2020年07月15日
第12話「海軍伝習」⑤(秘密結社の夜)
こんばんは。
大都市圏での新型コロナの感染者数の増加が報じられています。
今のところ、佐賀での新規感染は聞いていないのですが、皆様もお気をつけて。
本日は佐賀の若き志士たちの夜の会合を描きます。
なんとなく密集しているのが気になってしまうのは、現代の目線です…
――では、前回の続きです。
初夏の陽射しはやがて、佐賀の西の空を照らし、長崎の方に沈んでいった。明日はしっかりと晴れが期待できそうな、そんな夕暮れである。
五月雨の心配がある時節だったが、日中の“義祭同盟”の式典は無事、執り行われた。
――その夜。佐賀城下の一角に、こそこそと若者たちが集まってくる。
青年は屋内に入って、はじめて“同志”の名前を呼ぶ。
「大木兄さん、江藤くん!」
「おおっ、中野。早かったな。」
「中野、“大返し”にて戻れり…」
江藤新平が、中野の疾走を揶揄(やゆ)する。
「これしきで“大返し”とは…だいたい江藤くんは、大袈裟なのですよ…」
――中野方蔵は、義祭同盟の式典の後、すぐに藩校に走っていた。
そして、有力教師の草場先生に詩文を添削してもらい、全速力で戻ってきた。
さすがに、息がハッハッ…としている。
“兄さん”と呼ばれた大木喬任。江藤と顔を見合わせて苦笑する。
「やはり中野の“大返し”だな。」
…歴史上の“大返し”と言えば、戦国時代、“本能寺の変”直後に行われた、豊臣(羽柴)秀吉の“中国大返し”であろう。
――枝吉神陽をはじめ“尊王”の思想家は、朝廷の威光で政治を行った、豊臣政権を高めに評価する傾向にある。

通常は武家の政権といえば、江戸幕府のように“征夷大将軍”がその頂点だが、豊臣政権は“関白”だったのである。
さらに遡って南北朝時代、“義祭同盟”が崇拝する楠木正成・正行父子は、室町幕府の“征夷大将軍”・足利尊氏と死闘を繰り広げた。
――“尊王”を掲げる志士たちにとって、朝廷の力を抑えようとする、“幕府”への視線は厳しいのである。
「この“日本”において、主君と仰ぐべきは、京都におわす帝である!」
「そうじゃ!徳川が“大君”を名乗るなどおこがましい!」
「では、鍋島の殿はどうじゃ!帝のもとに等しく“臣下”であるならば、我々と何が違うか!」
昼の厳かな式典と違い、酒も入っている。意気盛んな若者たちの夜の集会である。
――お気づきであろうか。会合で語られている内容、かなりの“暴論”が飛び交っている。
昼の式典と違う“義祭同盟”のもう1つの顔。
それは天下国家を論じる「秘密結社」。
…とはいえ、他藩の結社と違い、少なくとも“表の顔”は認知されている。
殿・鍋島直正は、この場で“暴論”が繰り広げられることも知っている様子だ。
そして、「これも学問の場じゃ、言葉じりを捕らえて、罪に問うたりはするな…」と見ないふりを決め込んだ。
“義祭同盟”には、藩校「弘道館」でも際立って賢い者が多数加わっている。
直正は、あえて縛りをかけず、自由に議論をさせていたのである。
――幕末の佐賀藩には「言論の自由」に近い要素があったようだ。
そんな“秘密”の議論の場に、ある少年が現れる。

「次郎先生!いえ、もう副島先生とお呼びするのがよかですか!?」
大隈八太郎(重信)である。母・三井子から、枝吉次郎が副島家に養子に入る予定を聞いた。
「まだ、副島の家には入っておらぬ。それに兄上の前で“先生”などと呼んでくれるな…儂ごときは、まだ修業の身だ。」
副島種臣(枝吉次郎)は、偉大な兄・枝吉神陽の前で“先生”と呼ばれるのに気まずさを感じるようだ。
そんな副島種臣に案内してもらい、少年・大隈八太郎が、この場に足を踏み入れる。
――日中の“楠公”(楠木正成)を讃える式典には、居並ぶ佐賀藩の重役たち。
そして、夜は自由に議論をぶつけ合い、“国のあり方”を語る先輩たち。
わずか1日で、“国の大事”に関わる志士の列に加わった気分である。
大隈八太郎は、興奮を隠せない。
「ここでは存分に、“国事”を語っても構わんごたですね!?」
引率役の副島種臣は、8歳ばかり年上。主宰者・枝吉神陽の実弟として初期から参加している。
「その通りだ。八太郎。ここでは皆、“我が国”が、如何にあるべきかを論じておる。」
――そして、この会合の中心にいるのは、枝吉神陽だ。
弁舌を響かせた日中とは違い、会合に参加する皆の話をじっと聞いている様子だ。もはや佇まいからして、風格が感じられる。
「此度より加わる大隈八太郎くんです。」
「あの八太郎か!かわいらしい坊やであったな。」
枝吉神陽は、昔から近所の子供に優しかった。
母・三井子にべったり甘えていた、幼い八太郎も可愛がっていたのである。
「神陽先生!もはや、子供ではなかです!」
「これは、失敬であったか。」
――軽く笑みを浮かべる、神陽。今の八太郎も気に入った様子だ。
「蒸気仕掛けの“黒船”は船足が早く、小回りが自在だ。我らの台場でも、捉えられるかどうか!」
「なれば!佐賀にも“黒船”があれば良い!」
会合の一角では、中野や江藤たちも加わって、“国防”の議論を始めている。
“攘夷”と言っても、佐賀藩の場合は“精神論”ではない。西洋との技術的な差は見えている。
…大砲の弾ならば届くか、届かないか。
沖合で戦うならば、船が必要だからどのように調達するか。具体策を論じるのである。
大隈八太郎は、目を輝かせて、先輩たちの議論に、耳を傾けるのであった。
(続く)
大都市圏での新型コロナの感染者数の増加が報じられています。
今のところ、佐賀での新規感染は聞いていないのですが、皆様もお気をつけて。
本日は佐賀の若き志士たちの夜の会合を描きます。
なんとなく密集しているのが気になってしまうのは、現代の目線です…
――では、前回の続きです。
初夏の陽射しはやがて、佐賀の西の空を照らし、長崎の方に沈んでいった。明日はしっかりと晴れが期待できそうな、そんな夕暮れである。
五月雨の心配がある時節だったが、日中の“義祭同盟”の式典は無事、執り行われた。
――その夜。佐賀城下の一角に、こそこそと若者たちが集まってくる。
青年は屋内に入って、はじめて“同志”の名前を呼ぶ。
「大木兄さん、江藤くん!」
「おおっ、中野。早かったな。」
「中野、“大返し”にて戻れり…」
江藤新平が、中野の疾走を揶揄(やゆ)する。
「これしきで“大返し”とは…だいたい江藤くんは、大袈裟なのですよ…」
――中野方蔵は、義祭同盟の式典の後、すぐに藩校に走っていた。
そして、有力教師の草場先生に詩文を添削してもらい、全速力で戻ってきた。
さすがに、息がハッハッ…としている。
“兄さん”と呼ばれた大木喬任。江藤と顔を見合わせて苦笑する。
「やはり中野の“大返し”だな。」
…歴史上の“大返し”と言えば、戦国時代、“本能寺の変”直後に行われた、豊臣(羽柴)秀吉の“中国大返し”であろう。
――枝吉神陽をはじめ“尊王”の思想家は、朝廷の威光で政治を行った、豊臣政権を高めに評価する傾向にある。

通常は武家の政権といえば、江戸幕府のように“征夷大将軍”がその頂点だが、豊臣政権は“関白”だったのである。
さらに遡って南北朝時代、“義祭同盟”が崇拝する楠木正成・正行父子は、室町幕府の“征夷大将軍”・足利尊氏と死闘を繰り広げた。
――“尊王”を掲げる志士たちにとって、朝廷の力を抑えようとする、“幕府”への視線は厳しいのである。
「この“日本”において、主君と仰ぐべきは、京都におわす帝である!」
「そうじゃ!徳川が“大君”を名乗るなどおこがましい!」
「では、鍋島の殿はどうじゃ!帝のもとに等しく“臣下”であるならば、我々と何が違うか!」
昼の厳かな式典と違い、酒も入っている。意気盛んな若者たちの夜の集会である。
――お気づきであろうか。会合で語られている内容、かなりの“暴論”が飛び交っている。
昼の式典と違う“義祭同盟”のもう1つの顔。
それは天下国家を論じる「秘密結社」。
…とはいえ、他藩の結社と違い、少なくとも“表の顔”は認知されている。
殿・鍋島直正は、この場で“暴論”が繰り広げられることも知っている様子だ。
そして、「これも学問の場じゃ、言葉じりを捕らえて、罪に問うたりはするな…」と見ないふりを決め込んだ。
“義祭同盟”には、藩校「弘道館」でも際立って賢い者が多数加わっている。
直正は、あえて縛りをかけず、自由に議論をさせていたのである。
――幕末の佐賀藩には「言論の自由」に近い要素があったようだ。
そんな“秘密”の議論の場に、ある少年が現れる。
「次郎先生!いえ、もう副島先生とお呼びするのがよかですか!?」
大隈八太郎(重信)である。母・三井子から、枝吉次郎が副島家に養子に入る予定を聞いた。
「まだ、副島の家には入っておらぬ。それに兄上の前で“先生”などと呼んでくれるな…儂ごときは、まだ修業の身だ。」
副島種臣(枝吉次郎)は、偉大な兄・枝吉神陽の前で“先生”と呼ばれるのに気まずさを感じるようだ。
そんな副島種臣に案内してもらい、少年・大隈八太郎が、この場に足を踏み入れる。
――日中の“楠公”(楠木正成)を讃える式典には、居並ぶ佐賀藩の重役たち。
そして、夜は自由に議論をぶつけ合い、“国のあり方”を語る先輩たち。
わずか1日で、“国の大事”に関わる志士の列に加わった気分である。
大隈八太郎は、興奮を隠せない。
「ここでは存分に、“国事”を語っても構わんごたですね!?」
引率役の副島種臣は、8歳ばかり年上。主宰者・枝吉神陽の実弟として初期から参加している。
「その通りだ。八太郎。ここでは皆、“我が国”が、如何にあるべきかを論じておる。」
――そして、この会合の中心にいるのは、枝吉神陽だ。
弁舌を響かせた日中とは違い、会合に参加する皆の話をじっと聞いている様子だ。もはや佇まいからして、風格が感じられる。
「此度より加わる大隈八太郎くんです。」
「あの八太郎か!かわいらしい坊やであったな。」
枝吉神陽は、昔から近所の子供に優しかった。
母・三井子にべったり甘えていた、幼い八太郎も可愛がっていたのである。
「神陽先生!もはや、子供ではなかです!」
「これは、失敬であったか。」
――軽く笑みを浮かべる、神陽。今の八太郎も気に入った様子だ。
「蒸気仕掛けの“黒船”は船足が早く、小回りが自在だ。我らの台場でも、捉えられるかどうか!」
「なれば!佐賀にも“黒船”があれば良い!」
会合の一角では、中野や江藤たちも加わって、“国防”の議論を始めている。
“攘夷”と言っても、佐賀藩の場合は“精神論”ではない。西洋との技術的な差は見えている。
…大砲の弾ならば届くか、届かないか。
沖合で戦うならば、船が必要だからどのように調達するか。具体策を論じるのである。
大隈八太郎は、目を輝かせて、先輩たちの議論に、耳を傾けるのであった。
(続く)