民が苦しむ”という理由で、“攘夷”戦争への突入を否定。むしろ、海洋国・日本の立地を活かして、積極的に貿易を進めるべし…という、とても地方の書生とは思えない意見である。
教師・杉谷は、江藤自身の言葉により“言いづらいことを語る”窮地を脱した。
「そうだ!江藤も、己の信ずるところに、力を尽くしておるのだ。」
――これで“蘭学寮”の教師として、中牟田と石丸の2人を送り出せる。
教師・杉谷は、2人への期待を伝える。
「お前たちは長崎の伝習で、力の限り学んで来い。」
「はい!」
中牟田倉之助が大きく返事をする。
「肥前佐賀の名に恥じぬ、修練を積んで参ります!」
石丸虎五郎(安世)も決意を述べた。
――下級生2人の情熱に満ちた表情を見つめる、江藤。
意見書の構想があるのも事実だったが、江藤家は、何とか武士扱いされる程度の“手明鑓”の身分。
「長崎の伝習…、受けたいに決まっておる…」
旅立つ後輩2人の後ろ姿に悔しさを感じる江藤、学費が足らないのも現実だったのである。
(続く)